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小説と私
小説を好きで書いているけれど、出会ったきっかけは中学時代に頼んでもいないのに夏休みになると強制的に書かされる読者感想文だった。
それまで小説を読む習慣もなければ家のどこを見ても小説などなかった。
それもそのはずで、母親も義父も中卒で小説をそもそも読んだことのない人間であった。
離婚前の元の父もこれまた中卒で、当時暮らしていた家の中には牛の角だのゴルフのトロフィーだの鷹の剥製だのはあったものの、やはり本は一冊もなかった。
うちの親共は正直に言うが、立場や事情によって文化的教養がない、または得られなかった人間ではなく、文化的な教養を
めんどくせぇ!
を盾に拒否した人間の類であった。
母親はかつて作文が好きだったらしく、年老いてからは
「いつか書いた詩を新聞に載せて欲しいわぁ〜!それが夢なの〜!」
と、新聞が媒体というそもそも時代錯誤な上、愛読新聞が「聖教新聞」という色々とそもそもだらけな人間ではあるが、二十年も前より図書館に通えば詩集や指南書の類を無料で借りられることを伝えている。
が、ただの一度も図書館へ通うこともなく、夢想を口にし続け、近年になりやっと書いた!という詩が
「朝がやって来た。窓を開けると朝露」
というなんとも半端で終わっているダイイング・メッセージ的な文を「新聞に載せられる!」と堂々と見せつけて来たので、やはり図書館に通うように勧めてみた所である。
因みに母が一番食いつく物語は近所の誰かと誰かが不倫した後、ジジイババアがせっせとラブホテルへ行った、という手の話しである。
小説にしろ文にしろ、出会いの前には80年代に青春を迎えた兄達が常に家でも映画を観続けていた(垂れ流していた)影響が大きいと思う。
兄妹や親戚含めて小説が好きだという人間はいなかったものの、何かを読んで頭の中で映像を作る癖はだいぶ補われたのだろうと思う。
こんな事を書き連ねている私自身もまた高卒の身分であり、それも関東有数のバカ高校で校内に生徒用の喫煙所があり、生徒は英単語ではなく麻雀牌の読み方を即答出来るような人物が大半であった。
自分自身も「バンド練習」と称して学校帰りにトライアングルをメンバー宅で飲んだくれていたような人間なので、その感覚でいわゆる「日常の高校生活」を送っていない事が殆どだと知るのはずっと後の大人になってからの事であるが、とにかく小説とは無縁の生活であった。
最後に、高校で「教わった」大事なことをここに記しておく。
・煙草の煙を吐くと同時に鼻で吸い込むと龍が滝を昇る
・黒田(地名)のパチ屋は出ない
・パンチングマシンを壊したトンガ人は実は深谷市出身
・売り捌くのはすでにパーティが終わってるパー券
・車で来る時は学校裏の農家が駐車場を貸してくれる
こんな所で小説を読み漁った時期を過ごした人達が過ごすべき時期を過ごしていたので、高校時代に小説の話しを誰かとした記憶が一文字もないのだが、好きで読んで書いているのは誰にも奪われない自由の一つでもあることを身をもって実感している次第である。
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