ベイスターズ優勝で、1998年に想いを馳せる。
横浜DeNAベイスターズが優勝しました。
1998年以来26年ぶり。
セ・リーグでは優勝していませんので厳密には当時とは異なりますが、それでもおめでたいことでしょう。
その日は少し早い忘年会で、テレビ中継を横目に試合の流れを観ていましたが、序盤からベイスターズのペースを止められない状況にあったように思います。私の好きな筒香選手が打ったのも嬉しかったですね。
自分の信念を貫き、苦戦や失敗と言われようが自分が納得するまで日本に帰ってこなかった姿にはとても共感しました。
筒香選手がまだ1軍に定着していない頃、2軍の試合でスタンドから何度かその姿を撮影したことがありました。まだ身体の線が細く、色々と試行錯誤、迷いの中にある印象でした。横浜高校時代からその存在を知っていましたので、出身は和歌山ですが順調に育てばベイスターズのフランチャイズプレーヤーになるだろうと思っていました。今もこれからも横浜には欠かせない選手になり、少し感慨深いものがあります。
そして冒頭の写真は2015年に川崎市の読売ジャイアンツ球場で撮影した三浦大輔投手が先発マウンドに向かう姿です。2軍の試合です。晩年は2軍の試合で黙々と、いつ来るかわからない次のチャンスに向けて腕を振っていました。2軍の若手選手相手に打ち込まれることもありました。自らの身の振り方や今後の展望など、色々考えながらの2軍暮らしだったと思います。そんな場面に何度か立ち会えたことは幸運でした。
私は三浦監督と歳が近く、監督が奈良出身ということもあり、現役の頃から親しみを感じていました。若い頃に私は大阪に住んでいて、奈良出身の友人に良い影響を受けたこともあり、気になる選手でした。FAになった時には阪神に移るかもと思いましたが、初志貫徹というのか仁義というのか、横浜に残った時にはその風貌の如く男気を感じました。強いチームにいたら200勝出来たかもしれません。そんな潔さも素敵ですね。
ベイスターズが前回優勝した1998年。私は社会人2年目。大阪で働いていました。とても忙しくて日本シリーズもほとんど観る時間がなく、社員寮近くのラーメン屋で上司と食べながら上の空でテレビをチラチラと眺めていたことを覚えています。あの年のベイスターズは強かったですね。ベテランと若手が融合し、勢いがありました。ちょうど松坂投手の横浜高校が優勝した年ですので、まさに横浜の1年でした。
また海の向こう、メジャーリーグではステロイドによるホームラン量産時代でした。ベイスターズ優勝の余韻がまだ冷めぬ頃、日米野球がありました。目玉はサミー・ソーサ。私は会社を休んで大阪ドームに観に行きました。開場とともに球場に入り、メジャーリーガーのバッティング練習を観ました。今でもサミー・ソーサの凄まじい打球を鮮明に覚えています。でも、あれよりすごいんですよね。大谷翔平選手は。びっくりです。
1998年。日本経済が本格的に傾き始めたころで、大きな銀行や証券会社がバタバタと倒れる時代でもありました。私の職場でも緊迫した雰囲気がありました。職場近くの大きな商社で私も入社したかった会社も吸収合併されるという、想像もつかないことも起こりました。その会社の若手社員に就職活動中に天ぷらをご馳走して頂く機会がありました。自分なりに工夫して上手くリクルーター制度に乗っかったのですが、教育実習とその会社の入社試験が重なってしまい、泣く泣く辞退した苦い経験がありました。本末転倒というか支離滅裂というか、情けない話です。相手方にとってはとても失礼な話でした。謝罪の手紙を送りました。
そんなこともあった憧れの会社がなくなってしまう時代でした。
しかしそんな時代のなか、翌1999年は私にとって良い年だったのを覚えています。会社の仕事にも慣れ、些細な仕事内容でしたが褒められることもありました。職場の人間関係にも恵まれ、プライベートも充実していました。自由度がそれまでの人生で最大になったような気分でした。若気の至りもあり、自信なのか過信なのか、そんな雰囲気を纏っていたようにも感じます。心配事が皆無でした。周りが見えてなかっただけかもしれませんが、それでも良い時間でした。
ベイスターズが優勝した翌年はそんな年になる。
そんな妄想を抱きながらこの年末を過ごしていきたいと思います。
今年も夏から冬へ直滑降。好きな秋はどこへやら。
そういえば前回の優勝当時、サードは進藤達哉選手で、守備の名手でした。当時私に良い影響を与えてくれたまた別の友人が進藤選手のファンでした。通というのか、いいセンスをしていました。
少し早いですが来年は、来年も素敵な1年になりますように。