見出し画像

🇹🇭安宿に耐えられるか?@バンコク2006

タイのゲストハウスのシングルに泊まることが多かった。まだ若かった。2000年代前半に幾度となく泊まったカオサンや、その他安宿の写真を見てみる。

「またこんな旅をしたい!」となるか、「もうこんな旅はごめんだ」となるか。

あの頃、安くて汚いところに泊まり、いかに金をかけないで重いリュックを背負うか?が勲章みたいなもんだった。バックパッカーと言えば聞こえは良いが、ホンマもののバックパッカー、それこそ社会を捨て糸の切れた凧にはなりきれなかった。

手洗いのバケツ。ここから柄杓でとった水を用を足した部分にかけて、手で洗う。タイの地方の庶民の家はだいたいコレ。それをわざわざ宿泊先で味わう事に爽快感を感じていた。(現に日本のウォシュレット並みに清潔で、慣れると後戻りできなくなる)

エアコンこそあったか、無かったか、よく覚えてないが、200バーツにするか、400バーツにするか。今の私なら先ずこんなとこにもう泊まらないだろう。快適性を金で買ってしまう。

「過度な節約は、健康を害して結局損になる」それも経験の中で知ってしまった。「したくても、もうできない」という自身の若さへの嫉妬もある。

ザックを放り投げると、先ずは水シャワーで汗を流し、一息つくと地球の歩き方(もちろん当時はスマホもない)を手に近場の屋台で地図を見て「今日は何しようか」と耽るのがルーチンだった。

昔の写真でも、見ると記憶が鮮明に蘇る。申し訳ない程度のカーテンの先にはトイレがある。チェックインの時に「ホットシャワーもバッチリ」と聞いていてもなかなか出てこない。

「このまま冷水を浴びるか、フロントに文句を言うか、お湯になるのを待ち続けるか」。だいたい三択だった。せっかちなので水のまま浴びたと思う。

今の私なら、お湯になるまで待ち続ける、だ。タイの給湯器?は温水を作るまで時間がかかる。フロントに文句を言う気もない。

「マイペンライ」だ。

この写真を見ると、冷房なしのファン付き、のシングルを選んだように思える。このファンも大概異音がしてうるさい。弱風でうるさく。強風で、治ったりする。

当時、この天井をボーッと眺めているだけでよかった。ザックは重かったが、心は軽かった。失うものは何も無かった。

何も持っていなかった。

日本人が泊まらないような宿ばかり選んでいたが、たまに共有スペースとかで「どこから来たんですか?」とか話しかけられた。

たわいもない会話をする。
「日本で仕事を辞めた、もうずっと旅をしている。陸路でカンボジアから来た」

カンボジア?どこだろう。
たぶん行くこともない。

今はタイで一人になりたかった

ーータケシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?