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ただそこにある風景④

相変わらず無職透明な日々を過ごしている。
ある晴れた日に最近無職になった同級生と思い出の場所を散歩して来た。
少年時代に蚊に刺されまくってザリガニを釣って遊んだ池はとっくに埋め立てられていたし、地獄ジジィの薬屋は無くなっていたし、火薬鉄砲と爆竹を持って集まって作った秘密基地の資材置き場も跡形も無く消えていた。昔死ぬ程長いと感じていた坂道は登ってみれば「なんだこんな短かったんだ」と思えた。
いつも持ち歩いて居るカメラでパシャパシャ写真を撮る散歩道。


個展の前や展示の前はまるで脅迫でもされて居るかの様にもっと良い物を、より伝わる何かをと思い血眼で撮っていたが、そんな時に納得のできる物は撮れず、時々自分でもなにを撮って居るのかよく分からなくなる。
相変わらずカメラを持ち歩く日々を過ごして居るが理由や目的があるわけでは無く、ただ気に入った風景を切り取って居る。シンプルに写真を撮る事を楽しんでいる。
写真の師匠には「撮る事も大事だけど自分の写真と向き合う事の方がもっと大事だ」と教えられた。今なら少しその意味がわかる気がする。

写真はまるで鏡の様に自分自身がよく写る。

「あなたの撮る写真はセンチメンタルだ、いつも寂しい感じがする」
と言われてなんだか恥ずかしい後ろめたい気持ちになっていた事がある。薄っぺらな自分が見透かされた様な気がした。生きる希望が沸く写真、なんだか元気になれる写真、底抜けに明るい写真なんか僕には撮れない。

「あなたの写真には愛が無い」
と言われた事もある、まるでお前なんて空っぽだと言われた気がした。ショックだった。知り合いのカメラマンには「嘘でも良いから被写体の事愛さなきゃダメだよ」と言われた。その頃は意味が分からなかったし、あぁ、自分にはセンスが無いんだと思った。何度も写真なんか止めてしまおうと思った。
それはきっと僕自身が自分の事を愛し切れていないからなのかもしれない。


今年はもう展示も個展もしないでおこうと思っていたのだが、最近個展欲がムクムクと湧いて来て居る。企画展のお知らせを受ける度に僕ならなにを出すだろうと考えている。今の自分の気持ちを吐き出したくて堪らない。誰かに見てもらいたい、薄っぺらで空っぽな僕の見た大好きな風景。


ただそこに風景があって、
ただそこに僕が居て、
ただそこで写真を撮ったと言うだけの話。

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