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今夜、全てのBARで。

20年も前の事。
大阪のアメリカ村の側に古い飲み屋ビルがあって、そこにはとても一人では入る勇気が出ないような怪しい店がひしめき合っていた。
今の様にネットもそこまで普及していず、薄暗い電灯に照らされたビル内は正にダンジョンで、分厚い扉に閉ざされた店内は謎に満ちていて、モンスターの巣窟だった。

当時、ハタチを少し過ぎたまだまだクソガキだった僕は当時付き合っていた一回りも年上の彼女に連れられて良くこのビルに飲みに来た。
壁にかかったレコード、流れるロックンロール、リーゼントを決めたバーテンダー、灰皿一つ、チャーム一つにしてもオシャレでカッコ良かった。
入れ墨だらけの常連客に混ざって飲む酒は僕をベロベロにさせた。
この頃このビルで僕はロカビリーを覚えて、BARとはどういう所かを知った。

一人でもたまに飲みに行ったりもしたが、当時アホ剥き出しのハナタレだった僕が相手にされる訳も無く、早よ帰れと素っ気なく1,2杯で追い出されていた。
そんな僕でも相手にしてくれていた一人のバーテンダーさんが居て名前をイチローさんと言った。しゃがれた声で歌い、ウッドベースを弾くバンドマンだった。
壁にかかったジョンべルーシーのポスターがカッコ良かった。たまに上がってくる下水の匂いが堪らなく臭かった。
ぼくはイチローさんの事を優しい兄貴と慕っていたのだが、当時の彼女と別れそのビルとも疎遠になっていた。

月日は流れ、自分もBARで働く様になり、独立し一国一城の主人となった僕は理想のバーテンダー、理想のBARとしていつもあのビルで出会ったBAR、バーテンダーさん達を目指していた。
自分の店を潰す一年ほど前、当時の事を思い出し、お店を訪ねて回ったのだが、当時飲酒運転が厳しくなったせいも有り、もうほとんどの店は潰れていた。
唯一残っていたお店では
「あの人達はバンドが有るから、、、」
と、寂しい顔をしていた。

自分の店を畳んでから、僕は海外に5年間住み、帰国し、縁が有り又、ミナミの街で飲みだすのだが、ある日。当時のダンジョン感は見る影も無いそのビルで当時の事を知るバーテンダーさんに出会った。
「懐かしいね、皆んな色々有ったからね、イチローさんの事は聞いた?」
差し出された新聞記事にはイチローさんの死亡記事が小さく載っていた。毎週○曜日に××に行けばLさんに会えるよ。Lさんなら当時の事、詳しく知っているよ。と教えてくれた。
嘘の様な本当の話だが、年は違うが、僕が帰国した日がイチローさんの命日で、この話を聞いた日は月命日だった。

Lさんは当時僕が一番怖かったバーテンダーさんで、いつもそのお店に行く時は店の前で気合を入れてからドアを開けていた。リーゼントが渋くて、細身で、酒飲みでケンカっ早かった。
果たして20年ぶりに再会したLさんは当時のままにとんがっていて、怖かった。
当時の話を沢山教えてもらった。昔、イチローさんが好きだったと言うチャームをつまみながら
「そのうち心配せんでも乾杯出来るから、その献杯グラス空けてまえ!アイツが先行っただけや、俺らもそのうち追いつく」
「俺はそう思ってんで」
とLさんは言ってくれた。
壁にはイチローさんのレコードが飾ってあった。

色んな酒の飲み方が有るが、たまにはこんな昔話で飲む夜が有っても良いと思う。

Thank you for R&R music/ Rockin’ Ichiro and Boogie Woogie Swing Boys

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