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学ばないから自由になれない10月の僕

欅坂46の「僕」はそろそろ素敵な大人に出会ってよかった。

映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」のネタバレを微かに含みますのでこれからネタバレ0で見たい方はご注意ください。

2019年に制作され、CMソングとしても使われていたが発売されることがなかった欅坂46幻の9thシングル「10月のプールに飛び込んだ」が、およそ1年の時を経て2020年10月発売のラストアルバムに収録されることになり、先日のラジオで全曲&歌詞が解禁された。

以下、歌詞未読の方でもわかるように書きますけど、検索などして読んできてもいいかもしれません。

若者を抑圧する存在としての「学校」は欅坂46が表現し続けてきたところだが、10月のプールに飛び込むことで「本当の自由」が手に入るわけがない。突飛なことをして教室の窓からみんなが見ている様子を気にしている様はまるで、人気が出なくて困っているYouTuberのように滑稽だ。

さすがにそんなことは当の本人である「僕」も気付いているはずだ。そんな薄っぺらい自分から抜け出すことができないでいるもどかしさが行間から透けて見える。先生は声をかけてもくれない。なんとも孤独で苦しい歌詞である。孤独ではあっても誰かの身代わりとして矢面に立とうとする「黒い羊」での「僕」とは異質の苦しさだ。

ドキュメンタリー映画ではこの曲に飛びぬけて明るいMVを付けようとするシーンが描かれた。これは甚だしい誤読か、理解したうえでの皮肉を含んだ表現だとしても、いたずらに難しい要求だ。

この曲がシングルとして発売されることがなかったのはなぜなのか、映画でも明らかにはならなかったが、撮影日の天候に恵まれなかったことも含め、色々なものがズレてしまっているのは確かだろう。

ズレはどこから始まったのだろうか。私は、欅坂46が学校による集団的抑圧と学ぶことそのものを切り離すことができず、学ぶことまでダサいものとして表現するようになってしまったことだと思う。それによって、学びのきっかけを与えれくれるようないい大人までも表現することがなくなってしまったことだと思う。

実は欅坂46には大学に通うメンバー、「学業優先」でイベントを欠席するメンバーが多く在籍した。「学ぶこと」が本当の意味で大人たちへ抵抗する一番の近道であり、学業を優先することが欅坂46としての今後の展望につながるという期待を込めた論考を以前書いた。大げさに言えば「10月のプールに飛び込んだ」はその私の勝手な期待をぶち壊す代物だ。

10月のプールに飛び込むというモチーフ自体は、(根っからの欅坂46ファンなら誰もが知るエモい元ネタから来ているという点も含めて)イメージを膨らましやすく、良いところに着目している、流石だと思う。どうしたらいいのかわからなくなって、そんな風に衝動的な行為に走ってしまうことは誰にでもありうると思う。

そのとき、先生には声をかけてほしかった。声をかけないで何が先生だ。欅坂46の「僕」はそろそろ素敵な大人に出会ってよかった。欅坂46のメンバーたちが多くの素敵な出会いに恵まれてきたように。

「本当の自由」については人類が長く長く考えてきたことで、偉大な先人たちがその考えを書き残してきている。つまらない公民の授業でもその一端は触れられるだろうし、暇つぶしに「自由」と検索すればWikipediaから哲学書などが見つかる。何かから自由になりたくて10月のプールに飛び込んだそのとき以上に、自由について考えるにふさわしいタイミングがあるだろうか。

本当に惜しい。10月のプールに飛び込んでも自由になることはできなかったけど、自由について考えるきっかけ、学ぶことの大切さに気付くきっかけにはなった。学んだ先には本当の自由が見つかるのか確かめてみたい。そんな神曲になる可能性があるモチーフだった。歌詞に登場する哲学者の本をファンが競うように読み漁る。そんな現象だって起こせた。

最終的に、人を抑圧するのは、周りよりも、学ばない自分自身なのだ。

その後「10月のプールに飛び込んだ」の代わりに9thシングルとして発売された「誰がその鐘を鳴らすのか」では、他人の話を聴くことの大切さが歌われている。聴くことは学ぶことにつながる。これを、グループの改名と共に良い意味での軌道修正が待っているのだという表明と受け取り、これからも勝手に期待し続けたい。

おまけ:危なっかしい計画・東大編

欅坂46が学ぶことはダサいと表現するようになってしまったことを象徴するのが1stアルバムの目玉曲「危なっかしい計画」だろう。

この「危なっかしい計画」もやはり惜しい。危ない男にドキドキしながら付いていくなんてモチーフは時代遅れも甚だしい。渋谷の街から見慣れない相手を尾行してみようと思い立ち、文化村の脇を通過し、松濤の住宅街を抜けて、東京大学駒場キャンパスにたどり着けばよかったのだ。そこまでくれば、授業に潜り込むなり、駒場祭で衝撃を受けるなり、いくらでももっとドキドキの危なっかしい計画がある。

そういえば明日9/20から二日間は、東大もう一つの学園祭「五月祭」がオンライン開催される。学ぶことはつまらない?そう思っている人にはぜひこの機会に、学ぶのが大好きな人たちの祭りに参加してみてほしい。参加しても何を言っているのかさっぱりわからないようなこともあるかもしれない。でもきっと「10月のプールに飛び込んだ」の先生とは違って、喜んで声をかけてくれるに違いない。

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