併収作品が面白かった本~ティルソ・デ・モリーナ『セビーリャの色事師と石の招客 他一篇』(佐竹謙一訳、岩波文庫)所収の緑色が鍵を握る喜劇
1.ドン・フアン伝説とティルソ・デ・モリーナ
女たらしの代名詞といえば、ドン・フアンである。さまざまな文学作品に登場するが、仏文科出身の私にとって馴染み深いのは、モリエールの戯曲『ドン・ジュアン』である。一般的な知名度では、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』(台本はダ・ポンテ)が上かもしれない。
カタカナで表記すると違いが目立つが、同じ名前が言語によって異なる形をとっているにすぎない。綴りが同じで発音だけが違う場合もある。Juanという名はスペイン語ではフアン、フランス語ではジュアンと発音する(イタリア語はGiovanniなので少し違う)。
ドン・フアンが登場する物語は、大筋はどれも同じである。ドン・フアンが女たちを次から次へと誘惑し、次から次へと捨て去って相手を絶望の淵に陥れる。神をも恐れぬドン・フアンは、自分が殺した騎士が石像として立っているのを見かける。戯れに声をかけたところ食事に招待され、それに応じた結果、天罰を受ける。
モーツァルトのオペラ(1787年初演)よりは、モリエールの芝居(1665年初演)のほうが古い。しかし、源流をさらにさかのぼることができる。臨川書店版『モリエール全集』第4巻所収の『ドン・ジュアン』冒頭に置かれた解説で、訳者の秋山伸子さんはこう記している。
原典はスペインの芝居であり、だからこそ「ドン・フアン」というスペイン語の名前で定着しているのである。
モリエールの着想源がスペインにあることは私も知っていたが、それ以上深く調べてみたことはなかった。ティルソ・デ・モリーナという名前にも、大して気を留めていなかった。何がきっかけだったかは忘れたが、ドン・フアンものの原典を日本語で読めると知り、俄然興味が湧いた。2014年に岩波文庫から出た『セビーリャの色事師と石の招客 他一篇』である。1630年に初演されたティルソの芝居(作者が誰かについては異論もあるらしい)はもちろん興味深かったのだが、ここで取り上げたいのはその話題ではない。「他一篇」のほうである。
2.『緑色のズボンをはいたドン・ヒル』
筋の面白さという点では、私は『セビーリャの色事師と石の招客』より「他一篇」として併収されている『緑色のズボンをはいたドン・ヒル』を推す。いま上演しても通用すると思う(冗長に感じられるところもあるが)。
ドニャ・フアナという若い女が、バリャドリードからマドリードにやって来る。訳あって、男に扮している。将来を誓い合ったドン・マルティンが結婚の約束を反故にして、別の貴族の令嬢と結婚するために、一足先にマドリードに乗り込んでいる。ドニャ・フアナはそれを阻止するため、後を追って来たという次第。
二人とも、自分の正体を隠す必要に迫られている。ドン・マルティンはドニャ・フアナに邪魔をされたくない。ドニャ・フアナはマドリードにいないと思わせたい。こうして、ドン・マルティンはドン・ヒルと名乗り、ドニャ・フアナは男装する。そして、自分がドン・ヒルになりすます。ドニャ・フアナがドン・ヒルを演じているときに身につけているのが、「緑色のズボン(las calzas verdes)」なのである。
ドン・マルティンが結婚しようと目論んでいた貴族令嬢ドニャ・イネスは、ドニャ・フアナ扮するドン・ヒルの美貌に心を奪われる。ドン・マルティンがドン・ヒルを名乗って目の前に現れても、けんもほろろにあしらう。そっちのドン・ヒルには興味がないのだ。父のドン・ペドロの説得も、まるで効果がない。
最後のほう(第三幕)では「自分こそドン・ヒルだ」と主張する者たちが他にも現れて、混乱の極みとなる。文字を追いかけていると何が何だか分からなくなるが、舞台で見れば流れに身を任せて笑えそうな気がする。
喜劇としての完成度はかなり高いが、私がこの作品に注目したのはそれだけが理由ではない。「緑色の歴史」を考えるうえでも、この戯曲は重要だと思うのだ。
3.緑が「二次的な色」だった時代
大学院の授業で、ミシェル・パストゥローの『緑色の歴史』というフランス語の文献を読んでいる(Michel Pastoureau, Vert. Histoire d'une couleur, Seuil, 2013)。「色にも歴史がある」と聞くと、驚く人もあるだろう。色の受け止め方は、歴史的に変化するのだ。緑は他の色よりも評価の乱高下が激しい。今では自然環境や安全の象徴となった緑色は、ヨーロッパでは中世末期から近世にかけて「危険な色」であり、「二次的な色」だった。
このパストゥローの本のなかに、「アルセストのリボンと演劇における緑(Les rubans d'Alceste et le vert au théâtre)」という一節がある。アルセストはモリエールの『人間嫌い』(1666年初演)の主人公で、虚飾に満ちた社交界を弾劾しつつも、軽薄な女セリメーヌに恋い焦がれる偏屈者である。周囲からは変人扱いされている。このアルセストを象徴するのが「緑色のリボン」なのだ。セリメーヌはそれをからかって、手紙のなかでこう記す。
セリメーヌはいわゆる八方美人で、本人の面前では調子のよいことを言うが、陰では悪口を並べ立てる。陰口だらけの手紙が人の手に渡り、本性があらわになったのである。
この緑色のリボンをめぐっては、実に多くのことが言われてきた。パストゥローはそれらを詳細に検討する(Pastoureau, p.156-158)。緑は道化の色であり、時代遅れの色であり、農民の色である。そういう印象が染みついた緑を貴族のアルセストがまとっている――それが笑いを誘う。
パストゥローの議論は、フランスにとどまらない。モリエールより半世紀前の事例として、セルバンテスの『ドン・キホーテ』(前編1605年、後編1615年)を取り上げる。この「憂い顔の騎士」は昔風の武具を身につけているが、そのさまざまなパーツは緑色のリボンで結びつけられている。リボンをほどくことができず、そのせいで武具を身につけたまま、旅籠でひと晩を過ごす羽目になる。
つまり、ドン・キホーテとアルセストのあいだには「緑色のリボン」という共通点があり、いずれのケースにおいても「奇矯な人物」というイメージを喚起しているというのだ。私はこの部分を非常に興味深く読んだが、『緑色のズボンをはいたドン・ヒル』への言及がないことに物足りなさを感じた。時期的に言えば、ティルソのこの喜劇は『ドン・キホーテ』と『人間嫌い』の中間に位置する。リボンとズボンとでは意味合いが違うのかもしれないが、ドニャ・フアナがドン・ヒルになりすますときの衣装として、なぜティルソは他の色ではなく緑色を選んだのだろうか。その意図として、この色に込められたマイナスのイメージがあったのだろうか。パストゥローの見解を聞いてみたいものだ。
おわりに~まだ見ぬ「他一篇」の世界
ひと月ほど前に、私は「併収作品が面白かった本~スウィフト『奴婢訓 他一篇』(深町弘三訳、岩波文庫)所収の長々しいタイトルの『私案』」という記事をnoteに投稿した。そのときすでに『セビーリャの色事師と石の招客 他一篇』についても書こうと思っていたのだが、授業でパストゥローの上述の箇所を読み終わるまで寝かせていた。二本で完結のつもりだが、まだ見ぬ「他一篇」の世界が控えているのではないかと、ひそかに楽しみにしている。
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