カフェ飯こそディープカルチャーという話②
2002年、SUSの勤務初日。
深夜のキッチンスタッフとして採用された俺はLunch to goの扉を開けて再び衝撃を受ける。
そこにはtattooだらけでオーバーオールを着た、見るからにヤンチャでドープな男が立っていた。
『誰?』『今日からお世話になる者です』
そんなやり取りの後、ソイツはニカっと笑って言った。
『ヨロシク!俺はこういう者だ』
そう言って見せてきた腕にはSMOKE TAIMAと彫られていた。
それがオッキーとの出会いだ。
当時のSUSのメニューは、カフェのメインストリームらしくアジアン・ハワイアン・.チャイニーズをミックスした、所謂ダイナー系のメニュー。
カフェカルチャーのビギナーだった俺は全メニューを賄いで速攻で制覇し、そしてドンドンと吸収していった。
朝まで開いているダイナーとして、深夜になっても様々な客層が入り乱れ、隣接するSecobarの熱気とも相まって、SUSはディープな渋谷の夜の顔であり、まさに街の食卓だった。
その多種多様な食の風景は、穏やかさよりもパワフルさに溢れ、そこで提供されるボーダレスな料理達は、キッチンスタッフとしての自分の気持ちを十分に満たしてくれた。
そんなある日、オッキーが言い出した。
『キーライムパイを作りたい』
その理由は、『カッコ良くない?』
ただそれだけだ。
ナチュラルボーンキラーズはもちろん俺も好きだったし、確かにあのvividな見た目はSUSに合うだろう。
だが何度も書くが、当時はインターネットもそれほど普及しておらず、何よりコンテンツも充実していない。
つまりは誰も作り方を知らない、何なら食べた事もない、ただ映画に出てきた『カッコ良い』だけのパイなのだ。
それでも諦めないオッキーは、デザート作りが得意のドラッグクィーン ゾノを巻き込み、試行錯誤を繰り返して、遂にキーライムパイを作り上げてしまった。
見た目も鮮やかなグリーンのライムパイは、しかしその努力とは裏腹にあまり売れなかった、、、というのがオチだ。
その後もオッキーは店のレシピを勝手にアレンジしたり、バースデーケーキのオーダーにはお客さんに合わせてtechnicsのターンテーブルケーキを作ったり、恐竜ケーキを作ったりし始めた。
そのどれもがオリジナルで、一点モノ。
まるでこち亀の両さんの様に、何でもカタチにしてしまう男だった。
今でこそカフェ飯と言えばイメージするメニューが誰にでもあるだろう。
何なら海外と同じモノが日本で食べられる事なんて当たり前だし、ネットの中にいくらでも答えやヒントが転がっている。
だけどそこに足りていないのは、0から1を作る気概であり、オリジナリティであり、その結果生まれるディープなスタイルなんだ。
誰もが想像できる。
誰でも創造できる。
そんなモノに熱狂やvibesは生まれない。
『そこに行けば次は一体何が出てくるんだろう』
予定調和や既視感とはレイヤーの違う、自由でディープな世界こそがカフェカルチャーの熱源であり、カフェ飯の真髄なのだ。
後日談となるがオッキーは現在ドイツに住み、奥さんや子供と幸せに暮らしている。