「八咫」

先日、村を訪問した島根の神楽団の演目を見る機会があった。全部で4つの演目があったのだが、最後の演目が、最も有名な八岐大蛇の話だった。説明の必要はないと思うが、スサノオと大蛇が戦って、クシナダ姫をスサノオが救う物語だ。
そのタイトルが「八咫」だ。
漢字辞典で色々と引いてみたのだが、「咫」とは周の時代の長さの単位らしく、親指から中指を広げた幅で、およそ18cmくらいらしい。八咫だから、およそ144cmくらいか。もちろん八には大きな数字を意味する場合があり、八咫と書いて「大きい」という意味になることもある。
この演目に付けられた「八咫」は古いものらしく、現在の島根県の公式ガイドによると「大蛇」と言う名前に変更されている。この方がわかりやすいのはもちろんだ。
ただ、私は演目を見ながら、おそらく大きいと言う意味で付けられた「八咫」が、「八岐」という風に拡大解釈されたか、或いは、当時は漢字を読めない人が普通だから、音から誤解され、八つの頭を持つ大蛇ということになったのだろうな、と予想した。神話だから、夢があっていいじゃないか、という向きの意見もあるだろうが、私はなんらかの事実を元にした話だろうと思いたいのだ。
日本にはそんなに大きな蛇はいないが、長さだったと考えるならば、アオダイショウやシマヘビなら、150cmくらいはある。まあこれぐらいを恐れる人もいないだろうから、胴回りのサイズと考えたら、どうだろう。アナコンダなどの巨大なものは10mを超えるし、大きな動物を飲み込んだ際には、胴回り150cmくらいにはなることもあるだろう。日本には動物園以外には現存しないが、縄文時代から、海上交易が盛んにおこなわれていたことは、黒曜石の分布などから事実わかっており、大陸とも交易はあった。幼生の大蛇を、知らずに交易品として持ち込んだ人がいたかもしれない。動物を交易品として船で運ぶのは、例えば北海道へ儀式のために、イノシシを運んでいたことが知られている。イノシシは北海道には居ないので、遺跡から出る焼かれたイノシシの骨から、事実だとわかっている。蛇も神聖なシンボルとして、運ばれることがなかったとは言い切れない。中南米では、マヤ文明やアステカ文明で、蛇は創造神として崇拝される存在だ。太平洋を囲む大きな交易圏を想定するなら、有りうるかもしれない。
アナコンダなどのサイズであれば、剣を持った人をそのまま飲み込んだこともあったかもしれないし、胴体を切り刻んだ際に、その遺品として剣が胴体から出てくるのもおかしくはないかなと、そんなことを妄想しながら、観劇していた。

「八咫」と言えば、「八咫烏」もそうだな、とふと考えた。大きいカラスという意味に、単純にはなる。辞書で調べると、カラスの中で最大のものは、「ワタリガラス」だ。翼長も150cmくらいで、ピッタリ。
そこで、「ワタリガラス」を調べてみると、なかなか面白い。
例えば、北欧神話のオーディンは二羽のワタリガラスを斥候として使っている。「フギン」と「ムニン」という名前も付いている。
イギリスでは、1660年に即位したチャールズ2世が、勅令として、6羽以上のワタリガラスをロンドン塔で飼育するように命じている。ロンドン塔からワタリガラスが居なくなれば、王朝が滅びると信じられていたそうだ。
ここで、はっきりさせておくが、英語でワタリガラスは「RAVEN(レーブン)」であり、普通のカラスは「CROW(クロウ)」だ。全く違う存在として、扱われており、レーブンは神聖な存在だ。北欧でもそうだが、北極圏あたりの民族では、神としてトーテムに彫られているし、シベリア神話の中でも、神として物語に現れる。(シベリア民話への旅 斎藤君子著 平凡社)
その理由の一つとして、このレーブンの賢さがあげられる。レーブンは、冬の広大なシベリアで人々が狩をする際、獲物の存在を教えてくれることが、広く知られている。狩人たちは、その感謝を、獲物の内臓を放置することで報いた。この関係は狩人が裏切らない限り続いた。
スウェーデン・ルンド大学の研究チームによれば、類人猿以外には、無いと考えられていた知能がレーブンにはあることが、わかったそうだ。
http://www.asahi.com/articles/ASK7H31X5K7HUHBI007.html

さて、日本の神話における「八咫烏」は、熊野の山中で迷った天皇一行を導いたとして、描かれている。日本には七種類のカラスが存在するが、紀州の古い時代の山の中にいるのは、ハシブトガラスくらいだ。しかし、近所にもこいつらはたくさんいるが、人を助けるとは到底思えない。
だが、この物語が、古い時代の記憶を伝える伝記であったとしたら、どうだろう。
竹内宿禰の子孫である人物の本を読んだが、日本書紀の中で、高い山の上(多分九州地方)で、さあこれからどうやってこの国を征服しようか、と相談する皇族二人は、海外からやって来たと、明記されている。文章的にも、そうでないと意味がわからない。
大陸から高い軍事能力と文化を持った部族がやってきて、平和な縄文人を征服したのだろうと私は思っているのだが、そうすると「八咫烏」=「ワタリガラス」という線が浮かんでくる。
皇室の祖先は、遠くシベリアの極寒の大地から、温暖な地を目指して東へ向かい、やがて半島から海を渡ったのではないだろうか。
北欧神話のオーディンの話もかぶって来る。レーブンに導かれる神の話、そのままだ。そこまで私の妄想も広がってはいないが、昔、フィンランドの言語に少し日本語と重なる部分があるという話を聞いた。今のウラジオストックから満洲あたりの古い民族は、現在の白系ロシア人とは全く別なのだが、女真族といい、彼らは黄色い髪をしていたという話が残っている。(女真と金国の文化・M.B.ヴォロビヨフ著 ボロンテ出版)
北欧からはるばると大陸を渡ってきた可能性もあるかもしれない。
まあまさか、皇族は金髪ではないので、モンゴロイドの民族で、シベリアの民族だったのかもしれないな、ぐらいに思っておこう。今日の妄想は、この辺で。


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