「海東の舞姫」舞台シナリオ

時代背景

平安京にある豊楽殿では、天皇が海外からの使者を饗応するための宴会が行われる。平安時代、唐からの使者も訪れたが、それ以外の国からも、頻繁に使者がやってきていた。その国の名は「渤海国」(698~926)北朝鮮とロシアの極東地域と中国東北部を合わせたような広大な国で、新羅と唐に滅ぼされた「高句麗」の遺民と、その地域の靺鞨人(まっかつ)が共に戦って勝ち取った国だ。土地は寒く、庶民は半地下の竪穴式住居に独自の床暖房の工夫をして、農耕と狩猟で暮らしていた。交易品は毛皮が有名だった。京の都でも大人気だったそうだ。支配層は高句麗の末裔を自称しており、唐の文化を積極的に取り入れた。巨大な都城を造り、貿易を盛んに行った。仏教や儒教を尊び、漢詩などの教養水準も高かった。渤海使と菅原道真やその息子など都の教養人たちが交わした漢詩の応酬が詩集として残り、彼らの友誼とその心情を余すところなく表している。渤海が滅びた後に勃興し、北部中国を支配した女真族の「金国」に比べても文明的な匂いがする国だ。もっとも支配層の高句麗遺民は少数で、ほとんどは靺鞨人だ。彼らは自然の精霊を信仰していた。水の精霊や竜に捧げる儀式などがあり、音楽や舞が盛んだった。その一部が日本に伝わり、高麗楽として今も宮中の雅楽の中に残っている。

一部 豊楽殿の舞姫

御所の中、舞姫が3人で歩いてくる。今日は舞を教主から学ぶ日だ。

音楽が流れ、3人で絡むように踊りながら入場してくる。(入場の曲1)

広場で教主が待っている。すぐに音楽が始まり、教主が見本を見せる。
(舞楽の曲)

3人は興味津々だ。やがて教主が踊り終えた。3人に踊るように指示をする。

舞姫たちは踊り始めるが、皆少しづつ間違えてしまう。

教主は厳しく教えていく。間も無く渤海使の宴会があり、この踊りを舞うからだ。

3人が帰った後、教主は深刻な顔をして悩んでいる。
朝廷の決定で舞姫たちが渤海へ献上されることが決まったからだ。一人前になったばかりの子らが選ばれた。

教主は逆らえぬ運命を嘆いて踊る。(嘆きの舞楽)

宴会当日になった。豊楽殿には使者一行が会場へと入ってくる。(入場の曲2)

歓迎の勇壮な曲も披露される。(賑やかな宴会用の曲)

それから教主の舞が披露される。(穏やかな中に複雑な感情が吐露される曲)

最後には舞姫の踊りが披露された。(舞楽の曲)

使者は大喜びで立ち上がり、舞姫を連れて本国へ帰っていく。

舞姫たち悲痛な表情、教主は悲しみのあまり立っていられない。
(バンドネオンと笛の音)

幕 暗転

二部 舞姫のための鎮魂の踊り

遠い昔の話。靺鞨の村の情景。

あの舞姫たちは前世で、靺鞨の村人として幸せに暮らしていた。

靺鞨(まっかつ)族として村で暮らす娘たちは、春の儀式を心待ちにしている。

春の水を司る竜の祭りが行われるからだ。

祭りには旅人や商人など外部の人間もやって来る。

旅人は荷を下ろして、中の楽器を取り出し、曲を披露する。(バンドネオンソロ)

周りには自然に人が集まってくる。娘が一人で踊り出す。

もう一人の旅人が楽器を奏で始める。(バイオリンソロ)

太鼓の音がそれに合わせて鳴り始める。娘が二人それに合わせて踊り始める。
(村娘の踊り)

段々と楽器が増えていき、やがてみんなで大合奏になる。他の娘も参加して踊る。

笑顔が弾けて(笑い声)音楽が終わるとシャーマンが現れる。

そしておごそかに祭りの開催を宣言する。

竜を祀る音楽が静かに始まり、シャーマンが踊り始める。(シャーマンの踊り)

踊りは徐々に激しくなっていく。合わせて音楽も高まっていく。祭りの目的である冬を追放するために、牛の像が葬られる。(大きな音と共に像を壊す)

娘たちは太鼓を持ち出し、それを叩きながら踊り始める。(娘たちの叫び声)男たちも太鼓を叩いて参加する。(太鼓の踊り)

さらに踊りは熱狂していく。最後は踊りながら娘たちは村へ繰り出していき、村人総出の踊りの輪が広がっていく。


「作品解説」

縄文時代1万年の平和ということが最近よく言われています。争いの痕跡がないのだそうです。平安時代というと、とても古い時代と思われがちですが、たかだか千二百年前のことに過ぎません。そしてその短い千二百年間ですら、我々はほとんど平和には暮らしていないのです。

このシナリオは史実に基づいて書きました。舞姫たちは(年齢は推定ですが)ほんの14、5歳で渤海へと送られてしまいました。国の外交上の贈り物にされたのです。当時の権力者、藤原仲麻呂は新羅を征伐したいと考え、渤海を味方につけたかったのです。しかもそれから18年後の777年に、今度は渤海国から唐の国へと、貢物として送られてしまいます。そして彼女たちは日本に帰ることはありませんでした。国同士の外交の道具として、犠牲になったのです。

平安時代といえど、スマホが無いだけで、今とそんなに変わりません。バイク(馬)もあり、車(牛車)もありました。人よりお金を儲けることが人生の価値でした。もう縄文時代のような平和な楽園ではなかったのです。舞姫のように犠牲になる女たち、地位や権力に奢る貴族。

我々の文明は縄文時代から本当に進歩したのでしょうか。もし、進歩したと言うのでしたら、それは何のためなのでしょうか。

誰も犠牲にしない平和な時代を、私たちが作れますように。舞姫たちへの鎮魂の祈りをこめて                

                                TAKESHI

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