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どこまでも行こう!刈谷のサッカー 時代も世代も超えてつなぐもの

JFL昇格をかけた全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(以下・地域CL)が大詰めとなりました。今年度の地域CLでは優勝チームと準優勝チームは、JFL下位2チームとの入替戦に勝てばJFL昇格となります。

この入替戦は該当チームの関係者やサポーターにとって非常に大事な試合となるのでドキドキヒヤヒヤします。この当事者以外にも落ち着かない人たちがいます。その人たちとは、該当するチームが所属するサッカー協会です。

上位カテゴリーに所属するチームが昇格、残留、降格いずれにしても、次年度のリーグ編成に頭を悩ますからです。昇格するチームがいた場合は降格チーム数を減らすだけとなるので、さほど問題はないです。反対に降格するチームがある場合は大変です。

なぜなら、次年度に予定していたリーグ編成をやり直す必要があり得るからです。試合会場の確保は上位リーグが優先的に押さえていくため、カテゴリーが下のリーグになればなるほど試合日程が決まる時期は遅くなります。このようにJリーグやJFLだけでなく、47都道府県全てのアマチュアサッカー界全体においてもリーグ戦の昇格・残留争いに悲喜交々があるのです。

アマチュアサッカー界のリーグ戦が終了した後は完全にオフシーズンと思われがちですが、そうではないのです。

たとえば僕が所属していた神戸市サッカー協会では、年明け1月末から3月末にかけてカップ戦(トーナメント戦)が行われます。この大会は神戸市サッカー協会に登録する関西リーグチーム、県リーグチーム、神戸市1部から4部リーグの上位チームで争われます。

20年以上の歴史あるローカル大会の正式名称は神戸市リーグカップ、通称・ユーハイムカップと呼ばれています。

ん?ユーハイム??

そうです。神戸のバームクーヘンでお馴染み、洋菓子メーカーのユーハイム社の名称がついた大会です。

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ユーハイム社は前会長の河本春男氏によって兵庫県下のスポーツ振興活動を行ってきたことが始まりです。1972年には神戸市サッカー協会の設立当初から支援し、1983年より財団法人ユーハイム体育・スポーツ振興会(2011年からは公益財団法人)してスポーツ指導者の見聞を広めるために海外視察や講習会への派遣などを行っています。その振興活動の中にユーハイム社の冠がついたサッカー大会などがあります。

神戸市立図書館にある「神戸賀川サッカー文庫」の運営もしています。なお、宇都宮徹壱さんの著書『フットボールの犬』も貯蔵しているので、神戸へのサッカー旅ではぜひ足を運んでご確認ください!

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神戸市サッカー協会発行『月刊 神戸のサッカー』創刊号
現在は休刊中。広報紙1面の左上にあるユーハイム社の協賛広告をご注目ください。
また、バックナンバーはこちらからご覧ください。
https://www.kobe-fa.gr.jp/%E5%BA%83%E5%A0%B1%E7%B4%99/%E6%9C%88%E5%88%8A%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC/

ちなみに、ユーハイムカップでは参加賞として全出場チームにバームクーヘンのプレゼントがありました(現在はこの参加賞がなくなりました)。僕が所属していたチームは2006年度は準優勝、2007年度は優勝しました。たとえローカルな大会であっても、優勝する喜びは何年経っても気持ちがよいものです。

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決勝戦はハゲ散らかした天然芝のグランドで行われました。人工芝でのプレーも嬉しいですが、コンディション問わず天然芝でプレーする幸せは格別です。歳を何年重ねても、サッカーボールを蹴り始めた少年時代の素直でまっすぐな気持ちになります。

今回のサッカー旅は愛知県刈谷市へ行きました。刈谷市へ旅をする大きな理由があります。僕の恩師から刈谷と神戸には歴史的にサッカーを通じてつながっていること、刈谷にはサッカーボールの周りにある素敵なお話がたくさん転がっていることを教わりました。その1つに今お話したユーハイム社と神戸のサッカーとの関係も含まれています。

百聞は一見にしかず、刈谷市から発信するサッカー文化に触れ、ついでにJFLのFC刈谷といわきFCの試合を観に行こうと思い、僕は旅立ちました。

サッカー好きの方に伝えたくなる、とっておきのサッカー話を集めてきました。どうぞ最後までご覧ください。


刈谷の赤ダスキは、なぜ赤ダスキなの?

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刈谷市のサッカー旅は名古屋鉄道・三河線の刈谷市駅から始まります。ここから徒歩10分圏内にある日本サッカー界の歴史に名を刻むとある場所へと向かいます。

とある場所とは、愛知県立刈谷高校です。

刈谷の赤ダスキという有名なキーワードを聞いたことがありますか?「オールドファンにはお馴染み」という枕詞が使われますが、サッカーに携わる者としては知っていて欲しいお話です。

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大正8年、刈谷高校の創立と共にサッカー部が創部しました。 当時の紅白戦は現在のようなビブスがないため、チームを区別するために赤ダスキをかけていました。その後、対外試合においても刈谷高校サッカー部は赤ダスキを使用していたことから、現在では学校の伝統として白色を基調とし赤ダスキをデザインしたユニフォームを使用しています。またJFLのFC刈谷の2ndユニフォームにも使用され、赤ダスキは刈谷のサッカーにおけるシンボルとなっています。

ここまでのお話は有名なエピソードです。では、なぜ赤ダスキなのかという理由はいかがでしょうか?

色々な諸説がありますが、その中でも僕の恩師が赤ダスキを実際に使用した方から教わった説をご紹介します。

実際に使用した方とは、冒頭で紹介したユーハイムの前会長の河本春男氏(旧制・刈谷中学校サッカー部の出身)です。

氏曰く、そもそも大正時代の色物の服は非常に高価なものだったそうです。そのため、生徒から部費を集めてもフィールドプレーヤー10人分の色物のシャツを揃えることができませんでした。そこで、色物の布地の中で一番安く手にすることができたのが赤色の布地だったことから、刈谷高校サッカー部員は赤色のタスキを作って紅白戦に使用したという苦肉の策だったそうです。

FC刈谷は昨年度までこの赤ダスキをデザインしたユニフォームを1stユニフォームとして使用していましたが、今年度より2ndユニフォームとしてアウェイゲームで使用しています。その理由については分かりませんが、きっと「刈谷のサッカー」を全国に広めるという意味においてあえて2ndユニフォームにしたのではないかと思われます。

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2021年度 JFL24節 対FCティアモ枚方より


元祖日本代表サポーターのサッカー和尚とは

サッカー日本代表は1998年フランスワールドカップ初出場し、通算6大会連続出場していることからワールドカップ本大会出場は当たり前の感覚となっています。また、当たり前の光景と言えば、サッカー日本代表のチャントのVAMOS NIPPON(バモス・ニッポン)がこだまする青色一色に染まったスタジアムなどでしょうか。

この「当たり前」という感覚は、よく言われるように1993年Jリーグ開幕とドーハの悲劇をリアルタイムで見て覚えている世代とそうではない世代に大きく違っているように思います。

僕はリアルタイムで覚えている世代です。しかしながら、たとえば岡田武史氏や原博実氏、松木安太郎氏などが1980年代前半の日本代表として戦っている姿、それ以前で言えば釜本邦茂氏が活躍した日本代表のことを全く知りません。ましてや現在のようにウルトラス・ニッポンを中心とする応援スタイルがあったかどうかも想像できません。

このような日本サッカーの夜明け前をよく知る方がいると聞き、刈谷高校から車で約15分の場所にある愛知県知多郡の曹洞宗・東光寺へ行ってきました。

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日本サッカーの夜明け前のことを知る方とは、サッカー和尚こと曹洞宗・東光寺 元住職の鈴木良韶(りょうしょう)さんです。ちなみに応援するJリーグクラブは名古屋グランパスです。

サッカー和尚が25歳の時、1962年(昭和37年)12月にディナモ・モスクワとスウェーデン選抜を招待した第1回三国対抗戦が東京・後楽園競輪場で行われました。この時代のスタジアムは閑古鳥が鳴く以前に鳴くものすら見当たらない、本当に静かなスタジアムだったそうです。

1962年12月9日、対スウェーデン選抜戦で和尚とそのサッカー仲間は日本代表を応援するのに何かアピールしないといけないと考え、横断幕を作って応援しました。

必勝日本!ゴール前で徐行をするな!

私設応援団 日本サッカー狂会

その横断幕に書かれていた私設応援団名が現在にも続く日本代表を応援する会の名称となりました。つまり、この日本サッカー狂会は元祖日本代表のサポーターグループであり、和尚とその仲間は元祖日本代表サポーターとなりました。

また、日本サッカーを応援する輪を広げることを目的とする手作りの会報誌『Football』を狂会が発足した3年後の1965年(昭和40年)11月23日に創刊しました。この会報誌は、和尚が編集、印刷、製本、発送全てを担当しています。また、創刊当時はガリ版印刷で行い、現在ではWordではなくワープロで作成しています。

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当時の応援スタイルは特になかったそうです。しかし、スタジアムで会員一同の他、一般の観戦者たちも簡単に応援できるスタイルはないかと考えた結果、今でも他種目の競技の応援にも使われる「ニッポン・チャ・チャ・チャ」のリズムを考案しました。

このように和尚は僕が全く知らない時代の日本サッカーを応援する風景をたくさん教えていただきました。中でも特に強調してお話されたことがあります。

狂会の最大の目標として、「日本のサッカーを強くし、盛んにするためにも日本のサッカーにもプロリーグを作ろう!」という動きを全国に広めることでした。

日本サッカー狂会は地道な活動を行い続けた結果、日本サッカーを応援する輪が全国へ広まり、30年余りの時を経てようやくプロリーグが「Jリーグ」として創立されました。最大の目標が達成したのち、日本代表がワールドカップ出場することが当たり前となる時代になっても、日本サッカーを応援する想いは狂会の発足時と全く変わることがないそうです。

また、「若い世代にはもっとサッカー楽しんで、もっとサッカーを好きになってほしい。初対面で世代が違っていても、サッカーの話で盛り上がるって凄いと思いませんか?」とサッカー和尚は熱を込めてそう言います。

1978年ワールドカップ・アルゼンチン大会を観戦して以降、あらゆる国でサッカー観戦することの他、文化や風習に触れることの大事さを説くサッカー和尚こと鈴木良韶さん。最後にカタール大会への観戦について訊ねると、

何がなんでもチケットを手に入れて、必ず観に行く

と力強く断言しました。サッカー和尚とのサッカー談義はほんとネタが尽きません。時間が許す限りたくさんお話ができました。またお会いすることを約束し、僕は次の目的地へ向かいます。

とその前に!サッカー和尚が手にしている本・サッカー旅を食べ尽くせ!すたすたぐるぐる埼玉編は、公式オンラインショップの他、Amazonや長野県松本市にある興文堂などでご購入いただけます。ぜひご購入お願いします!
これよりJFL30節・FC刈谷vsいわきFC観戦記をぜひご覧ください!
旅とサッカーをテーマとするOWL magazineは月額700円(税込)でお楽しみいただけます。記事は毎日更新し、1日たったの25円で様々な角度からサッカー文化に関する記事をご堪能できることをお約束します!
ご参考価格
FC刈谷 ホームゲーム当日チケット 大人1,000円
名古屋鉄道 入場券 大人170円、小児90円


JFL30節・FC刈谷vsいわきFC観戦記

曹洞宗・東光寺からFC刈谷のホームゲームが行われるウェーブスタジアム刈谷までは車で約25分。僕はスタグルを基本的に食べないので、昼食をおにぎりと100円コーヒーで済まそうと思いながら車を走らせました。

この時の僕の口はセブンイレブンです。しかし、道中で見つけたコンビニの看板はファミリーマート、ファミリーマート、ファミリーマート、ってどこまで続くねん!少し苛立ちました。刈谷市はファミリーマートに占領されているのでしょうか。申し訳ないけど、今日はセブンイレブンやねん。次こそセブンイレブンと思っていた矢先、とうとうスタジアムに到着しました。

無料駐車場に入り、スタジアムに目をやるとJFLでは見慣れない人集りができていました。

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この人集りには女性客が多く、またスタグルのお店に長蛇の列ができていました。FC刈谷、マジっすか!?JFLから東海リーグに降格し、今年再びJFLへ復帰するまでの長い時間の中でしっかりと女性ファン層の心を掴んできたのか!?

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