ワールドスタンダード
防人への敬意
先日、ネット配信記事で、自衛隊の過去の活動に関する感動的なエピソードを知ったので、ぜひ多くの方に知ってもらいたいと思い紹介することとした。
1994年に、日本は、内戦が発生しているアフリカのルワンダに、国際平和協力法に基づく人道支援活動として、難民救済等にあたるために自衛隊を派遣した。
治安や衛生状態が極めて悪いことを理由に、各国が参加を渋るなかでの派遣決定であったが、 これには、アメリカが日本に対して常任理事国入りをほのめかし、これに迎合した外務省の思惑もあったらしい。
しかも、当時与党であった社会党は、現地の治安が極めて悪いことも一慮だにせず、過剰武装は許さないとして、個人装備の拳銃以外は機関銃一丁と、ほぼ丸腰に近い形で部隊を派遣させたのである。
この派遣により現地に赴いた自衛官は260名にものぼったが、現場の難民キャンプは、武装ゲリラが出没するほか、エイズも蔓延しているなど極めて危険な地域であった。
しかし彼らは無事に人道支援や医療支援等の任務を務めあげたうえ、武装ゲリラに拉致されたNGO所属の日本人医師救出まで行ったのである。
これに対して、日本の一部のメディアは、「自国民救出は自衛隊の越権行為だ」などと訳の分からない批判をするものまであった。
日本人の命を救うことが本来の自衛隊の任務なのに・・・
また、政府も任務が終了して帰国する隊員に対して
民間機を利用すること
制服ではなく私服で乗ること
など、任務を果たした自衛隊に対する敬意のかけらもないような冷遇だったという。
まだ自衛隊のPKO(国際連合の平和維持活動)などが開始されたばかりで、政府やマスコミも自国の軍隊ともいえる自衛隊が海外で目だった活動をすることに神経質になっていたからかもしれないが、危険な地域で任務を完遂したものに対する感謝の念などなきに等しかった。
しかし、彼らを載せた日航機のパイロットは違った。
その年の押し詰まった12月27日、ロンドンから搭乗した時、周囲の乗客は、ひどい身なりの集団に驚いたという。
しかし彼らが、異郷の地で頑張った自衛隊員と知るのは、飛行機が公海上に出てからの機長の次のアナウンスによってだった。
このたびは、任務を終えて帰国される
自衛隊の皆様、長い間本当にご苦労様
でした、国民に成り代わり機長より厚
お礼申し上げます
当機は一路日本に向かっております
皆様どうぞ故国でよいお年をお迎え
ください
そのアナウンスが終わるや、異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内いっぱいに広がったという。
その後飛行機が成田に着くと、隊員たちはコクピットの見える通路に整列して、機長に敬礼したらしい。
後日、機長はこの日のことについて
乗客リストを見て、自衛隊のこと
を知りました
日本人として当然のことをしただ
けです
と答えたそうだ。
海外では、「自国を守るために戦う人々に敬意を払う」というのは普通のことだ。
それが、ワールドスタンダードなのだ。
おそらく、世界を旅する機長は、それが分かっていたからこそ、その世界基準(ワールトスタンダード)に沿った対応をしたのだろう。
古来日本では、九州沿岸で国防に従事していた武士のことを「防人(さきもり)」と称し、これが転じて現在では、常に危険と隣り合わせで国や地域の安全を守る職務に従事する自衛官、警察官、消防官、海上保安官などを比喩的に指すこともあるらしい。
本来であれば、これらの職にある方々の日陰の苦労があるからこその平和な日本でありそれに感謝することは当たり前のことなのだが、長く平和な日本にいれば、そのことが分かりずらいかもしれない。
しかしウクライナを見れば分かるとおり、国家が蹂躙されるような事態にでもなればその矢面にたっておのれの命をかけて国民を守るのは軍人であり、彼らに対するウクライナ国民の敬意の表れは報道等でも目にするところである。
それが国を守る人々に対する、右も左もない普通の感覚である。
ところが日本の多くのマスコミは、日本の防人の不祥事や非違事案等があれば、それこそ鬼の首を取ったように大騒ぎはするが、彼らに敬意を表するような報道等はあまりしない。
全てのメディアとまでは言わないが、その多くは
権力というものは、我々メディアが
常に監視していなければ増長肥大し
て、善良な市民の敵となる
という「権力悪玉論」で固まって 、思考がストップし、物事を多面的に捉えることができない、いわゆる機能不全に陥っているのではないだろうか。
しかし真の日本人であれば、マスコミ等の意見に「左・右」されることなく、現在の「防人」に対して、大いに敬意を払うべきではないだろうか。
我が国にとって、周囲の安全保障環境が喫緊の課題である現状を鑑みる時、この「防人」の役割は極めて重要である。
ワールドスタンダードが何かを知らない人の意見よりも、この機長のように、日本人として国家と国民のために我が身を盾として立ち上がる気概を持つ「防人」に対しては
当然のこと
として敬意を示そうではないか。