幻の戦闘機「震電」を訪ねて
日本は技術大国だ、そしてこれからは、資源大国にも❗
先日、福岡県太刀洗町にある
太刀洗平和記念館
を訪れた。
目的は、今年の7月から公開されることになった、旧日本海軍の
震電
という戦闘機の実物大模型を見るためだ。
この戦闘機は、先の大戦末期に、旧海軍が、当時本土爆撃で苦しめられていた米軍の
B29
という爆撃機を迎撃するために試作したものらしいが、実際に戦闘に参加することなく終戦を迎えた、いわば幻の戦闘機である。
当時、レシプロ戦闘機つまり零戦等のプロペラが機首にある戦闘機は
高度 8,000メートル
最高速度 時速600キロメートル
が、ほぼ限界性能であった。
しかし、B29は、航続距離9,000kmという性能を生かして、日本の戦闘機がいない遠方の基地から、高度10,000メートルで飛来して日本本土を爆撃したので、日本としては、そのB29の性能を上回る戦闘機でなければ、迎撃が困難だったようだ。
このため、当時福岡県にあった
九州飛行機
という会社が震電の制作にかかわって、高度12,000メートルまで飛行可能で、最高時速も750キロメートルまで出すことができる究極のレシプロ戦闘機を完成させたのである。
その震電は、試作機が3機作られ、昭和20年8月3日に初飛行したが、その後8月15日に終戦となったので、一度も実戦には出ることがなかったようだ。
上の写真は、震電を後方から写したものであるが、当時のレシプロ戦闘機と明らかにスタイルが異なり、プロペラが後ろに配置されて、ジェット戦闘機のようでもある。
事実、このあと時代は、ジェットの時代になるので、震電はレシプロ戦闘機の最後を飾る傑作だったといっても過言ではないだろう。
かって日本は、技術大国だったのだ。
しかし日本は、資源貧国であったため、最終的には、圧倒的物量を誇るアメリカに負けてしまった。
逆にアメリカは、日本の技術力の高さに恐れをなして、戦後の占領統治時代は、日本人が、飛行機、それも模型飛行機でさえも設計したり製作したりすることを禁じたらしい。
このため、戦後から現在に至るまで、世界の航空機市場は、アメリカをはじめとした欧米に市場を独占されることになってしまったが、どっこい、人的資源、つまり戦前、戦中まで、日本の最先端技術を支えた技術者は残ったのである。
そして生き残った技術者たちは、鉄道事業や自動車産業に流れ、新幹線や自動車をはじめ多くの分野で、またこの国を世界最先端の技術大国にしていただいて、戦後の復興に大きく貢献したのである。
また歴史を遡れば、幕末に日本を訪れた欧米人が、当時最先端の技術がなければ作れなかった蒸気船を、日本人が短期間で、いとも簡単に作り上げたことに驚愕したらしいことからも、もともと日本は技術大国になる素地があったのである。
技術的分野においては、日本は人的資源は豊富だったのである。
弱点は、物的資源である。
とばかり、最近まで思っていた。
ところがである。
これからは、海底資源の時代のようだ。
日本はまわりを海に囲まれ、領海、それに続く排他的経済水域を含めると、その広さはなんと世界第6位で、まさに海洋国家と呼ぶにふさわしく、その海底に眠る海底資源は、全て日本のものになるらしい。
そして、その海底資源の拙作技術も世界一のものを有しており、日本の海域には、石油、天然ガスといったエネルギー資源はもとより、レアアース等の先端産業に必要な資源も大量に存在することが、これまでの試掘で判明しているらしい。
あとは、いかにそれらの資源の開発コストを抑えて、商業ベースにのせるかという問題だけのようだ。
ということは、日本は、本来有していた人的資源だけでなく、近い将来には物的資源も豊富な、世界の誰しもが羨む豊かな国になるということだ。
歴史に、if(もしも)はないが、もし先の大戦時にこの海洋資源を生かせていたら、日本は戦争に勝っていたかもしれないなどと夢想してしまう。
いずれにせよ
日本の未来は明るいということだ。
これからの日本を背負って立つ若者が羨ましいかぎりである。
頑張れ日本⤴️
頑張れ日本人🎶