音のない世界へ
先日テレビのニュース番組で、工事現場の騒音問題をやっていた。
その中で、建物の解体に伴う騒音をいかに減らすかという対策で作られた工具の紹介をしており、これまではエンジンで大きな音が出ていた工具が、電動化でかなり騒音が小さくなったということを説明していた。
その現場近くに住んでいる方からすれば、そのような騒音は深刻な問題に違いないのでいい取り組みだと思う。
世の中を見渡せば、音の問題というものはあふれかえっている。
車、鉄道、飛行機など乗り物が発する音、音楽などのイベントに伴う音、各種生活音など、この世はいろいろな音であふれかえっており、それぞれいろいろな対策が取られている。
しかし、世の中は色々な音であふれかえっているからこそ、人間を楽しませてくれるという一面があるのも事実だ。
乗り物の発する音というものは、マニアにとってたまらないもので、私も若い頃は、ハーレーというアメリカ製のオートバイに乗っていたので、今でもその独特なエンジン音はすぐ分かり、好きな人にとっては、魂を振るわせる魅力的な音だ。
しかし、興味のない人にとっては、暴走族と何ら変わらないかもしれない。
今はもう現役引退した蒸気機関車も、イベント等で走る時には多くの人々が駆け寄ってくるが、その魅力のひとつは力強い蒸気機関の音である。
ジェット旅客機のエンジン音も、その道のマニアにかかれば、機種ごとに聞き分けられる人もいるとか・・・
音楽やイベント等から出る音は、参加している人にとっては至福の時を味わうなくてはならない要素であろう。
しかし、これらの音に無縁な人や楽しみを見いだせない人にとっては、単なる騒音でしかない。
また音は、いい意味で人々に緊張感を持たせる要素となっていることも多い。
エンジン音があるからこそ、道路を歩いている時に、車の存在に注意する。
最近の電動車やハイブリッドカーなどは、逆にその静かさゆえに、かえって存在に気づきにくく、事実そのことが原因となった交通事故のニュースを時々耳にする。
工事現場などでも、余りに静かすぎれば、逆に近くを通行する人にとっては、そのことに対する注意力が散漫にならないだろうか。
その他、耳からの情報で危険を察知する場面はよくあり、静かな環境に慣れてしまえばその能力が低下することはないだろうか。
このように音は、苦痛を伴うものか、楽しみを伴うものかという相反する問題を抱えており、結局どちらを優先するかは、その時代のマジョリティーに左右され、今のところそれは
音のない世界
へ向かっているようだ。
ただ人間は、どんなに時代が変わっても、目、耳、鼻、口、手などの五感を使って外界を感知する動物である。
せっかく与えられた五感のひとつである耳からの情報を遮断する方向にだけシフトするのは、もったいないと思ってしまう。
NHKラジオの番組で
音のある風景
というものがある。
これは日本各地の色々な音を収録して、その音から風景を想像して味わうというものであるが、この番組のように、時には音を楽しむという余裕も必要なのではないだろうか。
結局、音をはじめ、五感を通して得た情報の受け取りかたは、人それぞれだと思うので、要はそれを社会全体でどうコントロールするかということに行きつくと思う。
そのひとつである「音」とどのように向き合うかについても、人類にとって永遠のテーマなのかもしれない。
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