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同窓会に出席して

出席してよかったなあ!

 以前
   届いた同窓会案内
というタイトルで
            出席すればおよそ50年ぶりとなる高校
            の同窓会案内が届き、出席を「決意」
            するまでの心情
などを吐露した。

 そして、先日その同窓会に出席した。
 結論から言って、サブタイトルに書いたとおり
   出席してよかったなあ!
だった。

 会は予定どおり、高校所在地のホテルで開催された。
 出席者は、案内状が送付された方210名のうち72名。
 遠くは東京、千葉、関西方面からや、私のように地元ではないものの県内居住者も含めてかなりの出席者となったようだ。

 ただ当初の予想どおり、会場に着いて回りを見渡しても、ほとんど思い出さないほど、皆さん良くも悪くも様変わりしている。
(様変わりという表現は、以前の容貌を覚えていることになるので正確ではないが)
    さもありなん。
    なにせおよそ50年(正確には47年らしい)ぶりだ。

 地元で普段から顔を合わせているらしい人たちは、それぞれあちこちで談笑にふけっている。
    しかし私のように高校以来初めての出席というような人たちは、誰と話していいか戸惑っている様子が分かる。
   「久しぶり」というにはほど遠く、「初めまして」に近い。

 それでも高校の頃の顔だちが少しでも残っている人を見かけては声をかけたりして開場前のひと時を過ごしていた。
 その時一人の男性から
   あれっ!
   〇〇君じゃない?
と声を掛けられたが、こちらは相手が誰なのかとんと検討がつかずにいたところ
   ほら、クラスは違ったけど
   隣のクラスだった△△だよ
と言われた。
    瞬時に脳内のハードディスクを検索するも、胸に着けられた名札を見るも思い出せない。
 でも、そこは年の功。
   あーっ、△△君
   久しぶり、元気そうだね
と当たりさわりなく返す。
 
 会が始まれば、そのうち思い出すだろう。
 ところが、彼は地元幹事のひとりだったらしく
   さっき、受付名簿をみたら二次会
           の出席には〇がついていなかった
   みたいだけど・・・
   二次会行かないの?
   みんな行くようだから
   ちょっと心配になって・・・
と言われた。

 なんだ、そういうことか。
 向こうも私を覚えていたのではなく、二次会に出席しない人をチェックして、出席率を上げるために話しかけてきたのかもしれない。
 ちょっと興ざめした。
 でもそれは、ひねくれた見方か。
 せっかく声をかけてくれた好意を無駄にするのもどうかと思い、受付に戻って二次会のための費用を別途3,000円支払うと、今度は受付にいた女性幹事から
   できれば同窓会のほうにも
   寄付をお願いします
   一口1,000円からです
と微笑みながら優しく言われる。
 なるほど、うまく金を集めるようにできている。

 あ〜だめだ、だめだ❗
 そんな考えは、年を重ねた穿った見方だ。
 今日だけは散財して青春時代に戻り、純粋に楽しもう。

 会場入りして、指定された円卓の席に座った。
 それぞれの円卓には、男性3名、女性3名くらいの配置だった。

 開会のあいさつ、唯一出席していただいた恩師(よくぞご存命でいらっしゃった!)から乾杯の御発声等をいただいて宴となり、次第にまわりと打ち解けていって歓談をするようになった。

 始まって30分くらい経ったところで、ステージのスクリーン上に、卒業アルバムから撮ったと思われる出席者の写真がひとりずつ映し出され、会場内あちこちから現在の本人と見比べて歓声やら悲鳴やら・・・

 引き続き、出席者ひとりひとりに簡単な自己紹介も求められ、みなそれぞれ卒業後の人生や現況等を語って同窓会らしい雰囲気が高まっていった。

 この昔の写真上映と自己紹介がよかった。
 私の脳内ハードディスクが瞬時に高校時代に戻され、だんだん出席者とそれぞれの写真が結びついていった。

 その思いはみんな同じだったらしく、それからは皆急に打ち解けたようになって、人によっては自席を離れてほかの同窓生のところへ足を運び、再会を祝したり、昔話に花を咲かせる状況になった。

 さて私の左隣に座った女性。
 乾杯をしてから雑談はしていたが、名札を見てもとんと思い出さない。
 女性の場合結婚した人もいることを考慮して胸に付けた名札は旧姓のままで書かれているということであったが、その姓の読みさえ分からない。
 結婚のことを聞けば、してなかった場合逆に女性を傷つけることになるだろうし。
 でも年をとったとは言え、結構目鼻立ちのすっきりした綺麗な顔をなさっている。
 話をしているのに名前を呼べないのも失礼かと思い、しばらくしてから
   あなたの姓は何と読むんだったっけ?
と聞いた。
 すると耳ざとくそれを聞いていた私の右隣りに座った中学校からの同級生男性から
   えーっ!
   彼女の名前知らなかったの
   お前本当にここ卒業だった?
   もぐりじゃない?
とからかわれる始末。
 ということは、それほど当時から男子生徒の目をひく存在だったのか?
 でも、分からないものは分からない。
 彼女から読みを聞いても、どうしても思い出さない。

 ところがである。
 なんとビックリだった。
 さっき、その本人の高校時代の写真と名前がステージに写されて驚いた。

   えっ!
   そうだったの・・・
   名前すら忘れていたのに
   もしかして「K子」さん?
    改めて彼女の名札を見るとその通り。

 少し酔いが醒めて緊張した。
    「密かに思いを寄せていた子」
だったからだ。
    「マドンナ」だったからだ。
    今ではマドンナという言葉さえ死語だろう。
             あこがれの女性
ということだ。 
    高校の時には話したことさえないはずだ。
    しかし年をとったとは言え、昔より綺麗になったようだ。
    おまけにメガネまでかけているし・・・
    だから余計気付かなかった。 

 私は高校の時のアルバムも紛失していたため、同窓会に出席するまでは、彼女の顔は私のうっすらとした記憶の中にしかなかった。
 高校の時、クラスで友達と談笑している姿を盗み見るだけで嬉しかった純情な時代が思い出された。
 しかしそれも50年前だ。
 おまけに名前さえ忘れていた。
 実は今回会場入りしてからも、こっそりと記憶の中の彼女がいないか目を泳がせたが分からなかった。
   そうか彼女は今回は出席して
   いないのかなあ
   でもみんな顔も変わっているし
   ひょっとしたらどこかに座っていて
   分からないだけかもしれない
 心の片隅でそう思いながら、同窓会を楽しんでいた。
   
 ところがその思い出の中の彼女がステージ上のスクリーンに大きく写し出されたのだ。
 そしてその本人が私の隣に座っている。
 「灯台もと暗し」とはよく言ったものだ。
 動揺しないわけがない。
 名前すら思い出せなかったこと、おまけにその名前を聞いてしまったことなどを後悔したが、あとの祭り。
    そして心を落ち着けようと思い、あわててアルコールを流し込んだ。
 
 しばらくすると、彼女は自分の手元に持参していた高校時代のアルバムを開いた。
 そしてそれを私にも見せてくれた。
 緊張のため少し無口になっていた私だったが、そのアルバムに救われた。
 その後私と彼女はそれを二人で覗きこみながら、皆の若かりし頃の思い出話や現代の姿を見比べたりしながら談笑した。
 高校時代には話すことのなかった人と話している・・・
    高校時代はかわなかった夢がかなった❗
 同窓会っていいなあ。
 こんなこともあるのだ。 
 しかし彼女が既に結婚していることを知り
    子供はいるけど
    孫はまだだなの
と言った言葉に、現実に引き戻された。

   そうだよなあ
   50年も経てば誰しも人生の
   最終コーナーを回ったあたり
   そうなっているよなあ

と心を奮い立たせ、その落ち込みを悟られないよう、しばらくしてからほかの席に歓談に回った。

 そしていろいろな人と話ができた。

 医者になった者
 大学教授になった者
 地元で親の稼業を継いだ者
 私のようにサラリーマンとして平凡な人生
 を送った者
 次の市長選挙出馬を狙っている者
 普通の主婦に収まった者
 病気療養で苦しんでいる者
 
 などなど、卒業後それぞれの人生を知ることができた。

 そして逝去された方々のことも耳にして、今この場にいて歓談できている幸せを感じずにはいられなかった。

 おまけに思いを寄せていた子が隣に座っていたという幸運にも恵まれた。

 会は盛況のうちに、およそ3時間があっという間に過ぎて終了し、一旦当日予約していた近場のホテルにチェックインした。
 そしてシャワーを浴びて少しゆっくりしてから、2次会会場のスナックに出向いた。

 予定より少し遅れて着いたこともあり、もう店内はカラオケを歌ったり、大声で歓談する声で騒然としていた。
 座る場所を探していたところ、先ほど50年来の大失恋を味わったK子さんが目に入った。
 何か声をかけられたようだったが、店内の騒音がひどくてよく聞き取れなかった。         
    また先ほどの失意もよみがえって、近くに座ればまた緊張してしまいそうでそちらに行く勇気もわかず、少し奥のテーブルに席をおろした。

 そこで飲んでいる時に、ある女性から話しかけられた。
 彼女は私の耳元に口を寄せ、小声で
   今だから言うけど
   あなた高校の時人気だったわよ!
   私のクラスでも話題になっていたもん
とのたまわった。
   それをこの年になって言うか?
と言いたくなる気持ちを押し殺して、笑いながら聞き流した。

 でも待てよ!
 だったらもっと積極的に動いていればよかったかなあ。
 なにせあの頃は、真面目だけが取り柄の優等生(?)だったからなあ。
 そういうことには鈍感だった。
 ということは、高校の時に俺がK子さんに告白していたらどうだっただろう。
 うまくいっただろうか。
    そんなことを想像するだけでも楽しいものだ。 
 でも、それはあくまでも仮定の話だ。
 おそらく私のことなど全く知らなかったのだろう。
 単に私の片思いだっただけだ。
 これからはお互い老後の心配をする年だ。

 しかしその後は、入れ替わり立ち代わり接する旧友との昔話やカラオケの騒音等に呑み込まれて、再びK子さんと話す機会は訪れなかった。

 そして2次会も盛況のうちにお開きとなり、幹事の
   では、皆さん次は70歳の古希の祝い
   で会いましょう
との挨拶等で、それぞれ帰途に着いた。

 その夜から翌々日くらいまでは、同窓会のグループラインが賑やかだった。
 そのやり取りを見ていて思ったことだが
   初めて話す人も多かったが
   楽しかった
とか
   高校の時には知らなかった人
   と友達になれた
などの投稿が結構見られ、皆それほど顔見知りではなかったことが窺われた。
 でも同じ高校の同窓生ということで思い出が共有できていることから瞬時に打ち解けたのだろう。

 同窓会とはいいものだ。
 出席してよかった!

    そして私も二次会でK子さんと話せなかった未練を感じて、何か投稿しようと思った。
 でも、みんなが見ているグループライン。
 まさかそんなとこで
   カミング・アウト
でもしたら大変なことになる。
 大炎上か!
 そこで控えめに
    K子さん
            名前を忘れていて
            すいませんでした
と軽く入れておいた。  
             気付いてくれるかな?
と思いつつ・・・
    ところが翌日反応があった。
            気にしなくていいよ
            私もあなたのこと
            知らなかったし・・・
    ガクンときた。

 そうか!
    知らなかったのか。
    まあクラスも一緒になった記憶もないので、当然と言えば当然だが。

 でも次集まる時はみんな古希か・・・
 自分にそんな時が訪れるなんて、ひと昔前までは想像すらできないことだった。
 でもその現実が5年後に迫っている。

 次はK子さんは来るかなあ。
 今度会った時は年甲斐もなく意識してしまいそうだ。
 でもその思いは過去のことだ。
 青春時代の思い出のひとつにすぎない。
 卒業後は、お互いそれぞれの人生を長く歩んで来た。
 
 これからはその残りを大切な家族とともに歩んで生きていくだけだ。

    あまり色恋に縁のなかった私の人生にも、かつて甘い「片思い」の思い出があったことを振り返らせてくれた同窓会に感謝したい。
 そしてその席で彼女と50年ぶりに出会えて、話ができた奇跡にも感謝したい。
 まずはその人が今も健在で、幸せな家庭を持って人生を歩んでいるらしいことが分かったことを素直に喜びたい。

 でも、このことだけは私の青春時代の大切な思い出として胸の内にしまっておき、妻には「秘密」にしておこう。
 



   
 


    
 

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