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誰かが見ている。

表現するということ

    今、NHKのBS放送で
            日本アルプス大縦断
という番組を、早朝にやっている。
    この番組は、日本海側の富山湾をスタートして日本アルプスを踏破し、太平洋の駿河湾までの415kmという長いコースをわずか8日間という制限日数で争う、日本一過酷な山岳レースを取材したものである。
   口で説明するのは簡単だが、これは並大抵の体力や精神力で参加できるしろものではないらしく、事前に登山歴のチェックや体力テスト、健康診査をはじめとする厳格な予備審査があるようで、参加者のなかには
              10年間かかって、やっと参加
               できました
と言う人もいるほど、参加すること自体が難しいレースのようでもある。
    単に過酷というだけでなく、命の危険さえ伴うものなのだろう。
   実際番組を見ていると、このレースが、人間に極限状態の負荷をかけているのが、参加者の表情や言動からよく分かる。
   私がこの番組に引き込まれているのは、そのような過酷なレースそのものだけでなく、カメラが、このレースに出場している選手ひとりひとりを追いかけて、レースにかける思いや背景を写し出しているからだ。
   1日わずか15分の放送であるが、その都度何人かの選手にズームをあて、いろいろな言葉を引き出しているが、何しろ肉体的にも精神的にも極限状態の人から出てくる言葉なので、それぞれに重みや深みがあって、ついつい番組に引き込まれてしまう。
    昨日見た放送では、54歳で出場を果たした選手にスポットをあてており、その選手の言動に心を打たれたので、今日はそのことについて触れてみたい。
    54歳での出場者は、大会でも高齢の参加者になるようで、レース途中でカメラをあてられた彼は、どうみても限界なのではと思われるほどげっそりして、足取りもおぼつかなかったが、カメラは無情にも、そのような彼を追いかけている。
    その時彼が
            僕は今何をしてるんでしょうね
            こんなことをして、何か意味が
            あるのかなあ
と、自戒をこめるかのように呟いた。 
    レースの途中でありながら、現状に疑問を持つほど、肉体的、精神的に追い詰められているのであろう。
    そしてさらに
             僕には子供がいないんですよ
             子供がいる人は、それだけで
             も未来に足跡を残せたような
             ものですよね
              だけど僕は何を残せたのかな・・・
と言ったのである。 
    おそらく彼は、参加者のなかに、家族が大勢で応援に駆けつけている風景を垣間見て、一抹の寂しさを感じたのかもしれない。
    ところが、その時、ひとりの青年が彼に近寄って来て
               頑張ってください
と声をかけたのである。
     その青年は、足取りが重い彼に寄り添うように歩きながら、しばらく話しかけていた。
    カメラはその様子を追いかけていたが、その青年は
             僕、今31歳ですけど、このレー
             スが大好きで、毎年見てますが
             あなたの歳でこのレースに参加
             するってすごいと思います
              応援してます
              頑張ってください
というような内容のことを言ったのである。 
    すると、一瞬で彼の顔つきが変わったのが分かった。
     そして、カメラの前で
                僕のような者を見ている
                人もいるのですね
                こんな無様な格好を見ても
                応援してくれる人がいるんだ
と嬉しそうに言ってから、前に向かって歩きだしたのである。 
      おそらく彼は、迷いがなくなり、ゴールに向かうだろう。
     そうなのだ。
     何かを一生懸命やっていれば、必ずそれを見ている誰かがいるのだ。
     そして、それは見た人に何らかの影響を与えているのだ。
     そのことが分かりさえすれば、人はそれを力にすることができるのだ。
    何かを一生懸命やる。
    それは、必ずしもこのような過酷なスポーツに限られたものではない。
    何でもいい。
    仕事でも好きなことでも、ボランティアでも・・・
    行動すること。
   それは、表現だと思う。
   彼の場合それが、過酷な山岳レースであっただけで、誰でも表現することは可能だと思う。
    例えば、こうやってnoteに投稿することも、ひとつの表現だと思う。
    noteに、自分の思いや感じたこと、旅の思い出等を綴りはじめてまだ1年にも満たないが、それでもフォローしてくださる方、スキをつけてくださる方が少しずつ増えてきた。
    顔もしらず、どこに住んでいるかも知らない関係ではあるが、つながりを感じ、少なからず満たされた気持ちになって、また投稿しようと思うのは
            誰かが見ている
と思うからだろうか。
    ゴールに向かって再び歩き始めた彼を見て、何故か嬉しくなった朝のひとときであった。

     
   
      

    


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