グローバル化て何ですか?
チチカカ鉄道から見えてきたもの
先日テレビで南米大陸を鉄道で巡る番組をやっていた。
鉄道、特に「乗り鉄」が好きな私にとって、この手の番組を目にすることは多い。
絶景を楽しみながらの鉄道旅を見るのは、自分がそこにいるような気分になってとても楽しいものだ。
その番組はシリーズもので、私が見た第1回は、ペルーを南北に通っている
チチカカ鉄道
と呼ばれる観光列車を取り上げていた。
この列車は、世界遺産であるマチュピチュへの出発点でもあるクスコから世界最高度に位置する湖であるチチカカ湖への玄関口にあたるプーノまでを結ぶものだ。
全行程300キロメートルあまりを約10時間かけて走るもので、料金は4万円ほどらしい。
車外に望むアンデス山脈の絶景や、車内での豪華な食事と民族音楽のライブを売りにしており、乗客はほとんどが欧米系の外国人観光客である。
ペルーは南米大陸の西側、つまり太平洋側に位置し、世界で10指に入るほど自然豊かな国である反面、産業は鉱業や観光が主で経済的には豊かとは言えない国である。
このためこの列車の運営自体も外国資本に頼っており、チチカカ鉄道の場合オーナーはイギリス人と紹介していた。
またこの国の歴史を紐解けば、大航海時代における植民地争奪戦において、スペインから壊滅的な殺戮と搾取を受けた国でもある。
その頃ペルーのあたりは最も高度な文明が発達した地域であり、有名なインカ帝国は当時地球最大規模の国家として繁栄していたが、スペイン人の
フランシス・ピサロ
率いるわずかな軍勢によって滅ぼされた。
それは1532年のことで、人口1000万人と南北4000キロにも及ぶ広大な領域を支配する権勢を誇った帝国が、わずか百数十名の軍勢によって滅ぼされたわけであるが、それはとりもなおさずスペイン人が持っていた火縄銃という当時最新鋭の武器によるところが大きかった。
1532年と言えば日本では戦国時代の天文元年にあたり、その後1543年(天文12年)にポルトガル人により初めて火縄銃が日本に伝えられた頃とほぼ同じ時期ということになる。
日本はすぐれたモノづくり文化から伝来した鉄砲をすぐに国産化して大量保有するに至ったため西欧諸国による植民地化を防ぐことができたが、もし日本に大量の鉄砲がなかったら、日本もインカ帝国と同じ運命をたどったかもしれないと思うとゾッとする。
大航海時代と言うと聞こえはいいが、その現実はスペインとポルトガルが世界に進出して、鉄砲という軍事力で他国の領土を奪い合った時代だったのである。
そしてペルーのアンデス地方の高原地帯に住むケチュア族は、そのインカ帝国の末裔と言われているが、スペインによって国土を支配されてからは、豊富な銀鉱脈や砂糖プランテーションのための労働力として、後に追加の労働力としてアフリカから連れてこられた黒人奴隷とともに搾取され続けた。
このため、今もってこの国は経済的基盤が弱いが、幸い豊富な観光資源や鉱産物が重要な収入源となって国が成り立っている。
なんのことはない。
この国はいまだに植民地時代の影の部分を引きずっているのである。
この列車を見ても、オーナーはイギリス人。
乗務員として働いているのは、欧米系と地元民との混血と思われる、いわゆる今時の南米系の顔の人たち。
そしてその列車を楽しむのは、欧米系観光客。
その観光客が目にするのは、過去に自分たちの仲間が滅亡させたインカ帝国の名残や、農地で働く貧しい先住民族のケチュア族の人たち。
そして車内で楽しむものは、そのケチュア族の女性が歌いながら踊る民族舞踊。
見事なまでに支配層から被支配層までの階層が凝縮されている。
確かに、表面的には過去の命を絞りとるような支配は見られないかもしれないが、暴力による支配が金に変わっただけで上下関係は何も変わっていない。
よく「グローバル社会」とか「グローバル化に乗り遅れるな」という言葉を耳にする。
でもグローバル化て何だろうか?
国語辞書的解釈では
人・モノ・金・情報が
国や地域を越えて世界規模
で結びつき、世界の一体化
がすすむこと
を指すらしいが、要は肥大した資本家が新たな投資先を世界的に求めているということではないだろうか。
ところが、歴史をよく振り返ればそのような時代は過去にもあった。
それは植民地時代である。
植民地時代は、グローバル化の手段が軍事力だっただけである。
今やその手段が、資本つまり「金」になっているだけだ。
本質は何も変わっていない。
このままグローバル化がすすめば、「持てる国」の都合だけで「持たざる国」への進出が進んで世界は一体化し、それぞれの国が持つ個性、つまり歴史や文化はなおざりにされる時代が来るのではないだろうか。
世界にはいろいろな国がある。
そして、それらの国の歴史や文化には、それぞれの地域で育まれた独自のものである。
だから世界は多様性があって面白いのだ。
それにそれらの歴史や文化は、それぞれの国民しか未来に継承できないものだろう。
それらが少しずつなくなることは寂しい限りだ。
でも知らず知らずのうちに「グローバル化」という美名のもとにそれぞれの国に浸透してきている。
グローバル化によって世界の多様性が少しずつ失われていくような気がしてならない。
例えば我が国でも
マック、ケンタッキー
をはじめとする外食産業や、ショッピング・モールと銘打った大規模店穂は当たり前となった。
そして地方では街の商店街というものはほとんど姿を消して、今や
シャッター街
と揶揄されまで廃れている。
しかしほとんどの人が、ごく自然に「時の流れ」として受け入れている・・・
楽しい鉄旅番組を見ているつもりが、よけいな歴史観(?)があるばっかりに純粋に番組を楽しめなかったのが残念だ。
しかしこのような見方は、あくまでも私見である。
楽しい旅番組として見終わる人がほとんどだろう。
ただその背景には、私が見たような側面もあるということは忘れないで欲しい。
歴史から学ぶということは楽しいことだが、逆に人間の負の歴史を垣間見ることでもある。
しかしそれを受け止めて将来に生かさなければならない。
日本の歴史や文化を継承して守っていくためにも・・・
放送では、車内で民族衣装に身を包んだケチュア族の女性が観光客の前で華やかな衣装に身を包み絵顔で踊っている姿を写していたが、それが目に痛かったのは私だけだったろうか。
でも彼女は、カメラに向かってこうも言った。
私はこの仕事に誇りを持っています
こうやって踊ることが、ケチュア族
の歴史や文化を引き継いでいくこと
になるのだから・・・
これを聞いて、ささやかながらも民族の歴史と文化を継承していくことに誇りを持っている姿に胸をうたれるものもあった。
ちなみに、ケチュカ族の高齢者には
我々の祖先は、昔
日本からやってきて
インカ帝国を築いた
という言い伝えを語るものがいるそうだ。
また言い伝えばかりでなく、そのような話を歴史的に検証している人たちもいる。
詳細は下記サイトに詳述されているが、インカ帝国のインカは日本語の 「許可」を意味する古い言葉の「允可(いんか)」からきており、チチカカ湖のチチカカも日本語の「父母(ちちはは)」からきているという説もあるほどである。
さらにインカ帝国成立の神話が日本の国生み物語であるイザナギ・イザナミ神話とも酷似しているとか・・・
確かに彼らの顔は、欧米系の血をひく南米人とは明らかに異なり、どちらかと言えばアジア系の容貌だ。
現在のところ、その説を直接裏付ける証拠はないらしいが、将来考古学的検証で裏付けられたら面白いことになるなと夢が膨らむ。
ただ、もしそうだったとしても、我々の祖先がしたことは決して欧米諸国が過去に行った植民地政策とは全く異なるものだろう。
グローバル化とは似て非なるものである。
なぜなら彼らが築いたインカ帝国は、当時の南米大陸で最大の権勢と繁栄を誇ったのであるから。
そしてそれを無慈悲にも滅亡させたのが、現在グローバル化と称する植民地政策だったのだから。