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差別と区別

混同の先にあるものは?

 今年4月に、東京・新宿の高層複合施設「東京歌舞伎町タワー」がオープンしたらしい。
 ところが、そのビルの中に多様性を認める街づくりの象徴として設置された性別に関わらず誰でも使用できるトイレがわずか4か月で廃止された。
 廃止の理由は、「安心して使えない」「性犯罪の温床になる」などの抗議が殺到したためである。

 廃止されたのは、飲食店が集まる2階のトイレで、ジェンダーレストイレとして開設され、メディアもそれなりに大きく報道したらしいが、どうもその利用者からは不評を買ってしまったようだ。

 当初ビルを建設した東急側は、SDGs(国連の持続可能な開発目標)が掲げる「誰ひとり取り残さない」の実現を目指してその象徴として設置したらしい。
 おそらくジェンダーレスの風潮に乗っかり、差別解消の象徴としたかったらしいが、利用者の受け止めは違っていた。
 開設するやいなや、「化粧直しがしにくい」「男性に待ち伏せされたら怖い」といった声もSNS上に相次ぎ、東急側はわずか4月で、男性トイレ、女性トイレ、多目的トイレに分ける工事をしたということだ。

 差別と区別を間違うと社会が混乱する典型的な例であろう。

 差別とは
   人やものの取り扱いに
   差を付けること
で、区別は
   単に違いによって分けること
である。
 ただ、差別か区別かについては、明確な基準はなく、その境界線もあいまいであることから、個人の主観に左右されがちなため、結果的に差別を引き起こす要因になっていることも否定できない。

 では、最終的にその基準をどこに持っていけばいいのか。
 それは、その判断基準に関わる人の多数決によって決すべきだろう。
 なぜなら日本は民主主義の国だからだ。
 いわゆる「民意」つまり、国民の意見というものだ。
 このジェンダーレストイレを利用する人の圧倒的な民意は「NO」だったのだ。
 東急側は、この民意が分からずにトイレを作ったため、その民意によってトイレを改修し、ジェンダーレスではなく、男女別に「区別」せざるをえなくなったと言える。

 このことについては、LGBT法案審議の時にはあれだけ大騒ぎして反対意見をことごとく潰したメディアは、なぜか沈黙している。
 その関係者いわく
   報道しない自由もある
とのたまう。
 なんとも都合の良い商売である。
 自分たちに都合のいいことには「報道の自由」を振りかざし、都合の悪いことには「報道しない自由」をふりかざせばいいのである。

 その彼らがよく口にする言葉に、「差別のない平等な社会の実現」というものがある。
 言葉の響きは実によい。
 しかし、よく考えて欲しい。
 確かに差別はよくないけれども、人間は平等だろうか。
 そんなことはない。
 経済的格差、社会的地位の格差、能力の格差、世の中にはありとあらゆる不平等が満ち溢れている。
 お金持ちとそうでない人、社長と平社員、プロのスポーツ選手や音楽家とアマチュア、しかし普通このような違いを差別とは言わない、単なる能力や努力の違いからくる区別である。
 また、人間も地球に生存する動物の一種で、動物である以上闘争本能、つまり生き残るために他者と戦うという本能を有する。
 戦争が最たるものであるが、そこまでいかなくても外交交渉は自国の利益を追求する戦いの場である。
 スポーツも、この闘争本能を単に平和的に具現化したものにすぎない。
 多かれ少なかれ、人として生きていく以上、好むと好まざるに関わらず、大なり小なり争いごとはつきものだ。
 そして戦う以上勝ち負けがあるが、勝者と敗者は単なる区別であって差別ではない。
 運動会の競技に順位をつけるのも能力の違いからくる「区別」であって、「差別」ではない。

 人類史上最も大きな差別と区別の混同は「共産主義」だろう。
 共産主義とは「財産の共有」を目指す主義をいう。
 マルクスが唱えたもので、生産手段の社会的共有により、階級や搾取などあらゆる差別のない万人平等の社会を目指すという思想である。
 つまり、土地を含む財産全ての私有化を禁じ、国有とするものである。
 もっと平たく言えば、お金持ちを悪と捉え、これを区別するのではなく差別して世の中からなくそうという考えなのだ。
 これは、人間社会に満ち溢れているあらゆる不平等と人間の闘争本能を否定するものとも言え、本来その内部に大きな矛盾を抱えた思想なのだ。
 また、万人平等の社会を目指すとは言っても、財産を国有化すれば、それはその国の指導者一人に集中することになり、独裁国家となってしまう。
 そのことは、世界の共産主義国家をみれば分かる。
 中国しかり、北朝鮮しかりである。

 しかし、やはり人間は競い合ってこそ進歩するのだ。
 能力に違いがあるからこそ、高みを狙って努力するのだ。
 だからこそ人間は進歩してきたのだ。
 ただ過剰な競争社会に身を置かざるをえないとなれば、どうしても社会的弱者が生まれるのも事実だ。
 しかし、資本主義社会には、そのような人々を救済する多くの社会保障制度が充実している。
 各種社会保険、医療保険、共済制度、福祉関連施設、各種の障害者支援制度など、むしろ共産主義国家より弱者に手厚いといっても過言ではない。
 いや区別と差別と混同している共産主義国家だからこそ、本来の社会的弱者に目がいかなくなっているのかもしれない。

 今中国は、未曾有の国家存亡の危機に陥っている。

 アメリカとの覇権争いによる国際経済の危機
 不動産バブルの崩壊による国内経済の危機
 洪水やダム決壊等による国内治安の悪化 
 覇権主義による周辺各国との領土問題

 そのどれをとっても、全て自らが招いた危機であるにもかかわらず、その鉾を納めるどころか、逆に先鋭化して他者と対峙している。
 しかし、その崩壊は少しずつではあるが、そう遠くない将来において近づいているように感じる。
 ロシアも、共産主義の実現に敗れたにもかかわらず、その後再びプーチンの独裁国家となって再びソ連の夢を追って覇権国家を目指し欧米と対立するようになったが、それも近い将来命運が尽きるであろう。

 共産主義の国家は世界で消滅していく段階に入っている。
 その時世界は、そして日本はどう向き合うのだろうか。
 差別と区別を間違った膨大なツケは、ジェンダーレストイレの比ではないだろう。
 膨大な地球規模の変動が予想される。
 願わくば、その時核の悲劇が繰り返されないことを願うばかりだ。
 それだけは、唯一の被爆国として、日本が世界に訴えかけねばならない。

 
  


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