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乃木坂の乃木て何?
責任の取り方
東京都港区赤坂に
乃木坂
という地名がある。
若い人であれば
乃木坂46
で、すぐにピンとくる地名かもしれない。
この乃木坂という地名は、江戸時代あたりまでは
幽霊坂
という恐ろしい名前であったが、明治時代の日露戦争時の将軍であった
乃木希典
がその地に住むようになったことや、その後明治天皇が崩御された時に 、彼が妻とともに殉死されたことを世に知らしめるために、何と国会の議決を経て、乃木坂と地名変更したらしい。
歴史に詳しい方はご存知と思うが、この方は、日露戦争の決戦場のひとつであった
203高地
をめぐるロシア軍との戦いの時の総指揮官だった方で、その戦いで、自分の息子2 名も含む多くの戦死者を出したことから、戦いには勝利したものの、その後世論の批判も浴びたりもした。
このため乃木は、戦後帰国して天皇に拝謁した折りに、多くの戦死者を出したことに対して
死をもってお詫びしたい
と言ったが、天皇からそれを諌められ
死ぬのは朕の亡きあとに
と言われたらしい。
すると彼は、実際、明治天皇が崩御されると、そのあとを追うように、自宅で切腹自殺し、その最後を見届けた彼の妻も自害したらしい。
戦争とは言え、多くの国民を死なせたことや、自分の息子2人をも死に追いやってしまったことに対するこの夫婦の責任の取り方だったのだろう。
古来、日本では究極の責任の取り方というものは、切腹をはじめ自らの命で償うというものであった 。
これは、先の大戦終結時まで続き、日本軍には、戦時中に投降して捕虜となった指揮官はほとんどおらず、それぞれ負け戦の責任をとって現場で自決している。
そして終戦になってからでさえ、多くの将官クラスの軍人が自決している。
特に特攻攻撃の生みの親と言われた
大西瀧治郎中将
は、介錯を受けずにひとり切腹自殺をしている。
よく時代劇などで、切腹シーンの時に介錯人つまり、首を切り落とす役の者が見られ、残酷と思われる方もいるかもしれないが、あれは少しでも切腹をする人間の苦痛をやわらげてやるための処置らしい。
人間は腹を切るだけでは、なかなか絶命しないらしく、その苦痛は筆舌に尽くしがたいものがあるとか・・・。
大西中将も、多くの若者を死に追いやった責任をとって、その苦しみを自らにも課したのだろう。
そのような形で亡くなられ方は、ほとんどが遺書を残しており、そこには、必ずと言っていいほど
後世の人へ平和を託す思い
が綴られている。
そして、その後生き残った方々は、戦争で亡くなった方のそのような思いも背負い、各方面であらゆる努力を積み重ねてきた結果、今の平和で豊かな日本がある。
乃木坂46のファンの方にも、その地名の由来や、乃木将軍をはじめとする先人の生きざまに思いを致していただけたら幸いである。
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