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過去と向き合い、意味づけを変える
note友達とコメント欄でやり取りをして、過去のことを笑い話にする、というとっても良い言葉を頂きました。
ということで、過去と向き合い、意味づけを変えるということをやってみようと思います。
過去は変えられない、とよく言いますが、それは誤りです。
過去に起きたことでも、自分にとっての意味づけ、認識を変える、ということが出来ます。
捉え方を変えてみる、ということです。
こうしたマインドで今日は書き進めていきます。
私はご多分に漏れず、アホみたいな過ちはいっぱいしてきました。今日は2つ取り上げましょう。
1.当て逃げ未遂事件
一つは当て逃げ未遂、です。
ぶつかったか、ぶつかっていないか、気づかないレベルで車同士でぶつかりました。
車自体はお互いにかすり傷で、大したことなく、けがを相手にさせたわけではないのですが、あちらが優先の時に、私が一時停止せずに行ってしまい、コツンとぶつかってしまった、という事故でした。
降りて確認すべきだったのですが、それをせずにそのまま走ってしまいました。
それだけ気づきにくいものだった、というのは私の言い訳です。やっぱり降りて確認すべきでした。
あの時、なぜできなかったのか?
それは大丈夫だろう、そう思いたいという卑怯、卑劣な気持ちでした。
誰かを傷つけたわけでもなくお金(保険)で解決する話でしたから大した話でもないんですけど、その場に一時的に立ち去ってしまったために、後々面倒なことになりました。
ちなみに、私はやっぱりおかしいな、と思い、しばらく走ってから降りて確認して、「あ、これはぶつかっている。まずい。」となり、その足で現場に戻り、該当の車がいなかったので、交番に行きました。
交番に行ったことで結果的に自首した?という形になり、当て逃げ案件とはなりませんでした。
ただ、その場を立ち去ったことで向こうの印象が凄く悪くなっていしまい、示談するときに弁護士まで入れないといけない事態になりました。
で、なんでこんなこと思い出したのかというと、今朝、たまたまその方とすれ違ったからでした。
向こうは私のことをじっと見ていましたね・・・。
これは9年も前のことなのにいまだに覚えているんだなぁーと。
芸能人の轢き逃げ事件などで、パニックになって立ち去ってしまう人の気持ち、実はよく分かります。
パニックになると人はどのように行動していいか分からなくなります。ですから客観的にみてバカ、アホ、という行動をとってしまうもんなんです。
だから、芸能人の轢き逃げ事件とか聞くと案外これ当事者になったら、結構あるあるだよ、と思います。
確証バイアス。
つまり、自分に都合の良いように解釈して、勝手に行動してしまうこと。
恥ずかしながらこの時は、まさにそうだったのでしょう。
いやバイアスというよりは単なる逃避だったのかもしれません。
とはいえ、この一件以来、かなり気を付けて運転するようになりました。もう二度とああした思いはしたくないですから。
ひょっとすると、大きな事故に繋がらないようにあの事故が発生したのかもしれません。
となると、相手に迷惑をかけて申し訳なかったのですが、この件もまた私の人生にとっては貴重な出来事だったような気もします。
また自分の中でも同じことがあったとしても逃げちゃだめだ!確認しよう!という意識は確実に芽生えたと思います。
本当に後々面倒になりますから、絶対降りて確認しましょうね。
2.同窓会のお金の管理事件
もう一つあります。
同窓会のお金の管理をしっかりしてなかった事件です。
これはお金をチョロまかしたという件ではありません。
記録をしっかりと取っていなかったということです。
同窓会関係は、支出、収入をチェックするのみでそれほど難しい業務ではありません。
ですが、マメに記録を取っていなかったため、全体の会計管理が把握しにくい状況になってしまった、というミスです。
なんでこんなことが起こったのかというと、また言い訳ですが、マニュアルがなく、また引継ぎというものが実質なかったというこという、2点が大きかった。
当時、若かったので常識がなく、通帳記入をマメにしないといけない、という認識が全くなかったわけです。
お陰で同窓会長に無茶苦茶怒られました。
マニュアルがなかったことも言い訳としていったのですが、
「常識で分かるはずだ」とさらに怒られました。
その挙句、同窓会長に年賀状に「失った信用はもう戻らない」と書かれました。でも、これ年賀状に書くことじゃないよね・・・と思いました。当時は傷つきましたよ。年賀状に、呪いの言葉みたいなことを書かれても・・・と思いました。
*これを機に彼と年賀状のやり取りはやめました。
私は同窓会長には謝り倒したんですけど、結局、許してもらえなかったです。彼は、会うたびにこの時のことを言ってきた記憶があります。さすがに「ちょっとしつこくないですか・・・」と思いました。
ただ、良かったこととしては、同窓会で二度と重要な役割は任せられなくなりましたし、楽になりました笑
このことから学んだことは二つです。
一つは相手を許す勇気です。
相手が謝っているのに許さない。
これはどうかと思います。やっぱり分かったよ、次気を付けてね、と言ってあげる勇気が必要ではないでしょうか。もちろん、案件にもよりますが、ある程度のところで許して未来志向で話をする、というのが人として大切と思います(私が言う資格ないかも、ですけど)。
もう一つは業務のマニュアル化です。
この一件以来、文章で業務のマニュアル化、手順書を残しておくのはとても大切であることを痛感しました。
業務のマニュアル化の功罪はあるものの、ある程度の手順の流れを明確化し、共通認識を作り上げるのってとっても大事だな、と実感いたしました。
今の職場では、手順書を一から作る業務を担当して、みんなから感謝されました。私の作ったマニュアルがバージョンアップされていくのをみると、残しておいてよかったな、という気持ちでいっぱいになります。
以心伝心では限界がありますからね・・・。しっかりと手順を書いておくのって大切です。
3.過去と向き合うことの意味
こうして書いてみると、ちょっと笑い話にはなってないな、ということに気づきました。
真面目に書いちゃいました。
文才がない!
とはいえ、過去と向き合うのはとても大切な作業です。
よくいう未来志向という言葉。
もちろん大事だと思います。
一方で、過去にあったことを、これからの自分とどう結び付けていくのか。
この視点もやはり大事なのではないでしょうか。
能天気に未来志向で!というばかりではなく、たまには過去のことを思い出し、それが今の自分にどのような糧になっているのかを意識するのも、よりよい人生を歩むために良いのではないでしょうか。