聴く人がいて、ストーリーは生まれる
その長い旅行で、一番の思い出は何でしたか?
南米をバックパッカーで旅をしていた時に買ったアルパカの毛糸で作った帽子の話をした後に、対面に座っていた女性が質問をしてくれた。僕は少し意表をつかれた。それでも、ひと呼吸おいてすぐに浮かんできたのはボリビアのマディディ国立公園の側でエコツーリズムを実践するローザマリア・ルイス女史の姿だった。ややマンネリ化しかけていた旅行の途中に、ボランティア活動先として縁ができたのが彼女の運営するエコビレッジだった。ボリビアで最初の国立公園を作った生粋の環境活動家である彼女は、自前で保護区をつくり、先住民のスタッフとともにツーリズムを実践していた。気づけば僕は、質問をしてくれた女性とその場にいた7-8名ほどの皆さんに向けて、環境活動家のこと、森の中のコテージで経験した生き物の大合唱に包まれて眠る夜のことなど、熱く語っていた。
その日、僕は「デジタルストーリーテリング」というメディア教育手法に興味を持つ人たちの集まりに参加し、集まった皆さんと、見よう見まねでその教育手法を実践していたのだ。お題は「思い入れのあるモノ」。
デジタルストーリーテリング(以後、DST)は、1990年代にアメリカ西海岸のアーティストらが始めたメディア実践メソッドで、数名のグループが集まって自分の境遇や関心のあることについて語り合いながら、それぞれのストーリーをつくり、デジタル画像と音声による短い短編動画をつくるというものだ。アメリカでは、教育の現場で活用されたり、患者の語りやマイノリティの語りを当事者自らがストーリーにする実践手法として広まっている。日本を含む世界各国でも実践されており、発祥の地カリフォルニアにあるStory Centerはファシリテーター養成のプログラムを提供するなど、世界中のDST実践者にとってのメッカのような存在だ。
僕がこの手法について知ったのは偶然だった。当時(2009年ごろ)、僕は埼玉県のある自治体にできた「まちづくり会社」に就職し、市民の皆さんとともに「映像によるまちづくり」を実践する事業を担当し始めていた。パソコンの性能も高くなく、映像を作った経験もないはずの皆さんととともに、どうやって手軽に映像づくりをしていくのか。何か参考になる方法はないものか、と探していて出会ったのがデジタルストーリーテリングだった。
本場のファシリテーター養成プログラムに参加する時間的余裕も金銭的余裕も全くなかったのだが、幸いなことにStory Centerが発行したワークショップの進め方と考え方が記された「Cook Book 」と、Microsoftのリサーチャーが学校の先生向けに作成した資料などがネット上にあった。それらを参考にしながら自分でワークショップの進行を設計した。当時の前職である大学でワークショップファシリテーションやメディア制作の実習授業に関わっていたことも大いに役立った。
冒頭で紹介したエピソードは、当時DSTの実践に興味を持ち始めた人たちの小さい集りでのことだった。そこでの自らの経験とアメリカの実践者たちの(テキストを通じた)アドバイスを参考にしながら、僕は、この企画を練り上げていった。そして、これは必ず面白くなるはず、いろんな世代の市民の方が集まってくれると良いなと心をはずませながら準備を進めた。
しかし、蓋を開けてみると集まってくれたのは、地域のシニアのみなさんばかりだった(今思うと、当然の結果だ)。正直、見積もりの甘すぎる自分にがっかりしたが、ともかく、集まってくれた自分の両親ほどの世代のおじさま、おばさまとともにDSTを試し始めた。
毎回2−3時間、全3回くらいをかけて、「故郷について」「大切なものについて」「お気に入りの場所について」などのテーマで語り合い、写真を撮ってきて(集めて)もらい、文章を書き、声を録音し、パソコンを使って1分から2分くらいの動画に仕上げる。最後は全員の作品の上映会を行う。毎週のように、市民活動センターと地域内の複数の公民館を回りながら、皆さんと語り合い、動画づくりを進めていった。
最初は、シニアの皆さんの趣味として根付いていけば良いのかな、というくらいのつもりでやっていたが、DSTを続ける中で、僕の中で思ってもいなかった変化が生まれた。おじさま、おばさま方の人生への理解が深まり、明らかに親しみとリスペクトが高まっていったのだ。
彼ら、彼女らの話をじっくり聞き、話し合い、書かれた原稿を手直しし、パソコンの使い方を教えながら動画作品を作っていくという作業は、彼ら・彼女らの人生の思い出と共に向き合い、その時の感情と共振することに他ならない。
この人はこういうところで生まれたのか。こういう仕事をしてきたのか。こんな風に公民館での活動を楽しんでいるのか。子育てはこんな感じだったのかな。若い頃はユニークな活躍をされていたのだろうな。などと、普通に街ですれ違うだけだったら到底知ることのなかった、その人、その人が持つ個性や人生の重要シーンに触れ、想像する。それは、親子ほど年の離れた僕の人生にも共鳴する。たびたび、ファシリテーター役ということを忘れて僕も語った。彼らのストーリーにつられて、僕のストーリーが生まれる。そして、僕のストーリーが、誰かのストーリーにつながる。そうこうしているうちに、僕は「おかちゃん先生」と言われながら、おじさま、おばさまたちとどんどん仲良くなっていった。
DSTのプロセスの中で、とても大切にされているのがテーマについてグループで車座になって語り合うことを指す「ストーリーサークル」の時間だ。前出のStory Centerで研修を受けた知人の話によると、彼が参加した1週間の研修では、最初の半日は、ひたすら話し合うストーリーサークルの時間だったそうだ。その話を聞いて、僕が行っていたワークショップでも、少なくとも30分以上は話し合う時間を作ろうと意識していた。
僕は、ストーリーサークルで話し合われた内容や雰囲気が、参加者それぞれがつくる動画作品に滲み出てくるところが特に好きだった。僕自身が経験したように、誰かの質問によってストーリーが引き出されることもあれば、他の人のストーリーに触発されて新たなストーリーが生まれることもある。参加者が書いた原稿を読んだり、出来上がった動画を見て、この面白さは、あの時のあの話が影響しているのだろうなぁと想像できる瞬間があると嬉しくなる。
DSTで生まれた動画作品は、その人が語るストーリーではあるものの、その人だけのものでは、もはやない。聴く人がいるからこそ、ストーリーが生まれる。そして、そのストーリーもまたそれを聴いた(見た)誰かのところに舞い降りる。語り合う運動は常に現在進行形。だから、ストーリーではなく、ストーリーテリングなのだ。
おじさま、おばさまとの交流は、2年半ほど続き、その後は別の仕事をするようになった。それでも、DSTを通じて得た「聴くこと」と「語ること」の大切さは、僕の仕事のベースにずっとある。一方的に話す、聴くだけの場は極力避けたい(変えたい)と思っているし、自分が関わる場は、できる限り複数のストーリーが混じり合う場にしていきたいと思っている。
思い出話を書いていたら、また、DSTをやりたくなってしまった。
冒頭に紹介した集まりで作った動画。後に英語圏の人に紹介したくて字幕をつけてYouTubeにアップしてあった動画を蔵出し。