経験を生かして大喜びしたい
チリでサーモンの養殖を取材し始めてから、ぼくの生活は毎月赤字。まさに、マッカチン(多摩弁でアメリカザリガニ)。貯金をただ切り崩すだけではまずいので、養殖業界専門誌を発行する媒体の編集長にツイッターでDMを一方的に送りつけ、「寄稿させてください!」と連絡したり、クラウドソーシングサービスを利用してフリーの仕事を請け負ったりして、赤字額を少しでも減らそうとしている。こうして海外に滞在していると、誰かに雇ってもらうという道が閉ざされるから、自分で仕事を取ってくるしかない。それは、改めて自分を見つめるいい機会になっている。
今は専門媒体に寄稿する原稿を書いたり、クラウドソーシングでもライティングの仕事をやっている。寄稿原稿については、執筆が追い付いていないけど。ただ、前職の新聞記者時代と同じ額を稼ごうと思ったら、とんでもない。取材と並行させるのは不可能。改めて、専門紙でぼくがひよっこ記者として働けていたのは、週刊で新聞を発行する枠組みや、仕事ができた先輩記者、そして彼らがあるいは媒体が紡いできた業界との関係、ひいては広告収入によって会社が利益を出せていたからだった、と思い知る。覚悟を保つために記者を標榜し、取材活動に取り組んではいるものの、チリですれ違う人や取材対象は、だいたいぼくより稼いでいるのが現状だ。
まあ価値といっても、人の価値がクラウドソーシングサービスなんかで決まってしまってはたまったもんじゃない。とはいえ今のご時世、インターネットというシステムを介して抽出される人の価値というものがあって、それによってクラウドソーシングで仕事を取れるか取れないかが決まるように思う。特に最初の方は、ツテやコネがなければ無機質な価値を感じることになる。だから一所懸命、そのシステムのふるいに落とされないようなサイズの自分が提供し得る価値を探した。その結果、もっとも定期収入に繋がっているのは、前職の知識を生かして企業の広告が関連法に抵触していないかをチェックする仕事だ。
前職の媒体が扱う業界自体が、まったくと言っていいほど自分のバックグラウンドとリンクしないので、広告チェックも特に楽しいわけじゃない。と思っていたが、意外とそうでもない。良い息抜きになる(もちろん手は抜かない)し、経験を活かせることでちょっぴり喜びを得ることができる。いつか路上で会ったアル中・バツ2の32歳のフーリオ・マルドナードが言っていた「サーモンにワクチンを打つ仕事をしていた。払いは良かったけど、結局やめたよ。それは俺が学んだことじゃなかったからな」。幸せの定義は千差万別だろうけど、アイデンティティを形成する経験が誰かのためになったとして、それを不幸と感じる人はいないだろう。
おそらく年内には日本に帰ることになるから、今回の取材をまとめたあと、どうやって食っていこうかと考えている。日本にいれば取材依頼も受けられるから、記者としての仕事は続けつつ、何かこれまでの経験をまとめてぶつかっていけるような仕事をしたい。ちょっぴりじゃなくて、大喜びするために。
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