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漕日#3|自分に関わる一切を外注しない

 まずはあの岬。そしたら次はあっちの岬。プエルト・シスネスから漕ぎ出たプユワピ水道は、3年前のカヤック旅行でも通ったルートだった。行き先が分かっているだけでも自然が持つ意味合いは前回と異なり、より柔和な親しみやすさを体と心で感じていた。新鮮味に欠ける既視感はマイナスというより、むしろプラスにはたらいて「今回はどんな旅をしてやろうか」と、この先の約2週間を想像しながらパドルを操った。

フィヨルドを漕ぐ

 今回のルートはプエルト・シスネスを出発し、前回とはやや異なるルートで南下しながら、トライゲン島を時計回りにぐるっと一周してプエルト・チャカブコに戻るという計画だった。やたらカタカナが出てくるけれど、ざっくり言えばフィヨルドという地域は群島を形成していて、同じ海域でもルート設定はいくらでも変化を付けられる。なので、前回はひたすらニョロニョロ南下してとある湾に行き着いたところを、今回は一つの島を周遊する新ルートを設定して、チャカブコという港に到着しようと考えていた。トライゲン島の西側と南側は、ウミウが営巣する崖やカニがやたらと取れる小島が浮かんでいたりと野生のパラダイスでありながら、東側やそこからチャカブコへ至る水路はまだ見ぬ世界だった。簡単な図は以下の通り。

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 意気揚々と出発した初日は珍しく快晴が続いて、ドライスーツを着ているのが嫌になるほど暑かった。カヤックをする際は、転覆時などに水が侵入しないようドライスーツを「水温に合わせて」着用するのが基本。今回旅した海域は、いくら快晴で体が熱くても、海水は5度程度になっていることが多々あるので、ドライスーツの着用が必要だった。ただこのギャップは地獄で、大真面目にスーツを着ていれば汗だく蒸し風呂状態になってしまう。仕方がないので、終始ドライスーツのチャックを開けながら漕いだ。海は完全に凪いでいて、クジラが突然水面下から突出しない限り転覆の可能性はゼロだった。

 島々の影には既視感があったものの、3年前の夏にはなかった山頂に残る雪や、サーモンの養殖用生簀、季節的に前回は見なかった海鳥など、小さな変化を楽しんだ。中部パタゴニアは春真っ盛りだった。時折、ウミネコがカヤックの上を旋回して様子を伺い、ウミウは四方八方にせわしなく飛び回った。パドルをひと掻きひと掻きするごとに、ゆっくり進むカヤック。時速はだいたい7km/h前後で、海上散歩といったところ。フィヨルドの森は、相変わらず水際まで迫っていて、葉は一枚一枚に目を凝らしたくなるほど艶やかな緑色をしていた。

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満潮にご注意

 17時過ぎに、テントを張れそうな浜を見つけた。出発が昼過ぎだったので、あまり漕ぎ進められなかったけれど、焦る旅ではない。乱雑にカヤックへ突っ込んだ荷物も整頓したかったし、何より砂利が細かくて気持ち良さそうな浜だった。接岸して、昨夜手書きでネットから書き写した潮見表を思い出す。

 この工程は欠かせない。もし浜にテントを張るスペースがあったとしても、それが干潮時の状態であれば潮が満ちてきたときに沈んでしまう。特にパタゴニアでは森が岩から成る海岸ギリギリまで茂っていることもあって、砂利浜を見つけると飛びつきたくなるけれど、よくよく注意しないといけない。ただ、干潮と満潮はだいたい6時間ごとに繰り返すから、朝一の干潮あるいは満潮時刻だけ覚えておけばOKなので、忘れさえしなければ難しいことでもない。出発した13時過ぎには潮が干潮を経て満ち始めていた。つまり17時にはほとんど満潮に近いと思っていい。この浜は大丈夫そうだった。

 大陸の山から染み出した水が、小さな水脈となって流れ込んでいるいい浜だった。苔むした小川で顔を洗い、水をガブ飲みする。今日みたいな日はこの冷たさが一際おいしい。テント設営をパパッと済ませると、早速釣りを試みた。テントはモンベルが製造・販売する比較的安価かつ軽量なクロノスドームというもので、かなり重宝している。

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50cmオーバーの獲物

 プエルト・モントのアウトドアショップで購入した5000円程度の釣竿だったが、この辺りは魚が活発なのか数回キャスティングルすると、ルアーを追う魚影が見えた。結構でかい。近くまで来るもののなかなか食い付かず苦戦しつつも、何とかこの旅で第一号となる獲物を釣り上げた。50cmを超えそうなRóbalo(ロバロ)というスズキの仲間に似た魚。口はコイみたいで、おとぼけ顔が愛くるしい。とにかく身がブリブリ肉厚で、食べ応えがありそうな魚に「イヤッホー♪」と小躍り。何せ、今回はまともな食料と言えば米しかない。あとは調味料。小躍りもそこそこに血抜きだけ済ませて、そそくさと釣りを再開した。結局この日は、もう一尾同じ魚を釣り上げて調理開始と相成った。

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  ウロコを取って、三枚に下ろす。ただ、これほど大きな魚を想定したナイフを持参してこなかったので、小型のナイフで捌いた結果、切り身はかなり不恰好になった。まあいい。頭にもかなり筋肉が付いていそうだったので、テントの前室で塩煮を作る。そのほか、刺身や素焼き、炊き込みご飯として調理。調理してみると、身が柔らか過ぎてボロボロと崩れる。味もまあ普通の白身魚で、試した中では炊き込みが最も食える一品だった。とはいえ、確かに食べ応えはあって、取り出した切り身は明日の晩飯くらいまでは使えそうだった。タッパーに入れて少し塩を振り、保存。

 こうして釣って捌いて調理して食ってという一連の流れは、結構骨が折れるもので、これだけやってたら本当に採食と移動と睡眠だけで1日が過ぎて、野生生物のような生活になるだろう。自分の生命に関わる一切を誰にも外注しないということはそういうことなんだと思う。実際、今日は浜に到着してからも、テントの設営つまり住の確保や水汲みなど、やることは山ほどあった。

 さらに、魚を捌いた手は生臭い。もちろん石鹸なんかないから、生臭いまま調理に入って完食までいってしまう。もっと言えば、生臭い手のまま寝袋に入る。誰かの手によって捌かれた切り身を調理して、綺麗な皿に盛られた飯を食えることは、確かに清潔だし日常向きではあるけれど、たまにはこんな風に生き物くさい生活もやってみると楽しいし、生活の何を外注しているのかも浮かび上がる。それと同時に、自分が提供している価値も見えてくるかもしれない。人間は分業制でうまくやってるなと思う。それ自体が野生と異なる一つの自然みたいだ。

 こうして初日は、得点を付けるのであれば10点満点で9点をあげても良いくらい順調に事が運んだ。久々にカヤックを漕いで、腹も満たされよく眠れそうだった。満天の星空を見上げて、今日は寒くなりそうだなと思いながら、生臭い手をそのままにゴソゴソ寝袋に潜り込んだ。

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志田岳弥
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