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交わらない正義が共在する一つの海

 約束の場所には、50隻ほどの漁船が停泊していた。やや遅れて到着したが、チロエ島・ダルカウエの漁民協会の会長フアン・カルロス・マリラフは柔和な雰囲気で迎えてくれた。

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サーモン養殖による好影響「何もない」

 これほどはっきりと言い切る人物には、初めて会ったかもしれない。地元の新聞記者や、大学の博士、一般人、いろんな人に話を聞いたが、否定的な意見を持つ人も「雇用を産んだし、経済的なインパクトはあった」という一定の評価は持っているようだった。ただ、マリラフ氏は「サーモン養殖にもポジティブな側面があると考えますか?」という質問に対し、「何もない」と即答した。

 マリラフ氏は、チロエ島の出身。12歳から父とともに漁に出かけた。乗り込んだのは6m程度の木舟。エンジンはなく、オールで舟を進めた。ナイロンの糸と針・錘だけで、無数の島が浮かぶチロエ群島の内海で漁をした。200~300kgの魚が1日で獲れた。「あの頃は本当に豊富に獲れた、いまでは内海では魚が取れない」と話す。現在、マリラフ氏はチロエ島100マイル沖までの海域を漁場をしている。一旦漁に出かければ、2週間は戻らない。

海の人「Lafkenche」

 「Marilaf(マリラフ)」という苗字は、聞き覚えのないものだった。これはチリの先住民「Mapuche(マプチェ)族」の血を引く家系の苗字で、「10の海(または湖)」を表す。彼らの言語「Mapudungún(マプドゥングン)」の一つだ。

 彼はマプチェ族のグループの一つである「Lafkenche(ラフケンシェ)」の生まれ。祖父の代に、チロエ島より北部にある港街・バルディビアから移り住んだ。「Pehuenche(ペウェチェ)はアラウカニア州の山脈のグループ、ラフケンシェは『海の人』を表す。私はそのラフケンシェの血を引いている」。

 マリラフ氏は、かなりはっきりとしたスペイン語を話す人物だった。これまで市場などで会話した漁民の言葉は、半分くらいしか理解できなかったが、彼の言葉はほとんど聞こえてきた。日本人ということを分かっているからかもしれないが、マリラフ氏が責任ある立場の人間として、異なる文化や思想を持った人たちと会話をしてきたことがうかがえた。

漁民の未来

 マリラフ氏によると、ロス・ラゴス州における漁獲量は一昔前よりも減っているという。魚種によって原因はさまざまだが、一つにははトロール漁業、内海についてはサーモンの養殖が漁獲量減少の原因だと指摘した。「サーモン養殖が始まる前は、このあたりのいたるところでロバロ(魚の一種)が豊富に採れたが、今はもう姿を見ない」と言う。漁師の収入も減った。現在、漁民協会には300人の漁師が所属している。一時期に比べると少なく、ある者はサーモン養殖業界へと転身し、ある者は漁を継続するために別の州へと移っていったという。 

 彼らのような漁師たちは、Pescadores Artesanales(ペスカドーレス・アルテサナレス)と呼ばれ(彼ら自身もそう自称する)、日本語ではよく「零細漁民」と訳される。マリラフ氏の話を聞いていると、どこかネガティブな印象も受ける「零細」というより、どちらかというと「清貧」という印象を受ける。「清貧漁民」の方が正しく思えてくる。ただ、今ではその「清貧」な暮らしも、維持していくのが難しい。これには漁獲量の問題だけでなく、生活スタイルやコミュニティー機能における変化といった、さまざまな容認が絡んでいるように思える。

 「漁民の未来をどう考えていますか?」と聞くと。「Sin futuro(未来はない)」という言葉が返ってきた。正直、協会の長としては、短絡的過ぎやしないかと思ったが、これも現実なのだろう。

 今回の取材では、これまでサーモン養殖事業者の取材で感じたポジティブな話は一切なく、そこには想像以上に硬い隔たりがあることが分かった。正義は一つではないと思う。ただ、その異なる正義が一つの海に共在することの難しさを感じる。マリラフ氏の言うように零細漁民がフェードアウトしていくと、対立構造も同時に霞んでいくというシナリオが想像できる。ただ、それが正しいとも言い難い。この困難の解決に資する責任が、サーモン養殖業界にもあるように感じる。

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志田岳弥
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