シンプルな言葉は本当に伝わっているか
チリでスペイン語(西語)を扱う日々を送っている。宿の近くの小さな売店で、洋梨を買うとき、最高気温9℃のプエルトモントでなぜか饐えたような体臭を放つタクシーの運転手との値段交渉、サーモンの養殖産業の黎明期を知るという人物との会話。当たり前だけれど、全部西語で話す。ここにくるまでは2年間ほど西語から離れていたし、以前住んでいたペルーとはかなり喋り方が異なるので、なかなか苦労する。自然とインプットされる単語は平易なものに限られ、そこから詳細を導き出すようになる。こちらからの投げかけも、割とシンプルなものになりがちだ。
シンプルな言葉ほど伝わりやすいものはない、と思っていた。それはチリに来てからの実感でもあった。日本語で話すときには、一つの単語にいくつかの意味を込めたり、婉曲的に物事を説明したりすることもあるが、そうした日本語を頭に浮かべて翻訳するのは、なかなかに難しい。日本語の日常会話で使っているほどの語彙力も、持ち合わせていない。おそらく地元の高校生よりも語彙力は低い(特定分野を除き)。ただ、だからこそシンプルな会話が成り立っていた。
一方で平易な言葉は、諸刃の剣だった。先日、不動産ブローカーでもある滞在先の宿主と、チリにおけるサーモンの養殖について会話したとき「サーモン養殖はチロエ島(チリ南部の島)に生簀を設置し、先住民の土地を奪ってきた。環境汚染にも繋がっている。汚い産業だ」という主張が宿主からあった。嫌味っぽい自分が出てしまい、「チロエ島の土地を売って稼いでるあなたがいうことですか」と突っ込んでしまった。これに宿主は「俺が売っているのは、法律で保護された先住民の土地以外のエリアだ」と激昂。さらに悪い癖が出たぼくは「それはチリの法律でしょう。先住民にとって、あなたが売っているのはチロエ島の土地であることは変わりない」と反論した。法律を盾にするのであれば、サーモンの養殖事業者だって、その範囲内で事業を回している。この反論の必要性は疑わしいけれど。
「たかだか2カ月程度しかいない君に何が分かるんだ。私は君よりも30歳以上も年上なんだぞ。チロエ島にも1000回以上通った。それでもチロエ島のやっと10%を理解できたと思っている。君は私が愚かだと言いたいのか?」
事態は宿主の妻が子供たちを連れて帰ってきたことで終結した。
宿主は決して悪人ではない。初めてきた日には、息子たちの空手を見に連れて行ってくれた。毎日ウイスキーを一緒に飲んで、彼の話を聞いた。ベルリンの息子が26歳の誕生日を迎えた2年前、突然息子の元を訪れた彼は、2カ月間も息子のことをヴェネツィアやパリなど忙しく連れ回した。60歳になり涙もろくなったのか、そもそもそういう人なのか、酒を飲んで昔話をすると涙することが1週間という短い間に何度かあった。閑散期で客が僕しかいないアットホームなゲストハウスで、夜になるとナトリウムランプの街灯が揺れる港湾都市を眺めながら彼と話すのは、嫌いではなかった。
彼からは翌日、Whatsappで「すまない、昨日は興奮していた。ただ君も同様に私の知識を軽視していた」とメッセージが入った。メッセージ前後には「このメッセージは削除されました」の文字。その日はサーモンの孵化施設を訪問していた。文字を読んだだけで返信は後にして、スマホをしまった。
今回のことで反省すべき点はいくつかある。まずは長期滞在する予定の宿の人間とは、あまりセンシティブなテーマの話をしないこと。自分の意見など、求められるまでは言わない方がいい。言っても特はない。それよりも、地元の習慣や家族の話など、楽しいテーマはたくさんある。そしてシンプルな言葉。これはシンプルなだけあって、相手に料理される可能性がある。平易な単語は、ニュアンスの幅が広いことが多い。相手の解釈は、会話の文脈で相手の理解しやすいように味付けされてしまう。そこに想像力を働かせるべきだった。言葉が相手の耳に届くことと、伝わることは全く違う。
宿主は、ぼくがサーモンの養殖について取材をしていることを知っている。そして、その肥大した産業についてこれでもかというくらい消極的だ。彼自身は、友好的な人間だったが、滞在先としてはふさわしくないように思えた。結局ぼくは、宿を出てきた。