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漕日#1|白鳥たちの港にて

 探検家といえば、どこか個人的な表現活動とも捉えられる現代だけれど、昔は軍人の仕事に探検が含まれる場合が多く、交易のための陸路や航路の開拓に命を張った。チリ海軍のエンリケ・シンプソン提督もまた、探検家だった。無数の水路が張り巡らされたフィヨルド、いわゆるパタゴニアと呼ばれる地域を調査し、開発を試みた。1872年、シンプソン提督はある水路の川が流れ込む小さな湾に立ち寄り、数百羽の白鳥の群れに遭遇し、その湾に「白鳥たちの港(プエルト・シスネス)」と名付けたらしい。そんな白鳥たちの港には、春が訪れていた。

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 10月17日、シスネス港を訪れるのは、約3年ぶりだった。相変わらず、コンパクトで心地よい港だ。港周辺の海岸線は、森が海辺ギリギリまで迫っていて、このフィヨルド特有の景色に「来たな〜」と幸福感がほとばしった。前回と同様、25kgのでかいリュックを背負い、同じく25kgのダッフルをくくりつけたキャリーカートを押しながら、えっほえっほとフェリーを下船。二つのバッグには、折りたたみ式のカヤック、キャンプ道具一式、衣類、カメラ、書籍、Macなど持っているものの全てが詰まっていた。先に降りて迎えを待っている吹奏楽部らしき団体をよそに、水溜まりができた砂利道を進む。

 最寄りの宿はどこだったろうか。できれば3年前と同じ宿に泊まりたいと思ったが、うまく思い出せない。確か当時は着港したのが夕暮れ時だった。適当に体力の限界まで歩いてたどり着いた宿が、偶然にも3年前に利用した宿だった。おかっぱショートヘアのおばちゃんはこちらのことを覚えてないらしいが、確かにその宿だった。改装中だという個室に泊まる。一泊15000チリペソ (2000円ちょっと)。この辺の宿なら平均的な値段だろう。2泊分の宿代を懐に入れると、おばちゃんは料理を再開した。団体客がいるらしく、薪ストーブの上に置かれた大鍋には、チリの煮込み料理カスウェラ・デ・バクーノ。トウモロコシや根菜、それに牛肉をのぞかせた鍋がいい匂いを放って、胃を刺激した。

 翌日は旅の準備。といっても、食料を調達するくらいなもんだ。天気もよかったので、買ったばかりの竿を試しがてら、買い出しにでかけた。今回は持参する食料をできるだけ抑え、食い物は自然から自給しつつ旅をする計画だった。前回の旅から、自給生活がかなり現実的なことは分かっていた。釣りをしたり、貝や海藻を拾ったり、扇状に葉が広がる植物・ナルカを切り出せば、かなり美味しい旅行になると見ていた。

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 何でそんなことをするかといえば、自給という究極の地消を実践しながら旅することで、この土地をより深く理解できるというか、大げさにいえば土地と融合できると思ったからだ。これは何も私オリジナルの発想ではなく、探検家の角幡氏や登山家の服部氏の活動を、一般庶民レベルに落としているだけなんだけれど。とにかく、自らの実践を通して、自分だけの理解や言葉を手に入れよう、そういう頭で買い出しに出かけた。

 釣りは坊主に終わり、ややこれからのカヤック旅行に不安を残す形となった。ただ、脳内はすでに旅モードで興奮していて、そのせいか購入した食料を見てみれば、米2キロ、オリーブオイル、塩、しょうゆというラインナップで、すっかり土地と融合モードになっていた。本当であれば、もう少し何か持って行こうと考えていたはずだけれど、仕方がない。ーーまあ米が2キロもあれば大丈夫だろう。間違ってはいないが、どこか心細さも感じる一方で、その不安感に満足した前夜であった。

 大陸で食べる最後の飯だ。シスネスで数件しかないレストランに入り、街一番の元気娘みたいな店員に日替わりメニューを確認する。

「鳥とメルルーサ(魚)があるけど?」

「メルルーサで。付け合わせはジャガイモのピューレね!」

 明日からしこたま海の幸で暮らすというのに、なぜか魚を注文。ただ、しばらく決して味わうことがないであろうフライに惹かれてしまった。ベリーの香りがする地ビールも最高、旅の準備は万全。

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志田岳弥
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