2週間で偶然出会った、鮭定食を支える男たち
チリにきてから、2週間と少し。さまざまな人と触れ合った。サーモンの海上養殖を統括する人や、世界に向けて食料を届けることに憧れ、養殖会社に入った青年。養殖により一変した地元・プエルトモントに久しぶりに帰省し、産業の行く末に興味を抱いた新聞記者。彼らはみな、アポを取って話した人たちだ。ただ彼ら以外にも偶然、「サーモン」という生き物あるいは食材に関わる多くの人たちとの出会いが生まれ、これまでの滞在で印象に残っている。みんなシャイなので、まともな写真がないのが惜しい。
サーモンを海面で養殖するための生簀(いけす)。チリの沿岸には、トドが生息していて、サーモンを狙って生簀に穴を開ける。その穴を修復する、生簀のメンテナンス会社がある。ダイバーを乗せた船を生簀の横につけ、作業に取り掛かる。6月2日、ダイバーの一人、フアン・チャベスが改装中の船を見せてくれた。
フアン・チャベスは、滞在している宿の管理人・ミリアンのパートナー。ぼくがサーモンの養殖について取材をしていることを知り、紹介してくれた。親切心溢れる人物で、快く船を見せてくれた。フアンは五十を過ぎているが、ミリアンと結婚しているわけではない。離婚した元妻、3人の子どもと離れて暮らし、普段はミリアンと生活している。ミリアンの子どもたちも一緒だ。この「パートナー」という関係は、南米では、少なくともぼくが暮らしたことのあるペルー とチリでは、特に珍しいことではない。
フアンが務める会社は、カマンチャカという養殖会社にメンテナンス業務を提供している。フアンの仕事に同行したい伝えると、まずはカマンチャカに行って話してくるといいと教えてくれた。後日訪れたカマンチャカでは、担当者のメールアドレスを案内された。ことが進むのはいいことだ。ただ、そのときはどういうわけか停滞感を感じており、とぼとぼと海岸通を歩きながら宿に向かった。
しばらく歩くと、二人の青年に話しかけられた。フーリオ・マルドナードと、フアン・カルロス。二人は出会ったばかりらしい。バスの運賃が足りないので、いくらでもいいから支援してほしいという。手作りの飾り物を手にしていた。お金をあげるのは癪なので、少し手伝ってあげることに。もしかしたらそれよりも、誰かと話したかっただけなのかもしれないけれど。
彼らの飾り物に、折り紙の鶴を添えたり、行きかう人にまず日本語で話しかけ、フアンが「バス代が足りないらしいんだ、恵んでやってくれよ」と通訳するという、詐欺的行為をはたらいたりしながら、時間を潰した。しばらく話していると、フーリオは以前、サーモンにワクチンを投与するバイトをしていたことがあるらしい。日払いにも応じてくれる点では良い仕事だったが、結果的にやめてしまった。「自分の学んだことを生かしたかったし、サーモンが暴れて、水は飛んでくるは生臭いはで」と回想していた。
聞けばフーリオにも、サンドラという「パートナー」がいるらしい。さらに、離れて暮らす息子たちも。「お酒に負けちまったんだ。家族も失っちゃったよ」フーリオの目は遠くを見つめていた。でもその手には缶ビール。フーリオ、そんな切なそうな顔してもダメだよ。まずはお酒と距離を置いてみよう。31歳、アル中のフーリオ。「まだまだ行ったことのないところに行ってみたい」と無邪気に夢を語る。彼の将来は明るいに違いない。チリでのパートナーが欲しくなってきた。
海岸通りには愛し合う男女の像がある。チリではこんな風にみんなの前で愛し合っちゃう人が多い。昨日など図書館に入るなりキスしあう学生がいて、常識の違いを改めて認識させられた。同じ宿に滞在しているベネズエラから来た夫婦も、朝からキッチンで愛し合っていたりするから困る。もっともパートナーという関係じゃないだけマシだけれど。
夫のギジェルモは、サーモンの飼料メーカーに提供するマテハンを製造する案件に携わっている。政情不安の続くベネズエラだが、ギジェルモはこうしてチリに出稼ぎに来て1年が経ち、スペインで働く兄弟もいる。仕送りをやっているから、ベネズエラで暮らす家族は平穏な日々を送れているという。
もしかしたら、日本のサラリーマンとして食べていた、ありふれた鮭定食や鮭おにぎりも、こんな人たちとつながっていたのかもしれない。2週間で起きた意外な出会いはその事実を可視化し、自分という一人の生活者と、全く知らない人とのつながりが確かにあることをを教えてくれた。