タイトルのない日常
2020年6月2日。飛騨に引っ越してきて2カ月半が過ぎた。新鮮だったこの土地での日々は、何の変哲もないとは言わないまでも、ずいぶん「日常」として自分に馴染んできた。そして気分がいいのは、その日常に喜びを感じる機会が多いからだ。
朝、和菓子屋の店主がいつものようにやってきた。今日は近くの川に一緒に行く予定だったが、漁協の仕事が急遽入ったんだとか。まあいい。明日も予定は調整できるし、今日は山之村のクラフトマンでも尋ねるとしよう。
午前は午前で、することがあった。バイクを40分ほど走らせて向かったのは皮膚科。やたらと人気な病院で、今日もそう広くない待合室には10人以上の患者が座り、人気ファミレスの順番待ちをするように、台帳に自分の名前を記した。淡々としている医者はいつものステロイドと抗ヒスタミン薬を処方し、院内処方されるそれら薬を事務的にそれを受け取って、すき家で遅めの朝食を食べて帰宅した。峠を越えて、11時。
そこでまた和菓子屋のおっちゃんがやってきて、山之村のクラフトマンに渡してほしいと2食入りのラーメンを2セット持ってきた。私の分もある。いつも周りの人を気にかけている和菓子屋さんなのだ。このご時世、自分の商売も大変なはずなのに・・・。それでも和菓子は素晴らしく(詳しくないが、とにかく美味しいという意味で素晴らしい)、この人が周囲に気を配れるのは、確固たる自信があってのものだろうなと思ったりした。いつかそんな人間になりたいものだ。
再びオフロードバイクにまたがり、渓流沿いの林道を走らせて標高1000mの山之村に入った。12時ごろ、クラフトマンにヤマメを差し入れるために、フライフィッシングを開始。エゾハルゼミがすでに鳴いている。3時間ほどやって、イワナ二匹、ヤマメ三匹を釣った。川に浮かばせた毛針を食べようと、水面を破って出てくる渓流魚は、釣り上げれば十魚十色。いつまでやっても飽きがこないから困ったもんだ。
クラフトマンは、私が着くなりヤマガラが入ったという巣箱を観察できる特等席に案内してくれた。今西錦司という生態学者の話や、周辺の森の話なんかを、じっと巣箱を見つめながら話した。視線は合わせずに誰かとこれほどしゃべったのは初めてだ。彼は自分自身の存在を「雄」と「サル」という二つのワードが持つ性質で98%説明できると話し、雌の能力の高さや自然の美しさ、ヤマガラの言語について語った。ヤマガラの雌は餌を運んでは巣箱内の雛に与え、雄の帰りを待った。雄の帰りはいつになく遅く、日没後に一度帰り、また何処かへ行ってしまった。夜を巣箱で過ごすのは雌と雛だけ、そういうものらしい。
そうだ、エンジュという木のコースターを作ってくれないか頼むんだった。暗くなった空の下、再び工房に入る。知り合いから、彼が作ったエンジュのコースターを私の友人が気に入っていることを伝えると、作れるとも作れないとも言わずに、とりあえずの解説が始まった。防水加工を施すと、年輪のコントラストが暗くなるだとか、ラッカーも使ったことがあるが体に毒だからもう使わないとか、そもそも木を切る時期は11月〜翌1月だとか、取り止めもない。ただ、そういう話は聞いていて面白いので、一頻り耳を傾け、じゃあ制作の邪魔にならない範囲で暇をみてお願いします、というところに落ち着いた。
話している途中、一本だけ電話が入った。しばらく話をしていない、近所のばあちゃんからだという。工房まで続く砂利の坂道の下に、見慣れない沖縄ナンバーのオフロードバイクがあるので、心配になって電話したらしい。ヤマガラを刺激してはまずいと、下に駐車したのだった。そのバイクがどう心配に繋がるのかロジックは不明だが、その人物はクラフトマンが数年前に抜けた町内会のメンバーで、ほとんど村八分的になって以来の連絡ということで、どこか嬉しそうだった。
すでに酸欠で死んだそこそこにデカいヤマメとイワナを計三匹置いていく。どうせ小さいのだろ、と言っていたクラフトマンは驚き、ヤマメをまじまじ観察していた。最後にお礼を言って、工房を出た。
くらい森を走る舗装林道は、しっとりとした空気に包まれていた。昼間は光合成をしていた森が、呼吸をしている。その息吹を感じているようだった。
いままでだったら考えられない一日が、日常感じられた。どこまでも非日常なはずなのに既視感があり、待望の日常といった感じだった。
明日は和菓子屋のおっちゃんと川か。家の近くを流れる川から、カジカの鳴き声がする。