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#7 涙が流れればいいってもんじゃない



こんばんは、かなり久しぶりの投稿となりました。猛です。


4連休の人も、そうじゃない人も、いかがお過ごしでしょうか。

私は大学生になってから今日まで、「学生」「フリーター」「社会人」という「無職」以外の肩書を背負っているときは所謂4連休なんてものを取得するようなライフスタイルにいなかったため、スーパーストレスフルな毎日ではありますが、いま、この会社員という立場だからこそ得られる束の間の安寧を噛みしめています。


今日はそんな連休の3日目、何もしないと決めて本当になにもせず、一日惰眠を貪り、鶏の皮から極弱火でじっくり鶏油を生成するだけの男として生きていました。

ダラダラと生活していると、普段の生活のせわしなさを言い訳に目を背けていた感情の整理が急激になされて、ダラダラしているはずなのに疲れちゃいました。

そんな気持ちの置き場として、今日は久しぶりにツラツラと話させてください。



僕には逃げていることがたくさんあります。

本当はもっと早くやるべきだったたくさんのことを、「会社員になる」「ライブをする」「人と会う」というまっとうそうな理由を揃えて、踏み込むこわさに怯え果たせてない約束や決め事がいくつもあります。


「涙が流れればいいってわけじゃねえだろ」

あるとき、映画や本を観賞して、泣くか泣かないかで価値基準を置く人と話していたときに、言葉では「感受性豊かなんですね」なんていいつつもそんなことを思ったことがあった。

あのとき私は、作品から得られる感情を、作品から発せられる表現を涙を流すか流さないかという判断一つで評することで、その作品も、涙が流れるということそのものさえも陳腐なものにしているような気がして嫌悪した。

いま私はふと我に返って、映る自分に同じ嫌悪を感じている。


仕事ができればそれでいい。

人づきあいが卒なくできればそれでいい。

曲が書けてればそれでいい。

忙しく生きていればそれでいい。


どれも全部、それでいいってもんじゃない。なにかひとつができていればそれでいい。その感覚は他人が評するものであって、自分で結論付けることでも他人に強要することでもないのです。

はき違えてはいけない、理由と言い訳を、信念とエゴを。

ちゃんと見失わないようにしたいです。私はもうちゃんと信じられているのだから。私を信じてくれている人と、私自身のことを。



急に熱くなって話しすぎちゃいました。長けりゃいいってもんでもないのでこのへんで下げさせていただきます。

来週末はライブ。みんなよろしくね。

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