#8名前の話
猛。ステージに立つとき、延いてはこうして文章を書いて発信するなど、対外的に活動するときの私の名前。
津守 孟。ガチガチの本名。会社の名刺に、契約時のサインに、その他ありとあらゆる公的身分証明書に使われる私の名前。
どうもこんばんは、今日は作り置きしていたミートソースでパスタを、おかわり分までペロリと平らげて気分がとてもいいので、自分の話をさせていただこうと思う。
前述したとおり、私の本名は津守 孟(ツモリ タケル)という。音楽を始めた当初は、それまで生きてきて親族とチサトの他に聞いたことがないくらいには珍しいこの苗字をぶら下げて活動することは非常にリスキーなことではないかと思い、ファーストネームも形を変え、猛(タケル)として活動を始めた。
にもかかわらず、急に本名をさらしだす意味。
それはこの時代、行く先々のライブハウス等で本名を記入せざるを得ない場面が増えたことや、そもそもの出会いの入り口が音楽じゃない、あるいは音楽活動を始める前から知り合った知人らがSNSのコメント欄やリプライで普通に「つもり」って呼んじゃうことや、単純に一人称で「つもり」と自称してしまうガバ設定によって先ほどの初心が形骸化してきたからだけではない。
なにかというと、前述した内容ともうひとつ、私が単純に「たける」って呼ばれたいから。ぶっちゃけこれに尽きる。もうくだけて言っちゃいたい、「たける」って呼んでほしいのよ。その理由は下記に記すからみんなには聞いてほしいんですわ。
そもそもフルネームを伝え合う関係性からスタートした人は、一人として私のことを「たける」とは呼ばない。関係性が密になりだしたころからは「たける」と呼んでくれることも稀にあるが、ほどなくしてそれは「つもり」という響きの物珍しさと、発音時の妙な口当たりの良さに容易く押し負け、「つもり」という呼び名が押しも押されぬ地位を築き上げていくのだ。
現に、福岡に転校してきた小学校6年生の頃。当時の担任教師の気味の悪い方針で、クラスメイト”全員”をニックネームで呼ばないといけない、というルールがあった。ニックネームは呼ばれる本人が考えてくるというもので(これも意味が分からない)、私はしゃーなし「たける」としてその一年を生きることを選択した。というかよりさせられた。
そうやって一年間、私のことを「たける」と呼んでいた、今日まで親交のある福岡に来てから一番付き合いの長い、私のアーティスト写真も撮ってくれている友人Yですらも、中学に上がった瞬間に私のことを「つもり」と呼ぶようになるほどだ。「つもり」の持つ言葉の響きは「たける」が持つそれを大きく凌駕しているのが見て取れる。
ただ、それでも私は「たける」と呼ばれたい。「つもり」と呼んでくれる方々からも大きな親しみを感じているし、無理に今から変えて呼ばせたいなどとも毛頭思っていない。というかそれは私の意とするところではない。
難しい話だが、「つもり」より「たける」に私は自意識を感じる部分がある。だからこそ親しみを「たける」と呼ぶことによって表現してくれると、なんというか自意識の琴線に触れるような気がするのだ。
ここで大事になってくるのは親しみだ。結局はどんな関係性で、誰が何を言うかが本質だから、何度も言うが今まで「つもり」と呼んできてくれた人たちに、変えてほしいという気持ちはサラサラない。「つもり」と呼ばれる時間の長さが、共有してきた時間の長さがその人の中に生きている限り、私は私として他者の人生の一頁を生きている気がしてうれしい。そうなれば呼び名などどうでもいい。
問題はこの1,2年で出会った、「たける」入りでのちに「つもり」を知った方々と、「つもり たける」を知って間もない方々だ。
呼び方などどうでもいい。わかっている。十二分にわかっているし、再三言うが強制したいわけではない。
ただ思い出してほしい。明らかに使用頻度の少ない、ファーストネームとは名ばかりの「たける」のことを。「つもり」という前田敦子の存在で、首位を維持できない大島優子のような「たける」のことを。そんな日々に影では首をもたげながらも、ステージでは気丈にふるまう「たける」のことを。
「たける」の気持ちは伝わっただろうか、どうか「つもり」の濁流に飲み込まれず、「つもり」と「たける」を忖度なしで並べてみた結果で、どちらかを選んでほしい。
単純にわがままな話だ。もしかしたらここまで熱をいれてしゃべられたことに嫌悪感を抱き、「たける」のことを嫌いになった方もいるのでは、と思う。
それはとても悲しいことだ。「たける」のことは嫌いになっても、私のことは嫌いにならないでほしい。そう願うばかりだ。