見出し画像

「創造的なコラボレーションのデザイン」の経験と語り

「創造的なコラボレーションのデザイン」という活動テーマは、私が法政大学にきて、ゼミを始めた時から変わらず使っている。もう13年になる。当初から「経営学部っぽくない」と言われていたし、確かに、消費者行動論、管理会計論、組織行動論のように学問分野に対応させた活動テーマを掲げるゼミがほとんどなので、「経営学部っぽくない」という評価はその通りだろう。

そして、「経営学部っぽくない」という評価について、私は全く気にしていない。むしろ、「創造的なコラボレーションのデザイン」という言葉が、既存の枠組みに収まらない、長岡ゼミの新たな可能性をイメージさせるものなら、とても嬉しいことだ。

ところが、ゼミ生たちが「経営学部っぽくない」と言う時には、やや困惑した感じを含んでいるようだ。「創造的なコラボレーションのデザイン」というテーマは、一つひとつの言葉の意味は特に難しくないが、どんな活動をしているのかの具体的な説明になっていない。だから、新たに知り合った人に長岡ゼミの活動を説明するのに苦労するそうだ(特に、就活では困るらしい)。

確かに、「創造的なコラボレーションのデザイン」と聞いて、具体的な活動をイメージするのは困難だ。だから、「それって経営学と関係あるの?」と聞かれるたびに、長い時間をかけて説明することになる。そして、その説明は一人ひとり異なる。担当教員である私自身でさえ、説明の仕方が変わり続けているのだから、「どう説明すればいいか苦労する」というゼミ生の言い分もわかる。でも、教育思想家のパウロ・フレイレなら、私たち長岡ゼミが新たな活動にチャレンジしようとしているのなら、その面倒臭さや苦労を受け入れるべきだと言うだろう。

教育思想家のパウロ・フレイレは、新たな活動を始めることは「世界を命名する(Name the World)」ことだと言う。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである。」 

パウロ・フレイレ 『被抑圧者の教育学』 p97. より

呼び方も決まっていない「新しい世界」を歩んでいこうとするとき、命名されていない状態の不安定さ、曖昧さに耐えかね、つい既存のラベルを張りたくなるものだ。でも、古いラベルを張り付けてしまえば、もはや「新しい」とは言えない。だから、今までとは違う言葉を使い、自分なりの意味を込めて、「新しさ」を表現し続けようと、フレイレは呼びかけているのだろう。

「新しい世界」を歩む人々が集い、不安定さ、曖昧さを受け容れながら「新しい世界」を命名するために言葉を交わす。そのプロセスが対話であり、本当の意味で「新しい世界」を切り開いてくことだ。それがフレイレの言葉の意味だと、私は理解している。

さて、2024年春学期、ゼミ生たちはどんな言葉を使ってゼミ活動について語るのだろう。一人ひとりの経験と語りが「創造的なコラボレーションのデザイン」の新たな意味を作り出していく。