作品を見返すタイミング
「PHILE WEB」という媒体で、サブスクで観られるおすすめ映画を紹介する「ミヤザキタケルの気軽にホームシネマ」という連載をやっている。
サブスクで配信されている作品というのは言わずもがな、画像素材の調達が可能であり、ある程度のPVが見込めるであろう作品という縛りの中、毎月担当さんと話し合いながら、紹介する作品を悩みながら選んでいる。ただ、制約はありつつも、前提として自分が“良い”と思っている作品を紹介できるので、本当に有り難いお仕事だなと噛み締めつつ、執筆前に作品を見返す時間が毎度の楽しみとなっている。
その連載も100回を超え、時には10年以上ぶりに見返す作品を紹介することもあったりする。その一つに『フォレスト・ガンプ 一期一会』があり、おそらく初見は20歳頃。それから10年以上もの時を経て再見したわけなのだが、これが本当に良かった。あの年代の自分では噛み締められなかったであろうものがたくさん詰まっており、改めて素晴らしい作品なのだということを理解した。かと言って、あの頃の自分を否定したり貶めることはしたくはなくて、若い頃にしか感じ取れないことや得られないことも絶対にあって、つまり何が言いたいのかというと、その時の年齢・精神状態・人生経験に応じて、作品の受け取り方は如何様にも変化するということ。そして、そういった変化が人には訪れるからこそ、作品を見返すという行為には価値があり、それもまた映画の醍醐味だと思うのです。
直近の話でいうと、『デッドプール』を劇場公開ぶりに見返したのですが、記憶に残っていたのはブラックジョークに溢れていて、クレイジーなキャラクター性で、第4の壁を越えてくるという要素。それ以外の細部は正直抜け落ちていた。が、いざ見返してみると、先述した要素より、デッドプールが抱える葛藤やしんどい状況にしか目がいかない自分がいた。結婚を誓った恋人がいるものの、末期ガンが発覚。人体実験の果てにガンを克服且つ超人的な能力を得るも、全身の肌が酷く荒れてしまい、恋人に拒絶されるのが怖くて距離を置く。デッドプールとしてのユニークなキャラクター云々以前に、ウェイドという人物が抱える痛みや哀しみに強く共感している自分がいた。その勢いで2も見返したのだが、やっぱり彼が置かれているシビアな現実ばかりが気になってしまい、笑うことなく見ている自分がいた。そんでもって、「居場所は必ずある 探し続けろ」的なセリフに励まされている自分もいた。
当時も同様の思いを抱いていたのなら、うっすらその記憶が残っていてもおかしくないのだけど、やはりそれは皆無であったので、観るタイミング、見返すタイミングの重要性を改めて思い知るのと同時に、『デッドプール&ウルヴァリン』が早く観たくてたまらなくなるのでした。
作品を見返すこと、見返したことで得られたことや気付けたこと、みなさんにもありますか?