1989年3月25日のF1ブラジル
31年半前に、大学生でアマチュアカメラマンだったのに、どういう訳かブラジルのリオデジャネイロの郊外にあるサーキットで開催された1989年のF1の初戦のカメラマンとしていくことになりました。
本来3月25日は自分が在学していた大学の卒業式だったのだけど、就職予定の小さな広告代理店から2月ごろ指令が出まして、二つ返事で撮影にいくことを決めました。
昭和が終わったばかりの平成元年、世の中はバブル絶頂期(当時はそんなことはわからなかったですけどね)だったのもあるのかな。
小さな広告代理店だったのが、Hondaとコネクションができて、小冊子を作ることになったらしく、プロでもない写真部だっただけの22歳の若造に大役をくれることに。
自分のも会社のもプロが使うような機材はなく、レースなんかは友人のバイクのアマチュアのレースを撮影したことくらいしかない。
人生二回目の海外が(一回目もすごかったが、それについてはまた今度)ブラジルのF1なんて、今思い出しても夢のような話。
俺は持ってる!運がいい!と思って有頂天になってた。
その年は鈴木亜久里さんがデビューした年で(確かその時は予選落ちだったけど)中嶋悟さんが現役でアイルトンセナやプロストがトップを争っているような時代。
フジテレビのゴールデンタイムにF1を放送していて世界的にも絶頂期だったんじゃないかな。
ターボが規制されてノンターボにレギュレーションが変更された初年度で、ハンドルにシフトレバーがついた、セミオートマの初めての年だった。
そんな中でオールエリアパスを首からぶら下げ、ピットやコースエリアほぼどこででも撮影できるなんて本当にありえないような経験。
初戦なので世界中から有名なF1カメラマンが集結していて、すごい機材を横目に見てビビリながら、どこがいいポジションなのかを参考にして撮影していた。
撮影した写真は日本に帰ってきてから、ある程度確認はしたのだけど4月1日に正式に入社して4月末で会社を辞めてしまったので(その後でカメラマンアシスタントをやるのだけどこの話も後日)、手元には数枚のポジフィルムだけしか残ってなく、小冊子の出来上がりを確認できないまま記憶だけにとどまっている。
今回はその数枚の中からヘアピンのアイルトンセナとセミオートまのハンドルの写真、ピットの様子を10年前くらいにスキャンした写真でお届けします。
ここにいたことは写真という記録でしか残っていない。
どこかのチームの人だったけど、すっごく綺麗で何枚か撮らせてもらった。
31年前のリオデジャネイロのビーチの写真、スキャンの質が悪く昔感あふれてるけど、とりあえず記録として。
この時は女性の上司スタッフ2名と一緒に行って、F1終わった直後の帰りのチケットが取れなくて10日近く滞在してたけど、お金もほとんど持ってなかったのでぶらぶら散歩するくらいしかなくて。
3月いっぱいは会社の研修期間だったから、撮影行ってもバイト代すらもらってなかったけど、考えられないようなありえない経験をさせてもらえたからよしとしてた。
社会人としての経験もなく、仕事とはなんぞやってのもまだよく知らなかったけど、大学の卒業式にブラジルでF1撮影してるオレってすごいとか自画自賛しながら、見たことない世界を経験していたことはなんとなく記憶に残っている。
人生はいつ何が起こるかわからない。
でも、今の自分は無限の選択肢の中から自分で選んできた人生。
今回のコロナや災害、不慮の事故、病気など、自分ではどうにもできない、コントロールできない運命も確かにある。
今の自分は過去の自分が選択してきた結果。
たらればという過去には絶対に戻れないから、今をこれからをどんな未来にするかも無限の選択肢の中から自分しか決められない。
そう思い、振り返りながら31年前のブラジルを思い返していた。
追記
昨日6日のイタリアのモンツァで開催されたイタリア・グランプリでアルファタウリ・ホンダのピエール・ガスリー(フランス24歳)が初優勝を飾ったようです。
ホンダ勢が7戦連続の表彰台というのも素晴らしいですね!
それでは!
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