『能力は高い方が良い』という幻想

アイアンマン、キャプテンアメリカ、アベンジャーズ、仮面ライダー、LUCY、バッドマン、スパイダーマン、ハルク、スーパーマン、などなど

スーパーヒーローが大好きな僕ですが、長いこと『能力は高い方が良い』と思い込んできました。

だけど、それは「やっべ!超幻想だ!」と思ったのでnoteします。

能力が高ければうまくいくと思っていた。あほらし

すでに書いたように、僕は『能力は高い方が良い』と思っていたし、それは勉強や運動、見た目も含めポテンシャルが高ければ高いほど良いと考えてきました。

というのは、やっぱり小学校ぐらいにモテるのって運動できて勉強できるやつじゃないですか。小学生時代のあんぽんたんの僕は、モテる人たちを見ながら頭の中か心の中で

「あいつらは能力が高い。だから俺も能力が高ければみんなから人気にもなれるしモテることだって出来るのに…」

と本気で思いました。だから能力が高いことへの憧れがずっとありましたし、その影響もあってだと思いますがヒーローものの映画はどれも大好きですし、なんなら麻薬とか摂取して能力が爆上がりするようなストーリーも大好きです。ハリーポッターのような実は魔法界のスーパースターだ、みたいな実はすげぇってのも大好き、

考えてみると、小学生時代から約20年間もそう思い続けていました。

え。今だに小学生時代の思い込み(固定概念)を抱えて生きてるの!?やば。あほらし。20年は長すぎだろ。

と思ったのが昨日(2019年9月4日)です。

能力の高い低いは周囲の環境の中での比較にすぎない

なんで「あほらし」と思ったかと言えば、能力が高いってことがどういうことか?を真剣に考えてみたんです。

冷静に考えれば、能力が高い低いは、周囲の環境の中においての比較でしかなく、能力が高いとか低いってことは究極のところ一部の集団の中で存在する基準との比較から生まれてくるものですよね。

例えば、東京のある営業会社100人の営業マンの中で、どれだけ販売しているか?の販売数が他99人と比較した時に、どのあたりにいるか?ということで上の方なら「能力が高いよな」と評価され、下の方なら「能力ないよな」と評価される、かも!というぐらいです。

ぶっちゃけこうやって書いてみると、能力だけでどうかなんて議論ほとんど存在しません。他にも様々な角度から多角的にその人がどうかってことは表現されます。

能力がどうか、やる気がどうか、経験がどうか、向き不向きがどうか、理念に忠実か、家族との関係は良好か、お酒を飲みすぎないか、情緒は安定しているか。

能力が高い低いは幻想。結果を出すのにほぼ関係ない

自分でも、「ふむふむ」と改めて納得しますが、能力が高いか低いかはある一定の組織やコミュニティの中で自分がどう評価されているかを説明するのにもしかすると出てくるかなと言うものであって、そもそも能力の高い低いを決める絶対的な基準など存在しない。

だって、世界最高の人気を誇るアイアンマンだって、日本では最強だけど、宇宙からの攻撃に何度もなんども負けています。地球っていう1つの括りの中では最強の能力があるって言われてても、宇宙規模で比較したら弱っちいんです。

最後には何百人と言う仲間(アベンジャーズアッセンブル)と共に戦って最強の敵を倒しますが、彼一人の能力が高かったからではないんですよね。

だから、僕が小学生のときに思った思い込み『能力は高い方が良い』というのはマジでただの幻想で、そんなことは人生にほとんど影響をもたらさないってことを気づいたわけです。

もう少し言えば、能力が高いほうがいいと思って、今の自分は能力が高くないから結果が出ないとか思っていたら、いつまで経っても結果なんてでるわけないんですよね。

結論、能力ということ以外のあらゆるところに、めちゃくちゃたくさんの改善点や突破口があるわけなので、そこを見て違う行動をしていけば必ず結果は出てきますよ、ということですね。


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