教訓が生まれた瞬間・綺麗事を自身の中に取り込む
最近とある出来事を通じてある自分の中での考えが形成される様になりました。単刀直入に申しますと、他者との比較を行い、それを貶めようとすることの無意味さです。要するに、相手のことを下に見て馬鹿にしてはいけないというごく当たり前なことなのですがそのごく当たり前なことを最近痛感させられたのです。ただ痛感させられたということは私の中でもおざなりにされていたということで反省するきっかけにもなったのですが…そのことについて思ったこと、考えた結論について、ひたすらつらつらと述べていこうかなと思います。
自分の頑張っていること 他者の頑張っていること
人にはそれぞれ頑張っていることがあると思います。その頑張っていることは本当に千差万別で人それぞれだと思います。ただそれを他者と比較し自分よりも下に見ようとする行為は本当に無駄だと感じるのです。ただ比較することは否定しません。自分よりも下の立場の人間を自分の中で作りそれを卑下することに意味がないと感じるのです。この前1回生の頃の友人と久々に話す機会があったのですがもちろん久々にあったということもあり、色々とお互いの心境話になりました。お互い精一杯自分の与えられた環境で頑張っており、私も彼のことを心から感心し、応援を続けようと思ったのですがここで冒頭にも述べた様な教訓を感じることとなったセリフを彼が放ったのです。私が私の環境の話や私が現在頑張っていることを話すと、
「そんなことより俺のやってるこのプロジェクトの方がすごい!たける(筆者の名前)のそのプロジェクトの比じゃないよ!本当にすごいから!」
僕は彼のセリフにものすごいモヤモヤというか、違和感を感じたのです。もちろん自分が頑張っているということを否定された様な気がして嫌な気持ちになったということもあったのですが、このセリフが彼の価値を大きく下げてしまっている様な気がしたのです。確かに彼のプロジェクトの話はすごいな(特定されるのを防ぐためあえてプロジェクトとぼかしています。ご了承ください。)と話を聞いていて思いましたし、現に彼はそのプロジェクトで成功を収めています。なのですがそのセリフだけで、何だが私自身の彼への興味が冷めてしまった様な気がしたのです。ここまで読んでくださっている方はきっと、いや、それあなたが否定されたからでしょと思うかもしれませんし、まさにその通りだと思います。その時は否定されたことに対する苛立ちが殆どでしたが、暫く経った後、その苛立ちは冷めるものです。冷めて冷静になった後このことを落ち着いて考えてみました。そこで考えたのが、彼はきっと自分の置かれた環境に常に刺激を受けておりその興奮を私に伝えたかったのだと思います。その結果あのような言動をとってしまった。きっとそうなのだろうと私の中で結論づけました。また、このことを考えていてふと思ったのです。彼は他者のプロジェクトを卑下し、自身のプロジェクトの優位性を押し上げているだけなのではないかと。自身の凄さを他者に誇示するにあたってこのことは一時的には有効だと思いますが、本当に一時的なものに過ぎません。熱弁されると圧倒されるかもしれませんが、卑下された方が快く思うはずがあるわけないのです。一時的にすごいのかな、とはなりますがすぐに私のように不快感をなんらか感じると思うのです。結果的に誰も得しないまったく無駄な技法だと私は思います。このことより、彼のプロジェクトはどれだけ凄いものでも、何だがそこがマイナスポイントとなり、それが大きな足枷となって私の前に現れたのだと思います。本当の彼への違和感はそれだと思います。このことから、私は冒頭でも述べたように、自らの体験を他者のそれと比べて比較し、それを非難することの不必要性を痛感したのです。もちろん痛感したということは私の中でこれまでおざなりにされていたということであり、もしかしたら私も無意識にこのような姿勢をとっていたかもしれません。そのことについて強く反省するきっかけとなりました。
まとめ・総括
以上のことから、上記の教訓が導き出せたのですが、案外当たり前のことだったと思いますし、これを読んでくださってる方はある種の綺麗事だと思われるかもしれません。確かに当たり前すぎることは綺麗事だと捉えられることがありますが、それでもこのことを認識させられるということの重要性を私は今回の出来事を通じて考えさせられました。いくつもある大切な「綺麗事」の中から、一つ自分のものにできたのかな、と思うと自分の中でのモヤモヤも何だかスッキリしたような気がします。他者の頑張っているその体験と自らの頑張っている体験みんなそれぞれの形があっていいじゃないですか。面白いじゃないですか。そらを比べて卑下し合うなんてナンセンスなんですよ。このことは本当に当たり前だし、理想論的な考え方です。私も本当にそうだと思います。でも、私自身このような理想論的思考を大切にしようと思えたのは一つの成長だったと思えたのです。もしかしたら私もこのようなことを他者にしてしまっているかもしれない、このことを意識し、反省できるようになったこともまた、大きな収穫だったと思います。
ひょんな些細なことからつらつらと自論を展開してきましたがここまで読んでくださって本当にありがとうございます。文章を書くという行為は、自分の気持ち・思考の整理というものでもありますが、やはり読んでくださる方の存在というものはなかなかに大きいものです。そんな貴方にこの場で感謝の気持ちでいっぱいです。ご清読ありがとうございました。
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