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ハーヴェイ・ミルクに学ぶムーブメントの起こし方

今回は、アメリカ全土でのゲイの地位を向上させて、権利が認められるきっかけを作った「カストロ通りの市長」こと、ハーヴェイ・ミルクについて紹介します。

前回の記事でも紹介した通り、1973年までは同性愛は精神病だと診断されて、同性愛者は差別を受けていました。

1960年代の辺りでは、黒人の公民権運動が活発になり、1964年にはついに公民権法が制定されて人種差別の状況が大きく変わりました。

今回のLGBTに関するストーリーもそんな大変革が起きていた時代のお話しです。

ハーヴェイ・ミルクについて参考にさせていただいた映画はこちらです。

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主人公のハーヴェイ・ミルクをショーン・ペンが演じています。

第81回アカデミー賞では、8部門にノミネートされて主演男優賞と脚本賞を受賞しています。

あらすじ

ミルクは、ニューヨークで保険会社に勤めており42歳まで何も成し遂げたことのないユダヤ人のゲイでした。

1972年に恋人のスコットと共にサンフランシスコに移り住み、カストロ地区に「カストロカメラ」というカメラ店を開きました。

その店で、ミルクはゲイを公表して営業していました。
彼はゲイに優しく差別のない世の中にしようと活動を始めました。
すると、カストロカメラにはゲイだけではなく、ストレートの人も集まるようになり、いつしか「カストロ通りの市長」と呼ばれるようになりました。

ミルクはマイノリティの地位向上のために市政委員に立候補しますが、落選してしまいます。再度、下院議員に立候補しますが落選してしまいます。結果は落選でしたが、僅差だったことからゲイを公言している人が初めて公職につける可能性が見えてきました。

そして、三度目の立候補でついに市政委員に当選します。

一方で、歌手のアニタ・ブライアントは同性愛者を批判する活動を行っていました。キリスト教徒の間では同性愛はタブーとされていたからです。そして、「州内の公立学校から同性愛の教師及び同性愛者人権を擁護する職員は排除する」という提案6号が住民投票にかけられました。

そこで、ミルクはみんなにゲイであることを公表して戦おうと声がけをして、多くの味方をつけます。結果、この提案6号は否決されました。

いよいよ、物語のクライマックスです。
ミルクの元同僚であるダン・ホワイトはミルクがうまくいく一方で、自分が上手くいかないことから辞職しますが、再任を求めました。
しかし、モスコーに市長は再任を認めなかったことから、ダンはモスコー二市長とミルクを射殺します。

こうして、ミルクの11ヶ月という短い政治家生活が幕を閉じました。

ミルクの死後、カストロ通りから市庁舎までを3万人以上がミルクを讃えて行進を行いました。

一方のダンは殺人に計画性がないと裁判所に判断されて、わずか5年で出所します。(実際には、金属探知機にかからないように窓から進入したり、銃の玉を十分所持していました。)

感想

ミルクがとにかく、カッコ良すぎます!

40歳まで軍隊にいたり、演劇の仕事をしたり、保険営業をしていたりと特別な人間ではなかったミルクが、ゲイの代表となり、アメリカ全土で認められるようになることのどれだけすごいことか。

これぞ!という大義を見つけられた時に人の力はすごいなと思います。

ミルクがすごいのは、ゲイを公表して矢面に立ったことです。

当時、同性愛は精神病だと言われておりゲイバーが警察に不当に押入られて負傷するという事件が起こっていた時に、自分がゲイであることを公表することは相当な勇気が必要だったと思います。

また、そんなご時世だからこそ家族にもカミングアウトできる人も多くありませんでした。

ミルクがここまでのムーブメントが起こせたのは、というリスクがありながらも、最後まで矢面に立ち続けたからなのではないかと思います。

大勢の前でスピーチを行う時には暗殺予告の手紙が届いたとしてもそれに負けず、堂々とスピーチを行いました。

マイノリティだからこそ、堂々と主張する人の周りには同じ思いを持った人々が集まってくるのでしょう。
この辺りは、マルコムxと近いものをどこか感じました。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!



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