好きの重力加速度について
人を好きになるというのは、二階から転げ落ちるようなものだと思っている。
ただし、この場合の「二階」は、次のような特殊な条件下にある建物の二階でなければならない。
一、階段の存在が確定していない。実際に転げ落ちるまで、そこに階段があったのか、穴が空いていたのか、それとも突然床が傾いたのか、誰にも分からない。
二、転げ落ちている最中ですら、自分が今転げ落ちているのか確信が持てない。ひょっとしたらこれは、上昇している状態なのかもしれない。重力の方向が逆転している可能性は常にある。
三、一階に到着した時に初めて、自分が二階から転げ落ちていたことが判明する。ただし、その時にはもう「二階」という概念が消滅しているため、どこから落ちてきたのかは誰にも説明できない。
私が彼女を好きになったのは、まさにそんな「二階からの転落」だった。
その日、私は会社の廊下でペットボトルを落とした。転がっていくそれを追いかけて、曲がり角で彼女とぶつかった。普通の出会いだ。よくある接触事故。
ところが不思議なことに、その瞬間、私の体内で重力の方向が変わった。しかもその重力は、既存の物理法則に従わない。上でも下でもない、斜めでもない、むしろ存在しないはずの方向に引っ張られている。
そう、私は「好き」という名の重力に捕まってしまったのだ。
これは実は、人類が抱える重大な問題なのではないかと思う。私たちは、「好き」という重力加速度の存在を、未だに物理学的に証明できていない。なのに、それに捕まった人間は紛れもなく「落下」している。
以前、友人にこう説明を試みた。
「それはね、自分の右足の薬指に付いた靴下の繊維が、別の重力圏に支配されるような感じなんだ」
友人は私を病院に連れて行こうとした。確かに、意味不明な例えではある。しかし、私に言わせれば「好き」という現象の方が余程意味不明だ。
たとえば彼女が着ているワンピースのしわの数と、私の心拍数が完全に一致する現象。彼女が食べ残したパンの耳に宿る、未知の物質の存在。彼女の後ろ姿を見ただけで、なぜか急に懐かしい気持ちになる時空の歪み。
科学はこれらを説明できない。
むしろ私は、好きになるという現象を「二階からの転落」と例えるのは、かなり控えめな表現だと思っている。実際はもっと不条理で、もっと荒唐無稽な出来事のはずだ。
だって考えてみてほしい。
赤の他人が突然特別な存在になる。
見知らぬ人の癖が、突然愛おしく思える。
他人の左手小指の皮膚の質感に、突然人生を賭けられるようになる。
これは明らかに、物理法則の埒外。自然科学への挑戦状。存在しない色を見る行為に近い。
そう言えば彼女は、この前こう言っていた。
「あなたのことを好きになった時、なんだか体の中の水分が全部炭酸になったような気がしたの」
その瞬間、私は悟った。
私たちは互いの「二階」から転げ落ちていたんだ。しかも同時に。存在しない階段を使って。重力の方向も分からないまま。
そしてこの不条理は、世界中で毎日何万回と発生している。無数の人々が、見えない二階から転げ落ち続けている。それでいて物理学は、この現象を一切検知できない。
素晴らしい。
なんて非科学的な、でも確かに実在する、日常の超常現象だろう。
私は今日も、重力の方向が分からないまま、彼女に会いに行く。
きっと今日も私は、存在しない階段を転がり続けているのだろう。