思ったこと、感じたことが書けないという病
「感じたことを書きましょう」
小学校でよくあった作文だ。遠足の感想、音楽の感想、生活の感想、ビデオの感想なんてものもあった。読書感想文なんてものもあった。
僕はそれら全てが苦手だった。文章を書くことが苦手だった。正確には、「人に見られる文章」を書くことが苦手だった。だから感情をうまく表現できなかったし、作文はとても嫌いだった。
そんな風にして過ごしていると、感情表現ができない人間に成長していった。思ったことを言うことはとても難しい。こうしてここに書いていることだって、自分にとってはすごい抵抗がある。こんなことを書いても意味がないと思うし、完璧な文章ではない稚拙なものだし、時間の無駄だと思う。しかしそれでも書かなければ何も変わらないし、進まない。だからなんでもいいから書いた方がいいんだと思う。
問題をややこしくしているのは、誰にも自分の考えていることを知られたくないと思っていながら、自分の考えに共感してくれる人がいたらいいなと思う気持ちがあることだ。
要は「伝えなくても察してくれる都合のいい相手」を求めている。
そんな人間がいるわけがない。人は話さなければ通じ合えない。言わずにわかるわけがない。そして話したからといって分かることもない。たいてい自分の考えていることは違った形で他人に伝わってしまう。自分の表現力が乏しいせいだ。使わない能力はどんどん衰えていく。表現をすることをやめたら、表現力はどんどん落ちていく。
人に見られる場所になんでもいいから文章を書くことで、自分の表現力は磨かれていくと思うし、いつか自分の思っていることを正確に表した文章に辿り着けるかもしれない。そしてこれは一つの言い訳にも聞こえる。自分の考えがおかしいのではなく、それを伝える能力がないから変になっているだけだと。結局自己保身をしたいのだろう。
どれだけ表現力がなくても、ここに書かれているものが自分の全てだし、自分の考えていることの上限だ。しかし上限とはいっても、現段階での上限であり、人はずっと成長し続ける生き物だと思っているから、昨日より今日、今日より明日と能力は高まっていく、そう信じたい。
とにかく、僕は自分の考えや感じたことを文章にするのが苦手だったし、それは文章力のせいではなく、感じる力が乏しいせいなのかもしれないし、もしくは言語力が低いせいかもしれない。
なんにせよ、完成度よりも数が大切。そして速度が大切。好き勝手に書けばいいんだと思う。
それがインターネットのいいところ。自由であることを大いに利用して人生を豊かにしていきたい。