文章を書くのはなんのため?
こんばんは、今日もお疲れさまでした。
今は風呂上がりにプロテインを飲み、ブルーベリーヨーグルトを食べ終え、ソファに座って歯を磨きながらこの文章を書いています。
これを読んでいる人はどんな状況で読んでいるのでしょう。知る術もないですが、そんな想像をするのもまた楽し。
文章の書き方について少し考えていました。読みやすい文章とはどんな文章なのか。読み手にとって意味がある文章とはどんな文章なのか。だけど今1番大切なことに気がつきました。文章を書くということは、読み手ではなく、書き手のためにある行動だということです。
もちろん、仕事として文章を書いたり、原稿を売ったり、物を売るための文章なら読み手のリサーチは必須でしょうし、行動を促すようなライティングスキルが問われるでしょう。
ですがそのような、いわゆる商業的でない文章を書く際には、読み手ではなく書き手のために書いていいと思うのです。
まあせっかく書いてwebに公開しているのだから、誰かに読んでほしいという思いはありますし、書いている内容についてコメントや感想なんかがくるととても嬉しいです。
しかし書くという行動は書き手の精神を浄化していくような、そんな活動だと思うのです。
だから自由に書いていいですし、どこかの誰かが共感してくれたりするのはあくまでラッキー程度に留めておいて、あくまで書くという行為に集中するといいとは思いませんか?
とかく現代は効率性や実益を求められる社会です。すぐに何の意味があるのか?なんの得があるのか?そんな疑問を投げかけられます。そして悲しいことに、自分自身からも投げられます。こんな文章を書いてなんの意味があるのか?って。
だけど一見無意味に見える行為にこそ、何か大切なものがあらわれてくる気がします。
ただ書くために書く。そんな感じでいいと思います。
本なんか読んでも金にならない。コスパが悪い。効率が悪い。そんな感じで自分の周りに実益がありそうなものばかりを集めて、それで豊かになるのでしょうか?
何もしない、何も生み出さない、生産性ゼロな時間こそ、豊かだなあって感じる時があります。
ボーッと座って猫を撫でたり。公園のベンチでボーッと風の音を聴いたり。
何の問いもなく、何の答えもない。そういう贅沢を、大切にしながら生きていたい。