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「古畑任三郎」 連続ドラマとして優れた点は

(以下は「古畑任三郎」シリーズについて、ドロッセルマイヤーズ店主・渡辺範明さんのポッドキャストでの指摘による。
https://open.spotify.com/episode/5xD03Zq9CXG55pz65bg5Qv?si=Magm9_MoTGOJ57-4m7ld0g

ミステリー作品は犯人が最初に鑑賞者に提示される「刑事コロンボ型」と、複数人の登場人物のうち、誰が犯人なのか作品の最後に明らかにされる「金田一少年型」に大別される。

刑事コロンボ型は、1話完結型の連続ドラマ作品の作劇とコスト面においてその利点を発揮する。

というのも、金田一少年型のミステリードラマの場合、犯人役の出演者として有名俳優をゲストに呼ぶと、視聴者は犯人が他の出演者ではなくその有名人だと予想できてしまうため、作品の緊張感が損なわれる。この問題を回避するには、複数の有名俳優を1話の中で共演させるか、無名俳優のみで容疑者たちを固めるしかない。だが、前者では出演者へのギャランティーが高額になり、後者は作品に華がなくなるというジレンマにおちいる。

一方、刑事コロンボ型であれば、そのゲスト出演者である大物俳優が犯人であることが冒頭に提示されるため、上記の問題を回避することができる。それゆえ、作品の華やかさとコスト面を両立することができる。

また、コロンボ型では作劇上の焦点はトリックではなく、「いかにして探偵役が犯人を追い詰めていくか」、逆にいえば「いかにして犯人役が追い詰められ、自白に至るか」に移る。視聴者は犯行のトリックよりも動機という心理面に関心を持ち、それゆえゲスト俳優の演技、そして主役である探偵役の演技とのアンサンブルがフォーカスされる。

これにより、「コロンボ型」はゲストとして有名俳優を出した「うまみ」を倍増することができるといえる。
逆に、「金田一少年型」は、出演者のギャランティーを考慮しなくてもよい小説、マンガ作品や、コスト面での制約が比較的緩やかな大作映画などに向いているといえる。

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