花束見た今文字にした

昨晩、“花束みたいな恋をした”を見た。

元カノと別れて1ヶ月。
付き合っていた最後の1ヶ月くらいはもう好きじゃないと思っていたし、どう別れを切り出そうかということばかり考えていた。正直別れたくて仕方なかった。別れたらさぞスッキリするのだろうと。

しかしどうだろう、
写真は1枚も消せてないし、スマホケースには淡路島に行った時の写真を裏返しで入れたままだし、付き合ってからの日数を数えるアプリだって当然のように残ってるし、元カノの歯ブラシはそのまま置きっぱだし、、全然未練タラタラではないか。別れてしばらく経って、貸してた服たちを返しに来てくれた。洗濯して返してくれた服たちはめちゃくちゃに元カノの匂いだった。どうやら匂いは1番記憶に結びついているらしい。どうしてもクローゼットに収納できず、今も部屋の隅っこに5枚置いたままだ。

こんな感じで、まあ全くスッキリ出来ずに自分の不甲斐なさだけが浮き彫りになっていく毎日。夜な夜ななんとも言えない寂しさみたいなものを感じては星空を見に行きたいという焦燥に駆られネットで検索するも、大阪は星が綺麗に見えるところがないので星空スポットに行こうと思うとどこも片道2時間くらいはかかる。結局どこにも行き出せずに家でちんちんを慰めてばかりである。

そんな俺にTikTokのおすすめが“花束みたいな恋をした”の2分くらいの切り抜きを見せつけてきた。花束は見たことがなかったけれど、これは絶対に見なければならない映画だと感じた。

意気投合した大学生の2人が付き合って同棲して、最初は上手くいってたけれど、社会に出て食っていかなければならない立場になると互いの価値観や生活習慣がズレていく。そして相手の思考回路が理解出来ずに心の中のモヤモヤだけが大きくなって冷めきってしまう。

おおよそこういうストーリーだと理解したけれど、何だか自分の頭の中にあった煩雑なまとまりのない考えが言語化された気がした。大学生という未熟な者同士が付き合ってそこに良い未来があるのか?お金と時間が揃わないと恋愛は続けられない。でもお金があり過ぎても全てがお金に頼ったロマンのない恋愛になってしまう気もする。

この映画の物語みたいなものを頭の中で勝手に想像していた気がする。勉強もせずに今やりたい事だけをやってなんの成長もないまま、結果このふたりみたいになって何年か後に後悔するのではないか?とか、でも今、ふたりの時間がある時はずっと一緒にいて今という瞬間を楽しみ続けたいよな、とか。恋は盲目とか言うけれど目が覚めたあとどうすんですか?お互いが成長するとか、そんなの結果論に過ぎないし、この世に溢れた恋愛を美化する言葉に踊らされたくもないし。段々何言ってるのか分からなくなってきた。分からないなら帰ってWikipedia。

花束みたいな恋をしたを見て頭の中を整理してスッキリするつもりが逆に混乱してるしもう何が書きたいのかもまとまらないし今日はこの辺にしておきます。

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