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1away-3awayポストクロフォードのキューブ(のはずがほぼ競馬の話に涙)
唐突だが競馬の話から
私が育った街には競馬場があった。したがって、物心ついた時から競馬はすぐそこにあった。知り合いの大人たちは当たり前のように電話投票で馬券を購入していたし、競馬場には子供の遊び場もあったので、当たり前のように週末には遊びに連れて行かれた。私が卒業した高校の卒業アルバムのクラス集合写真も競馬場の緑の上で撮影された。
そんな環境で育った少年は自然と競馬に親しむようになった。タマモクロスとオグリキャップの芦毛対決に心を震わせ、ライスシャワーの非業の死に落涙した。1996年春の天皇賞で、観客席の最前列で見たサクラローレルの返し馬の迫力は今も忘れない。
どうでも良い上に、もはや昔の話(気が付いたらほぼ30年前!)になっているので知らない方も多いと思われるが、1996年に淀(京都競馬場)で開催された春の天皇賞は「ナリタブライアンvsマヤノトップガン」の名馬対決に注目が集まっていた。単勝馬券はほぼこの2頭で買い占められ、連勝馬券もこの2頭の組み合わせが買い占められた(この2頭の馬連のオッズは2.0倍であった)。
なんせこの前哨戦の阪神大賞典が凄かったのだ。私はこのレースを仁川(阪神競馬場)まで観に行ったが、あの歴史的な名勝負をこの眼で見ることができたのは私の秘かな自慢である。
1996年 阪神大賞典
ナリタブライアン。
競馬を知らない人でも聞いたことがあるであろう名馬で、1994年には圧倒的な強さで日本競馬史上5頭目となるクラシック三冠を達成し、当然のように1994年の年度代表馬に選ばれた。
しかし1995年には怪我を患い一転失速する。治療後も「三冠時の力は出せなくなっている」との見方が有力だった。
そして1996年を迎える。
マヤノトップガン。
1995年に菊花賞を制し、その勢いのまま、6番人気ながら同年の有馬記念を制した。ちなみに復活が期待されたナリタブライアンは2番人気に推されたが、4着に沈んだ。
どうでもいいが「当年の菊花賞馬が有馬記念に出走したら基本的に買う」と考えていた私は、たいへんおいしい思いをさせていただいた。
菊花賞、そして有馬記念を制した結果、1995年の年度代表馬に選出された。
そして1996年を迎えた。
前振りはそのくらいにして、レースは実際のものを観ていただくのが一番と思う。故障から復帰後は強いレースが出来なくなっていたナリタブライアンは、それでもこのレースで2番人気に推された。ちなみに1番人気は当然マヤノトップガン。
ちなみにこの名馬が1番人気を逃したのは、新馬の頃を除くと前年である1995年の有馬記念(1番人気はこれまた名牝馬のヒシアマゾン)とこのレースと、あとは最後のレースとなった、全く適性がないと思われた短距離走の高松宮杯のみである。
で、普段は「最も期待値の高い」馬券しか買わない私だが、このレースでは世にも珍しく、自分のルールに反して期待値と無関係な馬券を購入した。そう、ナリタブライアンの単勝馬券である。
私が期待値と無関係な馬券を求めたのは、この時と「奇跡の復活」を遂げた1993年有馬記念のトウカイテイオーのみである(そして結果的に、いずれも的中馬券となった)。
いや、合理的な理由もあったのですけどね。あくまで本番は春の天皇賞であるマヤノトップガンと、ここで惨敗したら後がなくなるナリタブライアン。本気で勝ちに来るのはどっちかと考えるとナリタブライアン陣営では?
そして結果は既知の通りで、ナリタブライアンがこの名勝負をアタマ差で制した。当時実は絶賛受験生であった私は、この利益の一部を大学の入学金の一部に充てた。
今調べたら、この阪神大賞典は大学入試の合格発表の前日であった。そのことは完全に忘却していたが、受験が終わった解放感に溢れていたためか、この名勝負で全部ぶっ飛んだのか。
全くの余談で恐縮だが、入試結果は合格を確信していた。この年の入試では私はなぜか神憑っており、センター試験では当時800点満点で744点を叩き出した。大の苦手で一秒も勉強しなかった古文(800点中50点を占めた)だけは鉛筆を転がして選択肢を決めたが、それ以外ではほぼ満点だった。
続く二次試験も、数学と理科二科目(これまた生物と物理という変態的な選択を行った。理系で化学を選択しないなんて今でもできるのかな?)を時間を余して完答した。試験後の検討ではいずれもほぼ満点で、残りの国語と英語は差がつかないと思っており(国語は現代文と古文から選択で、当然現代文を選択)、合格を確信していたことだけは覚えている。
1996年 春の天皇賞
そして迎えた春の天皇賞。ナリタブライアンが復活を遂げたこともあり、事前には「二強のどちらが勝つか」で大変盛り上がっていた。
レース当日は上述したように単勝馬券も連勝馬券もこの二頭で買い占められた。その二強対決の図式の中で、忘れられかけていた名馬がいた。サクラローレルである。
明らかに2頭の馬券が買われすぎていた。私はこういった「オッズが歪んでいる」状況を好む。「オッズが歪んでいる」というのは、人気などが先行して、本来あるべきオッズから大きく外れている状況だ。こういった状況の場合、明らかに実力はあるが人気のない馬に、あり得ないオッズが付くことがある。このレースでのサクラローレルがそうだった。
このレース前に、まさかこの馬が、この天皇賞を制するのみならず、同年の有馬記念も制して1996年の年度代表馬に選ばれるなんて考えている人はほぼいなかったのではないだろうか。そう、このレースは結果的に1994年・1995年・1996年の年度代表馬が激突する名勝負となったのだ。
そんなわけで、私はいつも通り自分のルールに従い「最も期待値が高い」と思われるサクラローレルの単勝馬券をしこたま購入した。この日購入した馬券はこの一点のみである。
仁川であの激戦を生で観戦し(しかもナリタブライアンの馬券を買っている)、天皇賞の当日に淀にまで足を運んだ人の中で、サクラローレルを一点買いした変質者は、もしかして自分だけじゃないだろうかと思う。
そして上述の通り、二強対決が期待されたこのレースは、大方のファンの予想に反して(そして私の期待通り)サクラローレルが勝者となった。
ゴール近くの正面スタンドほぼ最前列にいた自分は、サクラローレルのゴールの瞬間ただただ絶叫した。周りからの白い目を浴びながら。
サクラローレルの単勝馬券は14.5倍で払い戻された。1000円分買っていれば14500円。10000円分買っていれば145000円。3万円分買っていれば435000円。10万円分買っていれば145万円。もはやとっくの昔に時効だが、いくら買っていたのかは書きたいけど書かない。笑 が上記の中に正答はあります。
めでたく入試を突破し大学に入学したばかりの私は、この利益の一部でまだ買えていなかった教科書を購入し、入学時に支払いを求められていた「在学中の同窓会費」全額を支払った(どうでもいいが卒業後は同窓会費を一円も払っておりません笑)。
そして1away-3awayポストクロフォードの話を
なぜ延々と競馬の思い出話を書いたかというと、1away-3awayポストクロフォードのキューブが、この「期待値の最大化」で共通点がありそうだと感じたからだ。
ポストクロフォードのキューブは、通常オートマチックに行われる。負けている側は、キューブを2倍にすることで何も失わないからだ。
例えば1away-2awayあるいは1away-4awayポストクロフォードの場合、負けている側がキューブを出すことで失うことは何もない。いきなりギャモニッシュに展開になったとしてもキューブを保留して戦うほどの有利さはない。逆に2倍の提案をしなければ大きなエラーが付く。
ところが1away-3awayポストクロフォードの場合は違う。もちろん、冒頭でキューブを出すことで失うことは何もないが、キューブを保留してもエラーはつかない。なぜなら、キューブ戦略上、勝っている側の選択肢はよほどじゃないと「テイク」しかないので、キューブを出さないことでマーケットを失うことがないからだ。
したがって、キューブを保留することによるメリットは以下の2点があげられる。
1.このスコアでは、勝っている側は基本的に「テイク」だが、状況次第で間違ってパスしてくれることがある。負けている側からするとただで1点もらえる上に、次はDMPとなる。
2.キューブを保留することで、ゲーム中のキューブ判断が続く。どういうことかというと「PRが良くなる」のだ。したがって、INBCでの「銀河英雄戦」のように、PRも勝負になるような場合に戦略的に重要になる。(逆に言うと、PRが関係ない勝負の場合は重視されない)
これが、私が「期待値が最大化する」と考える理由である。
長くなりました。具体例は次回提示します。