藻谷浩介的中心市街地活性化論批判
■はじめに
「まちづくり三法」の改正により、中心市街地活性化の取り組みのスキームが変わりました. これまでのスキームでは、市街地の整備改善と商業等の活性化のための事業を一体的に推進するということで、中心市街地の商業集積の活性化を目的としていたのですが、新しいスキームでは「中心市街地の活性化」が目的とされ、「商業の活性化」はその下位目標の一つという位置付けになりました。(ただし、メインの課題は「商業の活性化」であることに変わりはありません)
この改正が行われたのは、国会における審議などを参照しますと、
①これまでのスキームが機能しなかったのは、中心市街地の人口減という根本的な原因に対する対応策を講じなかったから。
②中心市街地の商業を活性化するためには、中心市街地の居住人口や来訪者数を増やさなければならない
③これらと並行して商業等の活性化のための施策を講じる
という「理論」が採用されたからです。
近年、この「理論」を展開している人の代表格がここで取り上げる藻谷浩介さん。
法改正を審議する国会の委員会に参考人として招聘され、以下検討するような趣旨のことを述べています。
なお、ここで検討する藻谷氏の言説については、2004年に当サイトの掲示板で検討しました。本文は、その書き込みを基礎にしています。
法・スキームの改正という状況の変化を踏まえ、あらためてきちんと批判しておきます。
※批判の対象とする藻谷さんのテキストは次のところにあります。
http://www1k.mesh.ne.jp/toshikei/173.htm
講演『デフレ時代と中心市街地』
日本政策投資銀行地域企画部調査役 藻谷浩介氏
(2002年5月23日(木)於:後楽国際ビルディング大ホール)の速記録
○テキストの構成
テキストの構成は次のとおりです。
1.中心市街地とはどこか
2.中心市街地衰退の現状と要因-景気が原因ではない
3.それでも中心市街地は必要か
4.デフレを前提とした中心市街地活性化の原因療法
検討は、テキストの構成に沿って行いますが、いちいち引用すると煩雑になりますので、あらかじめ全文を通読しておいてください。なお、紙媒体で手元に準備しておかれることをおすすめします。
■ 批判的検討を行う理由
~藻谷「理論」は需要の背後の課題に応えうる内容であるか~
藻谷さんは、この講演会速記録(以下『テキスト』と呼びます)の中で「中心市街地関連で年間180回の講演を行っている」と言っています。つまり、藻谷さんの提言にはそれだけの需要があるということです。
需要の背景には、中心市街地の活性化をなんとか実現しなければならない、という切実な課題があります。藻谷さんの提言への需要の状況は、藻谷さんの提言が多くの中心市街地活性化関係者の問題意識にマッチしている、ということを意味しているのではないかと推測されますが、『テキスト』は果たして「中心市街地活性化への道」を指し示すことができているか否か、検討が必要な理由はここにあります。
◇藻谷氏の基本視点についての疑問
具体的な検討に入る前に、あらかじめ申しあげておきますと、藻谷さんの主張を検討しなければならないのは、「本当にそうだろうか」と首をひねらざるをえない主張が随所にあり、かつ、その結論は到底、中心市街地の活性化を実現する方策として肯定されるものではないからです。
しっかり検討し、「藻谷さんの主張は本当か? その主張は何を根拠に行われているか?そ根拠は信頼に値するのか?」といったことを検討しなければならないゆえんです。
『テキスト』で明らかにされている藻谷さんの基本的な視点は、商業の成立は店前通行量に依存し、ひいては立地周辺の人口に依存する、というオーソドックスな・たとえば商店街の皆さんが持っている経験則と共通しています。
もちろん、このような経験則では、上位都市圏から購買力を吸引している、例えば商工会地区に立地している「郊外型商業(たとえば広域型ショッピングセンター(以下)「SC」と呼ぶ)」を説明することは出来ません。ご承知のとおり、SCは、自らが作り出す「買い物の行き先」としての魅力で広域のお客(購買力)を引きつけています。つまり、立地している地区の人口に依存しているのではなく、自らが作りあげている「集客力」をもって広域から顧客を吸引していることは誰の目にも明らかです。
商業は立地の人口に依存ずる、という経験則はSCをはじめ、郊外型商業の実態によって完全に覆されています。人口密度の低い郊外、広域沿線沿いが商業立地として優位にある今日、商業立地に関する商店街全盛時代の経験則、事実によって反証されているわけです。
従って、この時期に「商業立地は周辺人口に依存する」ということを言いたかったら、「なぜそうなのか」ということを理論的に説明しなければならない。
藻谷氏はこのことをどう説明されるのか?
その説明は人を納得させる内容を持っているかどうか?
もう一つ。ご承知のとおり、小売業には対応しようとするお客の購買動機・購買慣習の違いからいくつかの類型(最寄り/買い回りなど)があり、類型ごとに異なった成立条件が考えられます。
集積についても同じような類型/条件があります。
商業の活性化について論じるにあたっては、「類型」を捨象したレベルで考えても具体的な方向・方法の議論にまで進めることが難しく、とりわけ中心市街地における商店街、すなわち広域商店街の活性化を論じるについては、このことを捨象しては話がまったく出来ないと思います。ところが、『テキスト」ではこのことがきれいに捨象されています。「広域対応型商業集積」という中心商店街の性格を捨象してその集積の活性化をどう論じることが出来るのか?
『テキスト』の場合、どのような成算があってこのようなアプローチを取られているのか、そのつじつまはどう考えられているのでしょうか?
このこともしっかりと念頭に置いて検討を進めましょう。
さて、テキストは上記の「本論」に入る前に8ページにわたって前振り、そこで長崎県佐世保市と愛知県刈谷市を対比して、中心市街地の現状、明と暗を紹介しています。
■ 検討する立場
藻谷さんは、「論」の冒頭で愛知県刈谷市と長崎県佐世保市の中心市街地について論じています。
私はそれぞれ「土地鑑」があります。
刈谷市については、偶然ですが今年(2004年)始め、ちょうど藻谷さんが同市で講演をされるという当日の昼間、市役所・会議所の担当各位と同行、中心市街地を視察しています。
実はこのとき、「今夜、藻谷さんの講演がある」と言われて、「誰ですかその人?」というのが藻谷さんの名前を初めて知った、という因縁がある(笑
刈谷市を訪れたのはこのときがはじめてですが、隣接する豊田市、安城市では近年中心市街地活性化の取り組みを支援しており、「今をときめく西三河地区」の小売商業の展開状況については、概ね把握しています。
一方の佐世保市はご承知のとおり、当社が所在する佐賀県武雄市から車で30分という位置にあり、取り上げられている中心市街地にはタウンウオッチングでたびたび出かけています。
ということで、まずは、刈谷市及び佐世保市の中心市街地についてのテキストの所説を見てから本論に入りたいと思います。
先取りになりますが、「はじめに」はこのテキストの方法への導入になっており、意識してかどうかはともかく、面白い仕掛けになっています。
注:その後、刈谷市では、2005年から刈谷商工会議所主催・当社の全面的な支援による「商業者スキルアップセミナー」が開催されています。
これは、当社が提唱している「商人塾」と同じ内容です。
1.テキストの対象地区の現状と分析
テキストは、本論に入る前に8ページにわたって前振り、そこで前述のように愛知県刈谷市と長崎県佐世保市の「中心商店街」を対比、中心市街地の現状、明と暗として紹介しています。
じつはこの前振り、このテキストでは大変重要な役割をしています。
■刈谷市の中心商店街は銀座?
まず、最初の考察は、刈谷市の「旧」中心商店街である銀座商店街です。
旧と書いたのは他でもありません。銀座の現状はもはや商業街区ではないからです。 現状は藻谷さんが描写されているとおり、かって隣接各都市からまで買い物客を誘引していたという一大商業地の面影は全くありません。
例えていえば、商工会地区で見かけられるかっての○○銀座、仕舞た屋通りといった風情です。
刈谷市には、銀座に近く東陽商店街があります。こちらはあまり元気がありませんが、地方都市の中心市街地所在の商店街として、さもありなん、というレベルの状況です。
私が行ったときはチャレンジショップなどが取り組まれていました。
藻谷さんがおっしゃるように、刈谷市銀座通りは景気が悪くなったから没落したわけではありません。ではなぜ、仮にも人口13万超、藻谷さんが縷々説明しているように全国的に突出した繁栄を謳歌している・かつ、商業都市としての豊かな歴史をもつ刈谷市の旧中心商店街が、藻谷さんから「全国の商店街・やがてはこうなる」、全国的なモデル事例(あとで見るとおり、藻谷さんの誤解なのですが)と喧伝されるような状況に陥ったのか?
▲刈谷市銀座凋落の原因
残念ながらテキストではなぜ刈谷市銀座商店街が他都市の中心商店街に「先駆けて」現状に至ったのか、その原因の考察は行なわれていません。「考察抜き」は藻谷さんの「理論」全体に共通する重大な欠陥です。
藻谷さんもテキストで紹介しているように、刈谷市の中心市街地は、
①都市機能の郊外移転が起きていない
②人口は漸増している
③就業機会に恵まれている
という特性を持っています。
つまり、後でみる藻谷さんの「理論」では、空洞化するはずがない中心市街地なのに商店街は見る影もなくなっている。もちろん、テキストではこの原因は、全く追求されていません。
追求すれば刈谷市中心商店街の凋落は(藻谷さんの主張とは異なり)中心市街地の人口減がもたらしたものでは無かった、ということがたちまちはっきりしたのですが・・・。
すぐ後に紹介されている佐世保市四ヶ町の分析でも見られることですが、藻谷さんの商店街論(?)は、「○○が起きている・見える」という商店街の現象面についての印象論であり、その現象が何故起こったのか、ということについての論究・説明は行われていません。
実はここに藻谷さんの中心市街地活性化〈論〉の特徴があるのですが、それが何をもたらしているかということは後ほど明らかにすることにして、まずは刈谷市銀座どおりの凋落の原因について考えて見ましょう。
もう一度いっておきますが、藻谷さんが「全国の商店街、やがてはこうなる」モデルとして提出されている刈谷市銀座通りですが、銀座通りは
①何故現状に立ち至ったのか、その原因は何か?
②何故この街が全国の商店街の運命のモデルとして使えるのか?
といったことについては一言も述べられておりません。このことについては、それぞれテキストにあたって確認してください。
さて、前述のとおり刈谷市は、藻谷さんも述べているように、名古屋市周辺でももっとも勢いのある西三河地区に位置しており、
①中心市街地に多様な都市機能が集積している
②中心部にトヨタ系の上場企業の本社6社が集積している
③中心部にはマンション林立、人口は若年層を中心に増加している
④中心市街地にあるJR苅谷駅の乗降客は、通勤通学中心で5万/日強
という、全国的に見て例外的な条件を持っている都市です。
こういう条件(ちなみにこのうちのいくつかの条件は改正・中心市街地活性化法のスキームが実現を目指す目標ですね)が揃っているにも関わらず、中心商店街・銀座踊りはなぜ「更地」と化してしまったのか?
仮にも、中心市街地活性化、商業の活性化について云々しようという人が、例証として挙げるからには、このことは当然解明しておかなくてはならない。ところが、藻谷さんはこの解明作業を一切行っていません。(これは後でみる佐世保市四ヶ町についても同様です)
「論証していないではないか」、「活性化への提案」としての条件を備えていない、と指摘すればそれで一件落着ですが、ことはそう簡単ではありません。
藻谷さんはテキストで、
①自分は全国の市町村ほとんど回った、行ってないのは5個所だけ(講演の時点から相当経過しましたから現時点ではたぶん「全市町村」を制覇された?)と言われ、かつ、
②そのすべての市町村について「最初は自費で出かけた」ことを披露し、自分が講演などに呼ばれるのは、この経験があるからだ、と認識されています。
このことは重要でありまして、Web上で藻谷さんを検索してみますと、多くの記事が「全国の都市を自費で回った」ということが高く評価されているようです。
藻谷さんは、自分の所説について「論証」を行わず、ただ、「○○である」という断定を下すだけですが、どうもその断定の根拠は、「たくさんみてきた」&「自費でみてきた」ということらしい。おかしな話です。
中心市街地についての言説の正当性を判断するのに、何カ所回っているか、自費か否か、ということは評価の対象としては全く問題になりません。例えば評論家が自分の評論の根拠として「読むべき本は5冊をのぞき全部読んだ」、「全部自費で買って読んだ」(だから主張は正しい)と主張したらどうでしょうか?
内容よりも、そういうことを言説の根拠にしようとしたという、そのことだけで評論家の評価が決まってしまうことは間違いありません。
といったおよそ「理論」的な主張をするにあたってはイロハにあたることについて藻谷さん、承知の上かどうかはわかりませんが、ともかく、話の前振りとして開陳され、それを後続の主張の根拠にされている、話を聞く側にも藻谷さんの「旅行体験」を主張の妥当性・有効性の根拠として受け入れる人たちが少なからずいる、ということは明らかであり、かつまた、あるいは参考人招致の根拠もこのあたりにあったのかなと考えれば、なにをか況わんや、藻谷流の批判は緊急の課題であることが理解されると思います。
■ 銀座どおり商店街、消滅の原因
さて、「勝ち組」として今をときめく刈谷市ですが、かってその中心商店街であった銀座通りは何が原因で凋落したのか? 前述のとおり、藻谷さんは全く説明しておりませんが、私なりに考えてみたいと思います。
一般論として、商業機能が衰退する理由は2つあります。
第一に購買力の減少。これは説明する必要はありませんね。
購買力の減少は、購買人口の減少、自由裁量所得の減少を主な要因として起こります。購買力が減少すれば、商品購買の頻度/額が減少し、当該商業機能は衰退する。当たり前です。
この場合、没落するのは周辺の集積も一蓮托生になることでしょう。
もうひとつは、商業機能(集積)間競争への敗北。商業機能は、消費購買行動に対応して売り場が集積されているのが一般的であり、いくつかの方法で区分されています。
たとえば
①近隣型、地区型、広域型とか、
②利便型、買い回り型、専門型とか、
③あるいはクオールエイド流では、コンビニエンス/コストコンシャス/ラグジュアリィというように。
お客は自分の買い物動機にとってリーズナブルな買い物行き先に出かけます。異なった買い物動機に対応している商業機能は共存が可能です。たとえばコンビニエンスストアとスーパーマーケット。コンビニの商品構成はほとんどスーパーマーケットにカバーされていますが、来店動機が異なるため、例え隣り合わせに立地していても共存することが出来ます。
こういった商業の機能別の特性について、テキストは全く問題にしていません。たとえば、近隣型商業と中心市街地型=地域中心・広域型商業の違いなど。機能を十把一絡げにしている結果テキストにどのような問題が生じているか、ということは後で詳しく見ます。
▲商店街衰退の一般的要因
(1)来てくれるお客がいなくなった
=買い物行き先ではなくなった
=競合する商業集積の出現~成長に適切に対応できなかった
お客、消費者の特性として、買い物行き先が無ければ買い物をすることが出来ません。近所に買い物できる店舗、集積が無ければ、買い物できるところまで出かけなければならない。
一方、複数の買い物行き先が提供されているとどちらに行くか、行き先を選択しないと買い物することが出来ません。
(こうしてみると当たり前過ぎることですが、このことがこれまで商業関係で意識され・問題の中心に据えられたことは無かったと思います。)
高度成長期以降の移動条件の変化(手段及び心理)は買い物行動を広域化し、商業機能の立地条件を大きく変化させました。新しく魅力のある商業集積が出現すればお客は既存集積と比較検討、よりリーズナブルな買い物が出来る集積を選択することができるようになりました。中心商店街の衰退は、集積間競合=顧客の買い物行き先選択に敗北したからです。
ではその相手は誰だったのか?
商業集積の競合は、域内競合~域間競合というように発展していきます。
(2)商店街間競争への敗北(新集積との競合)
ちょっと本論から離れますが、中心商店街のライバル:ショッピングセンター(以下SC)について考えてみましょう。
SCの前身は、ビッグストア、GMSなどとと呼ばれる業態です。
まず最初は、スーパーマーケットとして商店街の内側あるいは外縁部に出店、商店街の集客力を利用しながら顧客を作っていきました。
その後、取扱商品の拡大・売り場面積の必要から市街地内部の大規模空地(駅裏、工場跡地など)へ移転、やがて市街地縁辺のロードサイドへ移動し、現在はさらに郊外立地のSCへと変身・移動を重ねています。
SCは、人工商店街。核であるスーパー(GMS)を始めテナント群の相乗効果で消費購買行動の行き先(デスティネーション)としての機能を作りあげています。
同じように、かって、都市中心商店街も大小の店舗群の集積で大きなデスティネーションを作りあげ、広域からの買い物行動を誘引していましたが、新しく登場した新業態との競合の結果、商店街は次第に顧客を奪われていくことになりました。
(実例を挙げています。
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=244&reno=229&oya=187&mode=msgview&page=0
話を簡単にするために新しいライバルを「新集積」としておきます。
新集積とはこれまで中心商店街が独占していた買い物行動を分散・吸引する力をもった新しく登場した商業機能のことです。
(3)中心市街地における商店街間競争
20年くらい前、壊滅的な空洞化に至っている商店街は、良く隣接して繁盛している商店街とセットで存在していました。没落しているのがそれまでの地域一番商店街。
一番の座に安住している間に、これではならじと奮起した二番手商店街、高度化事業や核誘致やらで見事逆転、というのは良くある話でした。
その結果、消費購買客が新装成った商店街に集中することになり,かっての「一番商店街」は一挙に衰退した・・・という事例もよく見られます。
■ 銀座どおりの場合
さて、以上のような「商店街空洞化」の一般論に銀座通りは当てはまらないのです。
銀座どおりにはその存在を覆す強力なライバル商店街が中心市街地内にあったわけではありません。現在、刈谷市中心市街地の代表的な商店街は東陽町商店街ですが、この商店街は当時銀座どおりとライバル関係には無かったといわれています。銀座が広域対応の「買い回り型商店街」、東陽町は中心市街地居住者を対照にした「最寄り型商店街+アルファ」という棲み分けが成立していたようです。
このような状況を考えますと、広域を対象に繁栄していた銀座どおりが昭和40年代にあっという間に衰退した理由は、何であったか? あらためて考えてみなければならない。
藻谷さんによって「全国の商店街、やがてはこうなる」と喧伝された刈谷市銀座どおり商店街の衰退をもたらしたのは何であったか?
もちろん、商業集積としての魅力の劣化が生じたからですが、銀座の場合、その契機は「人口減」でもライバル商店街の勃興出もありません。空洞化は商店街内部から発生しています。
全盛時代の銀座どおりから、その「核」であった量販百貨店・長崎屋が撤退し、集客力にかげりが生じます。長崎屋は、郊外に進出したきたライバル量販百貨店との競合で敗勢が濃厚になり、生き残るには自らも車立地への移動が至上課題となったわけです。
長崎屋の脱出とともに、これからさらに激化する車立地との競合に危機感を抱いた有志が商店街から退出、郊外にイトーヨーカ堂を核に誘致して「地元主導型ショッピングセンター」を開設しました。(このSCは現在もちゃんと営業中です。)
この時点で、とおりから有力店舗がごっそり退去、商業集積としての魅力は一挙にダウンしてしまいました。
核店舗の撤退と有力店舗群の一斉退出、これが銀座の劇的な衰退の一大契機でした。
さらにその後、残った個店群も機を逸することなく逐次、移転、廃業とそれぞれの道を歩み、栄華を誇った商業集積としての銀座は急速に空洞化したのです。
同じような状況は各地の中心商店街で見られたことですが、多くの都市では空洞化は進展しながらそれでも中心商店街として存続しています。
銀座どおりの場合、なぜ他に例を見ない劇的な衰退が起きたのでしょうか?
実は刈谷市銀座の場合、急激な空洞化の進展にはもう一つ理由がありました。
それは、銀座通りの各個店の立地がほとんど全て、借地だったということです。
借地の上で商売繁盛、しっかり資本を蓄積した時点で「核店舗」の撤退を契機に一斉に新立地を求めて撤退に踏み切ったのです。
ほとんど全部借地だった、意志決定を迫られたのがバブル崩壊以前、他の商店街ではまだ空洞化がそれほど顕著になる以前だった、という条件が銀座の空洞化の特徴です。ここでお店を張っていた皆さんは、共同店舗に移る、中心市街地内に適地を得て移転する、ということで現在もちゃんと商売が続いています。
銀座通りの凋落は30年も前の話、それ以来、旧銀座商店街は商業街区では無い、ということです。
刈谷市銀座どおり商店街の凋落の原因について、テキストでは全く述べられていませんので、以上、現地取材の結果を加味して述べておきます。
銀座どおりが現状に至った経緯は、なかなか他の都市では有り得ない条件が重なっておりまして、現在進行中の「全国の商店街の衰退」のモデルとするには適していません。
もう一つ。
現在のところ、刈谷市の中心商店街は、東陽町~名鉄刈谷市駅周辺に至る範囲、中でも東陽町商店街がもっとも集積度が高くなっています。
じつはこの商店街群こそ全国各地の中心商店街と同じように、空洞化が進展しており、活性化対策に取り組んでいる中心商店街です。
もうおわかりのように、刈谷市中心市街地の問題は、
①人口が増え・通勤者も増え
②都市機能も充実しており
③隣接して上場企業の本社がいくつも集積している
④という立地条件という立地条件にも関わらず、
商店街だけは空洞化している、ということです。
もちろんこれは、後に見る商店街の活性化は人口に依存する、という「藻谷理論」では到底説明出来ないことです。
さて、刈谷市中心商店街の状況をこのように概観すると、次のような疑問が生じます。
藻谷さん、せっかく銀座どおりを何度も見たのなら、どうしてその周辺まで足を延ばさなかったのか?
そうすれば、上記①~③の条件を具備しているにもかかわらず、空洞化している中心商店街を目の当たりにすることが出来たはず、そうすれば「商業の活性化は人口増で実現する」などというデタラメをいう羽目に陥ることは無かったと思います。このことから得られる教訓は何か?
都市は数多く・自費でみてくればみるべきものが見えてくるものではない。ちゃんとみるべき視点を持ってみようとする場合に限って見るべきものが見えてくる、ということです。
これは都市に限らず、「見る」ということに必ずつきまとう原則です。
■佐世保市中心商店街
まずは当サイトの過去ログを紹介しておきましょう。
http://www.quolaid.com/library/kakuchi/kakuchi6.htm
【No112】「佐世保市四ヶ町」の記事です。ちなみにこの記事のあたりには西日本新聞の特集「開けシャッター」に取り上げられた九州各地の商店街、商業集積についてのレポートの論評を収録しています。お暇な方はどうぞ。
では佐世保市中心商店街について。
1.位 置
佐世保市中心商店街、約1㎞にわたる四ヶ町、三ヶ町と称されているアーケード街。JR佐世保駅~市役所の間に位置しています。大型店は、百貨店:玉屋、量販百貨店:ジャスコ、他に大型ファッションビル:西沢が2店あります。
平日でも結構な人出。ライバルといわれる郊外のSCよりも格段に多い。
藻谷さんに「日本一元気な街」と評されて以来、全国版になりましたが、どうしてこんなに人出が多いのか「誰にも分からない」らしい。
イベントなどに積極的とのことですが、イベント目的の来街ならイベント当日だけのはず、もっと他に理由があると思われます。
2.商 圏
佐世保市は、長崎県北部に位置し長崎市と県内商圏を二分しています。(ただし、県の中央部には大村、諫早市がありそれぞれ独立商圏を作っています)
佐世保市の商圏は、東南方向に東彼杵郡及び佐賀県西部(有田町、西有田町、伊万里市の一部)、 西部方面は平戸市、松浦市、北松浦郡です。郊外型の一大商業集積である大塔地区は、東南商圏からの市への入り口にあります。
3.競合関係
テキストに紹介されている、大塔地区は、東南の商圏から市中心部に向かう国道35号線に沿ってイオンショッピングセンターを始め、スーパーマーケットやカテゴリーキラーなど、郊外沿線型商業がたくさん立地しています。中心部~大塔間の交通は上記の国道35号線だけ、この道路は終日混雑しています。
市北部に目を転じますと、佐世保市~平戸市間に郊外型商業集積は全くと言っていいほどありません。佐世保市大野町から平戸市、松浦市に至る地区に住んでいる住民にとって、一番近い商業集積は郊外型集積ではなく、佐世保市中心商店街なのです。
大野~平戸の住民が郊外型集積に行くためには、佐世保市中心市街地を通過し、混雑する国道をとおって市の反対側である大塔地区まで出かけなければならない。
このような商圏の特性を把握し、さらに「郊外型SC=人工商店街論」を踏まえると「四ヶ町の人出」が理解できると思います。
※「人工商店街」について初見の人は、当サイト・ポータルページで[サイト内検索]をクリック、出て来るテキストをチェックしてください。これは以後の考察を理解するために作業、必ず行っていただきますよう。最低、次のテキストは必読です。
http://www.quolaid.com/library/sforum03/s082.htm
内容が良く理解できなかったら他のテキストもぜひ読む、掲示板に書き込む、メールで質問するなど、工夫を凝らして理解してください。
4 四ヶ町の考察
(1)四ヶ町の賑わいの理由はなにか?
藻谷さんのテキストに書かれているさまざまの要因の他に、重要な来街目的として、「ショッピング」があります。
人々が四ヶ町に出かけてくるのはそこに「買い物の場」が集積されているから。佐世保市中心市街地の商店街、他の都市では集客出来なくなっているのにどうしてここでは出来るのか? 考えてみましょう。
箇条書きで示せば。
第一。
商圏内におけるファイナル・デスティネーションの位置を長い間確保していた。
第二。
商圏の半分からは現在でも中心商店街がもっともアクセスしやすいショッピングゾーン(集積)である。
第三。
人出をあてにした新規出店が相次いだ。
第四。
非物販集客施設が開設された。
これらの結果、奇跡の1㎞、「日本で一番元気な商店街」が存在しています。ただし、この元気が果たして個店の元気=繁盛につながっているかどうかは後ほどあらためて考えてみたいと思います。
以下、順に解説します。
①第一の理由
> 商圏内におけるファイナル・デスティネーションの位置を長い間確保していた
佐世保市四ヶ町は、百貨店:玉屋、量販百貨店:ジャスコの2核を備えた全長1㎞といわれる巨大ショッピングモールです。モールにはサブキーとしてファッションビル、アミューズメント系も立地しています。私は郊外のSCを「人工商店街」だと揶揄するのですが、あらためて四ヶ町を見ますと「自生的SC」と言えないこともない(笑)
規模はどうかと言いますとこれは断然四ヶ町が勝っている。
佐世保広域商圏における郊外型商業集積は、大塔(日宇)地区にしかありません。同市の商業事情が他都市と大きく異なるところですが、その理由は、第一に市内に平地が少ないこと、第二に他の地区にはまとまった消費人口が集まっている地域が無いこと、の二つが考えられます。
他の都市では全周的に立地している郊外型商業が佐世保市の場合、中心市街地を挟んで概ね南北に分かれている人口分布のうち、北部にしか立地していない、ということ。
大まかに言って佐世保市の場合、平地といえばJR佐世保駅~市役所をつなぐ、四ヶ町、三ヶ町およびこれと平行して中心市街地を縦貫している国道沿線しかありません。(海側は米軍用地など)新しい商業街区が出てくる余地がなかったことが長年に渡る四ヶ町独壇場の立地的要因だったと思います。
北部の住民にとって最近距離にある商業集積(ショッピングゾーン)は、昔も今も四ヶ町ということになります。この北部地区の消費購買力が佐世保市中心商店街の空洞化の進展をを押しとどめている、他の都市ではあまり見られない、大きな要因だと思います。
北部の住民が中心商店街を横目で見ながら、大塔の郊外型SCに出かけることはないのか?
②第二の理由
> 商圏の北半分からは、現在でも中心商店街がもっともアクセスしやすい買い物行き先である。
既述のとおり、北部商圏から中心市街地までのアクセスは比較的容易ですが、ここを通過して大塔に至る経路は国道が一本しかなく、佐世保市と外部を結ぶ広域動線ですから常時混雑しています
(西九州自動車道は全線開通しておらず、都心をバイパスできないため、あまり利用されていない)。
この混雑を覚悟して出かけるには相当のデスティネーションが必要になります。
四ヶ町vs大塔のSC間競争では集積度合いに格段の差がありますから、中心商店街と真っ向バッティングする大塔のSCには、中心商店街を横目で見ながら・混雑する狭小なアクセスをものともせず・わざわざ出かけるほどのデスティネーションは無い、ということでしょう。
他方、同地区に立地するカテゴリーキラー業態は、それぞれ独自のデスティネーションを持っており、こちらは佐世保市商圏全域から集客していることでしょう。しかし、この客相はSCには向かいません。(四ヶ町と使い分け)
佐世保市広域商圏の特殊事情は、他都市の中心商店街の空洞化の原因である、郊外型集積との競合が相対的に少なかった、ということを意味しています。前述のとおり市内には平地部が少なく、四ヶ町以外にまとまった商業集積が無いことも、少なくとも中心商店街にとってはプラスでしょう。
さらに、中心商店街には郊外の人工商店街のテナントミックスには見かけられないレベルの「専門店」も立地しており、全体としての集積度合いは相当高い、ということも今一度強調しておきましょう。
ただし、大塔以北の商圏については相当の影響を受けており、四ヶ町の業績がSCの開設でグンと落ち込んだことは否定できません。
③第三の理由
> 人出をあてにした新規出店が相次いだ。
④第四の理由
非物販の集客施設「サルカス」などが隣接してオープンした。
後ほどあらためて論じますが、中心商店街の各個店、けして「日本一繁盛している」わけではありません。「人出は日本一」かも知れませんが、立地する個店の業績がそれに比例しているわけではありません。ここのところ、誤解しないようにしてください。
数年前は空店舗が30店舗近くあって相当危機感があったようですが、一時期ほとんど解消されました。 新しい出店は、ドラッグストア、百均、ティスカウント理美容、ゲームセンター、居酒屋など、私が命名するところの「繁華街業態」、店前通行量をあてに出店する業種・業態がほとんどです。一時期、これらが踵を接して出店したため、空店舗が無くなったのです。
ただし、減ったのは上記の業種業態に適した店舗面積=中規模以上の店舗だけ、小さな店舗は依然として空店舗のままだったと記憶しています。
現在、再び空店舗が見られるようになっています。これは、
①上記の業種業態の出店が一段落したこと。
②既存個店の業績が一段と悪化したこと。
によると考えられます。
つまり、人出は多いが個店が繁盛しているわけではない、というのが佐世保市中心商店街、四ヶ町界隈の実態だと思います。
もちろん 藻谷さんが指摘されている、
①非物販の集客機能が街区周辺に点在していること、
②四ヶ町の賑わい自体が吸引力を持っていること、
も大いに関係しています。
事情を知らないままで四ヶ町をみると、この程度の集積でどうしてこれだけの賑わいが生まれるのか?
という疑問が生じます。これくらいの集積でこんなに人出の多い商店街は本当に珍しいのです。
この人出はなぜ起きているのか?
①及び②だけで現在の四ヶ町の状況を説明するのは無理です。
上で検討したような地勢及び広域商圏レベルの条件があってはじめて佐世保市中心商店街の「日本一元気な商店街」現象は説明可能だと思いますが如何でしょうか。
ここでも藻谷さんは、「木を見て森を見ない」という誤りをおかしています。②程度の集積でどうして他ではみられないような規模の人出を吸引できているのか?
商業集積、漠然と人通りが多いから良く売れる、といった商店街全盛時代の常識は現在では全く通用しないのだ、ということはしっかり理解しておくことが必要です。
さらにもうひとつ、重大なことがありまして。
「人通りは多いが個々のお店の入店客は少ない」という現象も見逃すことは出来ません。
▲来街要因
さて、四ヶ町の人出を考えられる来街目的で区分してみますと、
①非物販集客施設からの回遊客
②繁華街型集客施設のお客
③SC客(大野、江迎、平戸、松浦などから)
④専門店客(商圏全域)
⑤その他
というように考えられます。
他都市と大きく違うのは③ですね。①についても今となっては相対的に「恵まれている」かも知れません。
ただし、だから繁盛店が多いと言うことにはなりません。もちろん、別の要因で来街したお客がショッピング客に変貌する、というのはいつでも・どこでも期待されることですが、もともと買い物するつもりの無かった来街者に衝動購買を促すには「店づくり3点セット」がよほどしっかり作られていることが前提になります。
http://www.quolaid.com/library/sforum02/s031.htm
中で「衝動購買」を説明しています。
果たして四ヶ町の個店群に衝動購買を惹起する力があるかどうか・・・。
③については中味が問題です。
四ヶ町の場合、集積としての特徴は「価格訴求」タイプだと言うことです。家電、カメラ、めがね、ドラッグその他、郊外型カテゴリーキラーが目白押し。既存の専門店も多くが店前通行量ねらいの価格訴求型に変貌しています。
このあたりの事情については、
http://www.quolaid.com/cgi2/topics/topics.cgi
に写真付きで書いています。
四ヶ町の活性化への方向も他都市同様「ショッピングモールへの転換」以外にないことを論じています。
▲タウンウオッチング
ひと頃、商店街では「通行量調査」という事業が流行りました。
街の要点にカウンターを持ったアルバイトの学生を配置、何人の人が通ったかを算定
グラフなどを書いて一喜一憂していたものです。
最近ではあまりの激減ぶりに数える気力も無くなっているところが多いような・・・。
私淑する島田陽介先生は、かって、「通行量? 何で人間だけなの?犬も数えたら?」 と喝破された。もちろん犬を数えろと言うことでななくて、商業機能にとって店前通行者数などは犬を数えることと同じくらい無意味だ、ということです。
活性化の目標を「通行量の増大」として、中心市街地の通行量 ○千人/日という目標数値を掲げている例があるそうですが・・・。
商業集積を見る場合に大事なことは、
①どういう人たちが来ているか
②何をしているか
ということと
③集積の品揃え(店揃え)・サービス・環境
の適合状況をチェックする、という視点です。
おらっちはショッピングモールだかんね、と言ったとしても、実際のところ、そこが何であるかということはそこで何が起きているか、ということで決まるわけですからね。
佐世保市の中心商店街では何が起きているか?
確かに人はたくさん歩いています。
ではこの大勢の人たちは、何者で・何をしているのか?
とおりではどのような情⇔景が繰り広げられているのか?
なぜそういうことが起きているのか?
これらを見極めて初めて、商業集積を見た、ということが出来るのであって、商業集積が分担する機能などもしっかり見極めないと「モデル」などには使えません。
▲店揃え
商業集積としての特徴は、なんと言っても「価格訴求」型の店舗が多いこと。
家電、カメラ、ドラッグ、めがね、百均などに限らず、既存業種の衣料品、薬局、眼鏡店などもほとんどが価格訴求型。店頭に平台、ラックを張り出して店頭通行人を対象にした、価格訴求・衝動購買客ねらいという業容の店舗が軒を連ねています。
いわゆる中心商店街特有の買い回り型店舗が少ないのが特徴で、同規模都市の中心商店街の様相とはだいぶ違います。全体として見た場合、ここの品揃えと郊外のショッピングセンターを比較したとして、どっちがどっちかといえば、街に来ている人のなかには、ショッピングセンターの商品は高い、という印象を持っている人がいるかも知れません。
ここに立地している専門店は、集積としての条件ということでは、既述の通り、ちょっと厳しい。
■はじめに の まとめ
全国の中心商店街のほとんどが空洞化の一途をたどっている中で、都市としては「勝ち組」である愛知県刈谷市の中心商店街(とテキストが指名する)銀座街が、「負け組」の中心商店街よりも著しく空洞化、文字通り見る影もない状況に陥ったのはなぜか?
独立商圏・佐世保市の中心商店街が「日本一元気な商店街」といわれる人出があるのはなぜか?
以上について検討してみました。
この作業は本来ならば、
①藻谷さんが展開し、批判者は
②その是非を検討する
ということになるのですが、藻谷さんは「論証」という作業を全く行わず、断定するだけの人ですから、やむを得ず、当方が取り組み、かつ、藻谷流の断定は成立しないことまで論証出来たと思います。
中心商店街の現状を理解するためには、その全盛時代から郊外型商業全盛という現在に至る商業機能・立地条件等の変遷を一貫して説明出来る「理論」を持っていることが前提である、ということがお分かりいただけたこと思います。
中心市街地活性化関連で市町村段階の商業振興を考える場合、「小売商業」などといったレベルで考えたのでは、問題解決に資するレベルの思考が出来ません。あくまでも「それぞれの商業機能・集積が当該都市を中心とする広域において果たしている役割」を踏まえた考察が必要であり、これをさぼっている言説は者の役には立ちません。
これははっきり断言しておきます。
さらに、そのようなレベルの「理解」を前提に活性化策を考えたりすると、まったく活性化とは直接結びつかない施策群が登場することになります。公的経費と公的時間の浪費は取り返すことが出来ません。
また、後で説明することになると思いますが、商業は立地商売、人出が多いところが好立地といった商店街全盛・郊外SC皆無時代の常識は、とっくの昔に「非常識」になってしまっているのだ、ということもあらためて確認しておかないと、仏作って魂入れず、ということになってしまいかねません。
以上、本論に入る前振りを詳しくみてきましたが、藻谷流はこの「刈谷市・佐世保市」の注意sn市街地についての何の根拠も示しえない状況説明をもって、本論の「根拠」にしています。
ここまでの説明がデタラメである以上、これを根拠に展開されている本論部分は、あらためて検討するまでもなくデタラメであることが明かですが、皆さんの中にはきっと“今をときめく藻谷さんに限ってそんなことがあるはずはない”と思っている人も在ることでしょうから、本論も検討して見ましょう。
●両市の課題
本論に入る前にせっかくですから、苅谷・佐世保両市の中心市街地活性化の課題を考えてみましょう。妄言多謝。
■刈谷市の課題
銀座地区はすでに商業街区ではありません。ここを対象に「中心商店街を活性化する」などという案は地元にはないと思います。
刈谷市の中心市街地活性化、課題は二つあると思います。
その1 中心商店街:東陽町及び名鉄駅周辺の活性化にどう取り組むのか
その2 市民のラグジュアリィなショッピングの場をどこにどのような手法で確保するか、
もちろん、1が2を担うのがベストですが、果たして条件が整うか否か、しっかり吟味することが必要でしょう。
私は近年、縁があって三河地区に良く出かけているのですが、全国有数の好況といわれるこの地域においてなお、住民の買い物行き先は郊外のショッピングセンターその他しかない、というのが実状です。
つまり、日本全国、一部大都市をのぞいて買い物行き先はみんなショッピングセンター、というのが金満/経済大国・日本のショッピング事情ということです。西三河地区一帯、所得は潤沢なのに毎日の生活の中でこれを堪能する条件が整っていないということでは、概ね全国の中心市街地空洞化に悩む都市とまったく一律なんですね。
つまり、新しい需要の喚起は、好況・西三河地区の各都市でもほとんど行われていないと言うことであり、これでは如何に地区・都市が好況といっても地域全体、とりわけ中心市街地区域にその「好況」が均てんするはずがありません。
このような閉塞的なショッピング環境=ビジネス環境を打破するには、地元の力でラグジュアリィニーズ対応の商業機能を作っていく以外にありません。
すでに刈谷市をはじめ、豊田市と安城市でも「既存商店街のショッピングモールへの転換」の取り組みが始まっています。
地元に「時間堪能型」商業機能を整備する、という課題は、生活環境を整備するという都市経営の任務上、優先的に取り組まなければならない課題です。
一大商業集積:名古屋市中心市街地に近いから、というのは商業施策をネグレクトする理由にはなりません。
▲刈谷市中心市街地の展望
今後の刈谷市における中心市街地活性化の課題とは、
①市民の生活堪能ニーズに対応するショッピングモールの構築であり、
②東陽町~名鉄刈谷駅の商店街群がよくその任に当たることが出来るか否かを見きわめる
という仕事から始められるのではないでしょうか。
もちろん、この作業は東陽町を始め市内の商業者有志の参画が不可欠です。
まず、
1.今秋(平成17年)から開講されている「刈谷商人塾」を何が何でも成功させること。
2.1に取り組む過程で、行政・会議所・商店街三者による「TMO推進体制」を構築、発進させる準備を整えること。
これが実現すれば、基本計画~TMO構想の作成にあたって、商業者自身が主体的に・責任を持って取り組んでいく基礎が作られます。
TMO構想作り、商業者が主役で取り組んでいく体制が出来れば中心市街地活性化は半分以上実現したようなものです。
先行するTMOの多くが「商業者との協働」を構築できずに停滞している折から、ここをしっかりクリアすることが出来れば「トップランナー」の位置に躍進できますね。
※ 2005年度からクオールエイドと提携、上記の取り組みがスタートしています。
■佐世保市中心商店街の課題
こちらの課題は、ズバリ、四ヶ町を商業集積として如何に活性化するか?
『整備改善/活性化法』が対処しようとする課題、スキームのまんまです。
端的に言えば、中心市街地/四ヶ町&三ヶ町を「ショッピングモールに見立てて再構築」することでしょう。
この場合、問題が二つあると思います。
1.街区の繁華街的な性格が強くなっていること。
空店舗の救世主・百均、ドラッグ、居酒屋、ゲーセンなどなどは、来街目的を比較すれば、必ずしも既存の専門店群との間に相乗効果をもたらすとはいえません。
また、都市規模からしてとおり全体が繁華街に変貌するということも難しい。
混在する中で専門店群はさらに状況が深刻化することはないでしょうか。
ショッピングモールを目指すときも同様、これらラグジュアリィとは異質な集客施設の存在は、モールの機能充実とどういう関係になるのか?
2.「日本一の人出」の意味が理解されていないこと
「日本一の人出」はイベントの効果ではありませんし、もちろん、各個店の経営努力の結果でもありません。「日本一元気のいい商店街」という外見とは裏腹に、立地する既存専門店群の業績は厳しく、また、これから2年、3年経つうちにイベント・人出の結果として業績が上向いてくる、などという期待は出来ません。(ただし、自力更生の道はありますよ)
一時は減少した空店舗も今後は増加に転じると思われます。
これからもうまく「入れ替わり」が起こるかどうか、商店街の皆さんは起こらないと考えて自主的な対策を講じられた方が良いと思います。
ところで。
私には知るすべもありませんが、万一、四ヶ町において人出の多少にかかわらず売上続落が起こっているとするならば、これは ①空店舗が減少し、②人出=店前通行量は維持・増進されている、という条件のもとで起きていることです。
したがって、藻谷さんのテキストにおいて中心市街地活性化の条件とされている、「生きのいい市街地の3要素」が実現されていることになるわけです。
藻谷さん的・「生きのいい市街地」の条件は、果たして「商業機能の活性化」をもたらすものかどうか、という検討にあっさりと答え(もちろん反証としての)を出していることにならないでしょうか?
四ヶ町の専門店群の実状は「三要素がそろっていればまちは大丈夫」ということの実証ではなくて、その真反対、「三要素がそろっていてもそのことによって商店街(立地の個店群)が繁盛するとは限らない」ことを実証しているのではないか、というのが私めの観測です。
以下は余談ですが、ときどき商店街関係者で佐世保市の中心商店街に視察に行った人の感想を聞いたり読んだりすることがあります。ネット上でもたまに見かけますね。
http://blog.livedoor.jp/tetsujin_69/archives/8145636.html
ほとんどの人が店前通行量の多さにびっくり、商業関係者なら当然あって然るべき「で、売り上げの方は・・・?」という疑問は起きないみたいっすね。
せっかくの機会、ちょっと店内をのぞいて見ればよろしいのに・・・。
というか、とおりに押し出されている特価品の山は目に入らないのか・・?
人出があれば売上げはついてくる、というのは、ずっと昔、日本全国、商店街以外に買い物行き先が存在しなかった時代の話です。日本一の人出がどう売り上げに結びついているか、ひょっとして結びついていないとしたらそれはなぜか・・・?
機会がありましたら佐世保市の中心商店街、ぜひ視察されることをお勧めします。ただし、お勧めは藻谷説の成否を確認するため、という目的に限定します。
▲佐世保市中心市街地の今後の展望
同市では四ヶ町のジャスコが引っ越し、相の浦地区に大型SCを開設する、という構想があるそうです。ジャスコが引っ越すとなれば、中心市街地所在のディスカウント業態の動向も怪しくなります。中心商店街のジャスコは撤退交渉が難航、現状維持した上でのSC開設、という方向らしいです。(平成17年4月現在)
さらに。九州全域でイオングループとSC開発ゲームを展開中のイズミも相の浦地区にSC開設の計画があるとか。http://www.izumi.co.jp/shoukai/index.html
(その後の情報では“ゆめタウン”の出店候補地は、四ヶ町にほど近い海岸部とのこと。
こから紆余曲折がありそうですが、出店すればその影響はさらに大きい。
隣接しているから相乗効果がある、などと考えるととんでもない。これまで四ヶ町の金城湯池であった佐世保市以北の喉首に2大SCが揃い踏み?
四ヶ町を中核とする佐世保市中心市街地、どのような対策を講じようとされているのか?
阻むには「コンパクトシティ構想」が最適ですが間に合うでしょうか。北部地区の市民のSC期待論もありそうです。
四ヶ町の対応策はすでに述べたとおりです。
SC騒動を「チャンス」ととらえて「ショッピングモールへの転換」を打ち出すべき時ですが、さて、誰が言い出しっぺになるか?
というあたりにこの街の課題がありそうです。
本論
本論の構成は、次のようになっています。
1.中心市街地はどこか
2.中心市街地衰退の現状と原因 -「景気」が原因ではない
3.それでも中心市街地は必要か?
4.デフレを前提とした中心市街地活性化の原因療法
それでは1から順に検討していきましょう。
1.中心市街地はどこか
注:テキストでは「市街地」という言葉が用いられており、「中心市街地」という用語は使われていません。
ただし、藻谷流「市街地」は一般に中心市街地活性化関係で用いられている「中心市街地」と同義なので以下では特に問題を感じない限り、「中心市街地」に統一します。
1-(1)中心市街地とはどこのことか?
藻谷さんのテキストの本論は、このことを論じることから始められています。
これにはわけがありまして、もともと『整備改善・活性化法』(改正以前の中心市街地活性化法)において、きちんと中心市街地の定義(中心市街地の三要件)が行われています。
http://www.quolaid.com/cgi/tmo/wforum.cgi?no=724&reno=723&
oya=693&mode=msgview&page=0
しかしながらどういうわけか、中心市街地活性化について論じる人、あるいは『中心市街地活性化基本計画』においてさえ、必ずしもこの定義を踏まえないで「論」じたり、「計画」を立てている例が少なくありません。
もちろん、『論』は論者の勝手、市町村の『中心市街地基本計画』は市町村がおのれの才覚と責任において作るものですから、国が定める中心市街地の定義を遵守する必要は無いのかも知れません。
ただしその場合は、「これから行う論または実施を目指す計画は、国の定義に則していない」ということ、並びに、独自に中心市街地を定義する理由を明らかにしておくことが必要でしょう。
何といっても国が出している施策の体系は、国が定義する中心市街地=三要件に合致するところ、を前提に構成されているのですから。
『基本計画』、前提となる国のスキームを無視して中心市街地を「我流」で定めている市町村は、あらためて「当市町村にとって中心市街地とは」という定義を行うことが必要ではないでしょうか。
ちなみに法における中心市街地は、商業が集積しており、かつ衰退の趨勢にある地区を指しています。これは『改正中心市街地活性化法』においても全く変わっておりません。
『基本計画』の所掌区域を拡大すれば、当然、「商業等の活性化」はその目的のone of them になります。厳しい環境における商店街活性化、果たしてone of themという程度の位置づけで本当に実現出来るのでしょうか?
このことはあらためて考えていただきたいと思います。
さて、藻谷さんのテキストに帰りまして。
藻谷さんも『中心市街地活性化法』における定義を無視(行政が中心市街地といえば中心市街地になるのか、とまでいう)、あらためて「中心市街地はどこか」と自ら設問していますが、読んでびっくり、どこにも「中心市街地とはどこか」は定義されておりません。(9~11ページ)
しかし、ご安心あれ。
1-(1)ー①どこが中心市街地か?
ここで藻谷さんが述べていることを簡単に紹介しますと、
①「中心商店街=市街地」だと思っている人がいるが、刈谷市のような事例を見過ぎた自分は信じられない。
(刈谷市の事例、藻谷さんは見誤っていることは「はじめに」でみたとおり)
②郊外の合理的な開発による新市街地の創造こそ中心市街地活性化、まちづくりだ、という考え方もある。
田圃の真ん中に一から市街地を作り直せばいいじゃないか、という考え方もある。
③「自治体がここが中心市街地だ」といえば中心市街地なんだ という考え方もある
『中心市街地活性化基本計画』にはそういうものも見受けられるが、インフラを整備すれば実体がついてくるのか?
というように、「世の中で考えられている中心市街地論」を紹介し批判されているわけですが、ここで例示されているような「中心市街地論」果たして実在しますか?
「世の中で考えられている」中心市街地とは、通常、「法」に定義されている中心市街地のことだと思いますが?
藻谷さんが紹介されている中心市街地についての見解、私は見聞したことがありません。それはともかく。
藻谷さんは自ら例示した「中心市街地はどこか」論を批判するわけですが、それでは肝心の藻谷さん自身が考えられる「どこが中心市街地か」についてはどう論じられているでしょうか。
テキストが講演記録ということもあるのかも知れませんが、「中心市街地はどこか」「どういう要件を備えたところを中心市街地と呼ぶのか」という設問がいつの間にか、「寂れきっていても法律上商店街なら市街地といえるのか」という疑問に変わり、「経済的に全然お金が動いてないような商店街までをも市街地といっていいのでしょうか」と言われ、なにやらお金が動いている商店街、生き生きとした街でなければ(中心)市街地ではない、というお考えのように思われます。つまり、法のスキーム=お金の動いていない商店街を再びお金が動くようにする、ことが中心市街地活性化のもっとも分かりやすい目的ですが、藻谷さんの場合、そういう活性化が必要な中心市街地は中心市街地ではない、らしい。
このような状況(もちろん、藻谷さんが見られた状況です)の中で「(寂れている)中心市街地というものは無くなっても仕方ないんじゃないかと思っておった」ところ、最近「いろんなところで地価の下がったのを活かした・新しい動きが起き始め」、「そういうのをあれこれ見ているうちに、(中心)市街地と呼ぶにふさわしいまちが、まだまだ、各地に多数存在している、一部生き返り始めているまちもあるということに気づきだした」ということで、そこから「生きている市街地」について述べ始めます。
分かり難い話ですが、こういうことです。
当初藻谷さんは次のように考えていた。
①世間では、「中心市街地活性化」ということが課題になっているが、
②空洞化著しい中心市街地ばかりみてきた自分は、「活性化は無理」と思っていたが、
③最近、新しい動きなどもみられるようになっており、
④「中心市街地活性化」の可能性が生まれている
ということが藻谷さんの言いたいことですね。
藻谷さんにとって、「法」が定義する中心市街地などは「なくなっても仕方がない」存在だったが、最近、新しい動きが出始めた。その結果、
①{中心市街地と呼ぶにふさわしいまちが各地に多数存在している
②一部生き返り始めているまちもある
ということに気づき始めた。(と藻谷さんsaid)
「行政が目指している中心市街地活性化など不可能だと思っていたが、最近、新しい動きが出始めており、可能性があるのでは、と思い始めた」ということですね。
ちなみに藻谷さんのキャッチフレーズは、「はじめに」でも検討したように「全国の市町村で行ったことがないのは5個所だけ、しかも全て最初は自弁で行った」ということのようですが、では、①にはいつ頃気づかれたんですか? 回っている間は気づかれなかったのか? などと思わず思ってしまいますね。
脱線はさておき、藻谷さんの問題意識は、
①中心市街地はもう駄目、無くなってもしかたがない、と思っていたが
②最近、そうとばかりは言えない事例が現れている
③これらの事例を検討すると、中心市地の活性化は必ずしも不可能とは言えない
ということから、
④「法」に定義されている中心市街地(すなわち藻谷さん的には「無くなってもしかたがない・中心市街地」)は、「生きている市街地」の条件を知り・その条件を創り出すことで、中心市街地として再生出来る
ということが導かれます。
藻谷流・「中心市街地活性化の方向と方法」は、
「生きている中心市街地に学び・その条件を創り出すこと」です。
ちなみに「自治体がここが中心市街地だ」というのは、藻谷さん流に表現すれば「生き返らせたい中心市街地」のことなんですね。自治体と藻谷さんの違いは、「中心市街地」という言葉の使い方の違い、であり、中心市街地活性化の是非とか方法論とかの違いではありません。定義でもめてもしかたがないし、出来れば「法」のスキームで考えられた方が、周知徹底しやすいのでは、とこれは老婆心ながらの蛇足です。
余談はさておき、では、「生きている中心市街地」の条件はどのように理論化されているのか、
みていくことにしましょう。
1-(3)「生きている市街地」~市街地の3つの条件~
「生きている中心市街地」とはいったいどのような状態にある市街地のことなのでしょうか?
テキストでは「生きている市街地には3つの共通点がある」と、3つの条件が挙げられています。
1-(3)-① 生きている中心市街地 三つの条件
藻谷流です。
1.「住む人」がいて、かつ、外から「来る人」がいること。
○家や店がごちゃごちゃに混じっていることが大事。
「両者の動線が混ざっていないような場所は、私は市街地とは呼びません。なぜならば、市街地と呼びたくなるような賑わいが生まれないから。」(藻谷さんsaid)
2.街が容れ物として機能していて、その上で店とか住人とかが一定のペースで入れ替わっていること。
○新規参入者が入ってくる場所、「器としての力」を持っている場所がまち。(藻谷さんsaid)
3.ムラとは違うまち文花、まちブランドがあるということ。
○よそ者を排除して身内で固めて、掟の下でおとなしくするのがムラだとすれば、まちは新参者を受け入れて基本的に自由競争する場所。(藻谷さんsaid)
以上「三つの条件」を備えているところがテキストで定義された「市街地=中心市街地」です。
「今でも中心市街地を名乗っている場所は数あれど、ほとんどこの要素のどれかかが欠け」ていると指摘され、また、郊外の「開発地」についても、
○「この3要素を備えたところはあるか?」
SCなども「来る人」はあっても「住む人」が居ない。そうすると「まち文花」が出来ない。
○「今は栄えていても、数十年単位、百年単位で見れば続かない」。
○住宅地も「住む人」だけで「来る人」がいない。
と一刀両断されます。
藻谷さんにとって、この「三つの条件」は、中心市街地が必ず実現しなければならない条件、中心市街地とその他の地区を区分する基準です。
「三つの条件」を簡単にあらわせば、
条件その一:居住人口と来街者が多いこと
条件その二:まちは「容器」であること
条件その三:「まち文化」があること
テキストで定義されている「中心市街地」は、上の三つ3条件を併せ持っているところ、でよろしいですね?
「中心市街地とはどこか」=それは三つの条件を備えた場所である、これが藻谷流「中心市街地の定義」。
この定義にもとづいて、(テキストの定義では)中心市街地たり得ていない、(中心市街地活性化法に定義さ れた)中心市街地が、(テキストが定義する)中心市街地になるための手法を提唱する、これがこのテキストの使命です。
この三つの条件は、どの程度理論的に吟味されて提出されているのか?
早い話。「活気のある中心市街地ではこのような現象が起きている(と藻谷氏は考えている)」ということですね。藻谷流の場合、空洞化し、衰退している中心市街地にこの三条件を新たに作りあげていくことが「中心市街地活性化」です。
テキストによれば、よく使われている中心市街地再生の手法は次のとおり。
1-(3)-② 「都市開発の四つのトレンド」
1.遊休地暫定有効活用型
○単一地権者の土地を安く借りて安普請、キャッシュロー重視で利用
2.集客施設コンプレックス型
○キャナルシティ的なものを作る
3.タウンマネジメント型
○タウンマネージャーがテナントミックスを行う
4.住・商・遊混在空間の再構築型
○都心の商店街に住宅を再導入する、または中心市街地隣接の住宅地に商業が参入する
この四つのトレンドをそれぞれの都市の中心市街地の実状に則して展開してくことが、中心市街地活性化の実現になる。この場合、「四つのトレンド」に共通しているのは、
1.脱・単機能。
○なかでも一番必要なのは「住機能」だ。
2. 脱ハコ。
○「でっかいハコ一つより小さくていかがわしい建物の密集した地域」
3.脱・垂直移動=低層型
○縦に高くせず、横に拡がっている方が人が来る。
「これがにぎわい創出のトレンド」であり、「まちなか指向」である(とテキストsaid)。
つまり、中心市街地たり得ていない中心市街地が本物の中心市街地になるためには、三つの条件を作りあげなければならない。そのためには都市開発の「四つのトレンド」のいずれかを選択、取り組むことになるが、どの手法も共通して「まちなか指向」が必須である、といわれています。
お分かりいただいたでしょうか?
一言でいって、「こんなことで活性化できるなら苦労はない」と言いたくなる人も多いかと思いますが、批判は後ほどまとめて行いますので。
1-(4)まとめ
藻谷流「中心市街地」の定義、まとめておきます。
1-(4)-① 中心市街地の定義について
1.中心市街地とは、三つの条件がそろっており、賑わいのあるところである。
条件その一:居住人口と来街者が多いこと
条件その二:まちは「容器」であること
条件その三:「まち文化」があること
2.三つの条件のいずれかが欠けている中心市街地は中心市街地ではない。
3.中心市街地でなくなっている中心市街地が再び中心市街地として蘇るためには、三つの条件を装備しなければならない。
1-(4)-② 中心市街地再生の四つのトレンド
1.遊休地暫定有効活用型
2.集客施設コンプレックス型
3.タウンマネジメント型
4.住・商・遊混在空間の再構築型
1-(4)-③ 四つのトレンドの共通事項
1.脱・単機能
2. 脱ハコ
3.脱・垂直移動=低層型
それでは、以下、検討してみましょう。
1-(5)藻谷流「中心市街地活性化への道」の批判的検討
1-(5)ー①「中心市街地」の定義について
まずは、基本的なことをおさらいしておきます。
『整備改善・活性化法』における中心市街地の定義は、「三要件を備えた場所」を指すものであり、要件から市街地内の商業機能が集積している地域≒商店街区域を指しています。
これは法律が準備する「活性化施策の体系」と整合しています。
(ちなみにここの「三要件」は、法における中心市街地の定義に関わるものであり、藻谷さんの元気のいい中心市街地の3つの条件とは無関係です。念のため)
中心市街地活性化事業の対象となる地域は、主として商店街地区だということで、ちなみに当社もこの定義にしたがっていることはご承知のとおりです。藻谷さんの定義は若干違います。
藻谷さんの場合、事業の対象となる中心市街地の定義はありません。
藻谷さんが提起されている中心市街地の「三つの条件」の全部またはいずれかを欠いているところが対象地区だとするならば、法のスキームによって中心市街地活性化に取り組もうとするくらいの規模の都市において、対象地区はあまりにも広すぎ(多すぎ)ないでしょうか?
このあたりは後ほどあらためて検討することにして、今は、『整備改善・活性化法』のアプローチと藻谷さんのアプローチは異なっている、ということを覚えておいてください。
■ 追加コメント
今日、中心市街地活性化への取り組みが行われている都市のほとんどが『整備・活性化法』~『中心市街地活性化基本計画』のスキームを持っており、その枠組みに基づく取り組みのあり方について、模索を脱しきれない状況にあると思います。
このような状況において、中心市街地活性化についてスキームとは異なった視点からコメントするにあたっては、当然、現行スキームについての所見は述べておくべきではないでしょうか。
スキームの批判に触れないまま「中心市街地の定義」について、「行政が指定すれば中心市街地か」(スキームでは要件を前提に市町村が指定することになっている)、などといわれても困ります。
法のスキームではそう言うことになっており、国の取り組みはおおむねその方向で進んでいるわけですから。
テキストが「中心市街地の定義」について、自論を提出したいのであればまず、法のスキームにおける定義を批判(なぜ、どこが問題か)してから対案を出すべき。
公的な事業について対案を出される以上、この作業は当然だと思います。
総じて、このテキストには「整備・活性化法」の趣旨、スキームをきちんと把握した上で展開されているのだろうか」という疑問が湧くことが多いのです。
1-(5)-② 「三つの要素」について
藻谷さんは「活性化の三つの要素」について、なぜこの三つが活性化を実現する上で重要な事項なのか、ということを全く論証していません。「これが元気のいい中心市街地の三つの要素だ」と論証抜きでポンと投げ出しているわけです。「全国の市町村を自費で見て回った結果だ、間違いない」ということでしょうか?
そうだとすれば、「全国を見て回る」にあたっての問題意識、回った結果を「三つの要素」にまとめる論理的な方法について明らかにしていただきたい。そうしないときちんとした議論になりません。
残念ながら藻谷さんは当然行わなければならない作業の内容を全く公開していませんから、こちらで一つ一つの要素を検討してみましょう。
1.条件その一:居住人口と来街者が多いこと、について
この場合、居住人口と来街者は全然別の概念です。(居住人口だけなら住宅地も該当する)
居住人口が多く、なおかつ来街者が多いこと。これが藻谷流「生きている中心市街地」の第一要件。
●すぐに浮かぶ疑問その一:
そもそもなぜこの二つが「生きている中心市街地」の条件になるのか?
藻谷さんがみてきた「生きている中心市街地」がこの条件を満たしていた、ということから、「全て、生きている商店街を目指すならこの条件を満たさなければならない」となぜ言えるのか?
「自分がみてきたところがそうだったから」ということが論証の代わりになるのか?
それほどしっかりみてきたのか? 「はじめに」で検討したような程度の「観察」で「全国を回ってきた・その結論として提案する」といえるのか?
人口も来街者も減少していない刈谷市中心市街地の実態をどう説明するのか?
来街者の多い佐世保市四ヶ町の「お金の落ち具合」は掌握しているのか?
ということですね。それでも
「自分が下している結論に間違いはない」というのなら、次の疑問に答えていただきたい。
●疑問その二:
「居住人口が少なく、来街者が多いところ」は「生きている中心市街地」ではないのか?
銀座、新宿、渋谷などの中心部はどうか?
とげ抜き地蔵通り商店街、名古屋大須商店街、長浜市黒壁などはどうか?
いずれも居住人口は取るに足らず、賑わいのほとんどは「来街者」が創り出していると思われるが?
まあ、藻谷さんの場合、三要素がきっちり具備されていないと「中心市街地ではない」ということですから、上記の各地は「中心市街地ではない」ということになるのでしょうか・・・・?
2.条件その二:まちは「容器」であること
その二は、街に「空洞化現象が起きていない」ということです。
つまり、商店街で言えば、空店舗が生じてもすぐに次の借り手が現れる、という状況にあること。つまり「新陳代謝」的作用が起きていることです。
「生きている中心市街地」では、空地空屋は無い、ということで、一見もっともらしい「条件」ですが、考えてみるとこれは、「条件」ではなく、「現象」です。まちが「容器」として機能する「条件」が問題であって、機能している「現象」をみて「ほら機能している・これが中心市街地だ」と言われてもですね・・・。
「空洞化はなぜ起きるか?」、藻谷風に言えば、「まちが容器としての機能を果たせなくなっているのはなぜか?」ということを考えてみられた方が良いのではないか?
新陳代謝が果たせなくなっている、だから空洞化が発生しているわけですから、「容器」としての機能を果たすためには、新規参入者が必要です。「まちが容器であること」は、街に新規参入者がいること、であり、新規参入者が登場するためには、まちが適切な事業機会を提供していること、が課題でしょう。
3.条件その三 ムラとは違うまち文花、まちブランドがあるということ。
何のことやら。ムラとは何か? まち文化・まちブランドとは何か?
仮にも「デフレ時代の中心市街地活性化」の方向と方法について提言されているのですから、こういう聴衆の「暗黙の御了解」を期待した表現はよろしくない。もっときちんとした表現を心掛けるべきでしょう。
まともに批判できませんからね。「みてきた市町村の数」とか「経費は自弁か否か」と言ったことが、行論上、なにがしかの力になかも、というレベルとの結託ではないでしょうか、これは。
1-(5)-③ 「四つのトレンド」について
この4項目がここに列挙されていることには、何の意味もありません。
1.遊休地暫定有効活用型
2.集客施設コンプレックス型
3.タウンマネジメント型
4.住・商・遊混在空間の再構築型
これもまた、「現象」でありまして、藻谷流「生きている中心市街地」を実現するためには、この四つのどれかに取り組めばよい、ということを意味するものでも無いし、第一、この四つが番号を付されて並べられている意味が不明です。
1は「何を活用するか」
2は「何に活用するか」
3は「誰が活用するか」
4は「何を活用するか」
という課題へのそれぞれ解答案ですから、これらを羅列してそれがどうした、ということ。
1-(5)-④ 四つのトレンドの共通事項
1.脱・単機能
2. 脱ハコ
3. 脱・垂直移動=低層型
これも同様、みてきたらこうだった、ということでしょうか。
①全国の事例(5自治体をのぞき)をみてきたら、
②成功事例(生き残っている、及び、新しい動きが出始めているところ)に共通している
ということでしょうか?
でも、「失敗事例」のなかにもこういうことは共通しているかも知れませんよね?
とするならば、「全国、自分が見た限りでは、今のところ・こうだから」これからの取り組みもこの方向でやればOKとは言えないのではないか?
藻谷さんが「中心市街地を生き返らせる取り組みは、三つの共通点を持つ四つのトレンドだ」と提唱したいのなら、「その根拠」を示さなければならない。さらにその根拠については、「自分がみてきたから間違いない」ということではなく、理論的かつ論理的にきちんと展開しなければならない。
これは「全国行脚と自弁」を信じている人たちに対する「言論者」たる藻谷さんの当然の責任です。
■関連: 【TMOフォーラム】
続きを展開しています。
http://www.quolaid.com/cgi/tmo/wforum.cgi?no=722&reno=no&oya=
722&mode=msgview&page=0
多様な施策で中心市街地に人を集めれば活性化は実現できるのか?
代表的な「集人施策」をいくつか検討しています。
反論、批判大歓迎です。
1-(6) 定義についてのまとめ
①藻谷流の定義
藻谷さんの「中心市街地はどこか」という「定義」はみてきたとおり、
①「こういう現象が起きているところが中心市街地である」ということから
②そういう現象を起こすための条件がシメされ、結局、
③「活性化への道」を提示することになってしまいました。
④しかもその「現象」は現象止まり、もっと踏み込まないと「何をなすべきか」が見えてこない、というレベルの「中心市街地活性化」です。
②私の対案
私の場合「中心市街地」は法の三要件を備えたところ、都市中心部所在の商店街及びその周辺街区を指します。
この「中心市街地」が「活性化する」とは中心市街地、特にその商業街区にどのような状態が生じることを言うのか、私の考えるところを対置してみます。
もとよりここでは、『整備・活性化法』における中心市街地の定義「都市中心部における商業集積街区」をそのまま採用しています。
活性化とは街がどうなることか?(2001.7.8)■
全国の商店街、カラスの鳴かない日はあっても「商店街活性化」と
いう言葉が聞かれない日は無い、といって良いくらい商店街活性化については論議され、施策が提起され、取り組みが行われいている。ところがかれこれ10年余り、活性化に成功した、という話がいっこうに聞こえない。取り組みについてはいろいろ情報が入ってくるのだが、その結果についてはまことに芳しくない。鳴り物入りで始まった「モデル事業」が、最後には「やってはいけない事業の見本」などと言われてしまうこともある。どうしてこうなるのか、実はここにはいろんな問題が見え隠れしている。何回かこのことを考えてみたい。
商店街活性化とは街がどう変わることか?街にどのような状況が起きるようになればその街は活性化したと言えるのだろうか?
商店街活性化に取り組む目的・目標は何かということだが、この目的・目標が全く設定されないまま取り組まれているのが、全国ほとんどの商店街の活性化事業である、と断定して差し支えない。活性化事業の目的・目標は設定されないまま、事業だけがさまざまな分野で繰り広げられている。繰り広げている間も街の空洞化は刻一刻進展する、というのが多くの街の実態である。
どうしてこのようなことが起こっているのか?
そもそも商店街活性化とは何か、街が活性化されるとは街にどのような状況が生まれることを意味しているのか、ということがほとんど論議されていない。論議され定義されるということがないまま、「活性化」を実現するための施策が次々に取り組まれている、というのが全国の商店街の実状である、といってけして過言ではない。その証拠に、活性化のためこれこれの事業に取り組む、取り組んでいるという情報は飛び交うものの、肝心の活性化に成功した、という話はいっこうに聞こえてこない。つまり、目標を持たない事業を展開しているのでそれらを積み重ねて出てくる結果というものが無く、活性化施策を講じても講じても結果が出ないのである。
一般に問題の解決策を講じるに際しては、望ましい状況(目標・目的)が設定され、現在から望ましい状況に到達するまでのシナリオを描き、現時点から目標に向けて一歩一歩進んでいく段階を設定してその段階をのぼる手だてを考えることになる。この「段階をのぼる手だて」が施策である。
商店街活性化という課題の解決策=段階を上っていく手だてを講じるには、活性化とは街がどのようになることか、ということがはっきり理解されていることが前提である。目的無くして施策は講じられない。
ところが少なくとも商店街活性化という問題に限っては目的・目標を設定しないままさまざまな施策が講じられている、というのが実態である。これはある意味で起こるべくして起こった事態であり、やむを得なかったなと感じられる側面もあるにはある。しかし、全国で何百もの街が10年以上にわたって取り組んで成果が挙がらないのである。原因を探り抜本的な対策を講じないと、この厳しい経済環境のもと取り返しのつかない状況に至ることもけして杞憂ではない。
そろそろ商店街活性化とは街がどうなることか、というスタートの時点に立ち戻って虚心に考えてみるべきではないか、ということで以下、私が考える「商店街活性化の目的」を簡単にご披露したい。本当はもっと詳しく説明しなければならないことだが、いずれ「中心市街地活性化」のコーナーで取り組むことにして、ここでは本当に要点だけ。
中心市街地が活性化される、とは街がもともと担ってきた役割を、異なった環境のもとで、さまざまな手だてを講じることで賦活(生き生きとした状態によみがえらせること)させることである。これまで担ってきた役割を諦めて新しい役割を担わせるという発想はとてつもないエネルギーを要するし、第一、今どき面としての広がりを持った中心市街地で展開する新事業というのもなかなか難しそうである。
活性化、商店街の場合だと、商店すなわち「消費財小売業」、お客から見れば「買い物の場」としての役割をよみがえらせることである。活性化の目的とは、街を買い物の場としてよみがえらせること、そこに立地する多くの店舗の業績がこれまでとは比べものにならないくらい好転し繁盛すること、である。何だ、そんなことはあたりまえではないかと感じた関係者の皆さん人、このあたりまえのことが街の活性化に取り組む事業を決定するときの基準として掲げられていない、ということが問題なのである。
活性化のために取り組む事業は、その事業に取り組めば、活性化が実現できる、あるいは活性化への段階を一歩前進する、ということが明確でなければならない。特に商店街活性化のように取り組むべき仕事が多岐にわたり関係者も多い事業の場合はこのことはきわめて重要なことである。とすれば、「活性化とは街がどのようになることか」ということが明確に理解されている、定義されている、ということがどれほど大切なことかあらためて説明するまでもないだろう。
私どもが考える商店街活性化の定義は、①街の中の店舗が次々に繁盛店に変身し、②その結果、店主に店舗改築など設備投資の意欲が起こり、③空き店舗へのテナント参入が相次ぎ、④後継者問題も解消する ということが連続して起こる結果、商店街が「買い物の場」として将来にわたって繁栄する、ということであり、活性化の事業とは現実からスタートしてこの段階をひとつひとつクリアしていくことである。
言うまでもなく商店街活性化という大事業が一つ二つの施策を講じることで実現されることはけしてあり得ない。さまざまの事業に同時並行的にさらに段階的に取り組み、ひとつひとつの成功を積み重ねていくことが必要である。ひとつの事業を選択して取り組むにあたっては、その事業の活性化全体における意味、位置づけを明らかにされ適時に適切な体制で行うことが必要になる。
このように考えれば施策に取り組む前に全体計画が必要であり、計画の前に目的・目標が設定されなければならないことは明かである。商店街活性化に関わる皆さんは、自分たちの街の取り組みがこのようにごくごくあたりまえの仕事の方法として組み立てられているかどうか、もう一度「基本計画」などを振り返っていただきたい。おそらく私が言う意味での活性化の定義が掲げられ、それを現実化する方法として諸施策が体系的・計画的に展開されている、という計画はきわめて少ないはずである。
商店街活性化のために今直ちに取り組まなければならないこと、それは迂遠のようだがもう一度、商店街活性化とは街を賦活させること、街がかって都市において果たしていた役割を当時とは異なった条件のもとでよみがえらせることである、という定義を踏まえて、現下の状況で「買い物の場」としてよみがえらせるシナリオをあらためて描き直すことである。もちろんそのためには、現在の顧客のライフスタイルや購買行動の理解、郊外型ショッピングセンターの動向、消費財流通の課題などについて理解しておくことが不可欠であり、それなりの理論的な蓄積が要求される。また、新しい「買い物の場」はその成否を個々の店舗の賦活に負うところがきわめて大きい。個店が賦活をはたいていくためには経営技術の転換・修得が不可欠なことは言うまでもない。
商店街、勉強無くして繁盛無し、街の活性化はまずは勉強から、といういつもの結論に到着したが、商店街に残されている時間は本当に少なくなっている。いつも申しあげているように、活性化のチャンスは十分にあり、誰かに横取りされる心配も無い。問題は活性化に取り組む街のエネルギーが文字通り日々落ちている、ということである。街の状況は静止している、ということはほとんど無い、繁盛店が増えつつあるか、減少しているかのいずれかしかないと考えた方が良い。増えているとはとても思えない、と感じられる商店街は、この期に及んでよその街が何をやっているか、などということを気にする余裕はない。よその街はどうせこれまで通りの不毛な取り組みに残り少ない貴重なエネルギーを浪費しているにすぎない、これを反面教師として本来の活動・顧客に支持される店舗が連袂(軒を連ねる)する街の再現へ、まずは勉強から始めるべき時である。個店の繁盛づくり以外の事業はひとまずおいて、まなじりをけっして机に向かうべき時である。
本論2 衰退の現状と原因
『中心市街地衰退の現状と原因』について。
○中心市街地はなぜ衰退しているか?
「住む人が減り、来る人が減っているから」
○なぜ減ったのか?
「最大の理由は職場の郊外化」
テキストは、中心市街地の居住者及び来街者が減ったことが衰退の原因であり、特に来街者の減少は「職場の郊外化」にその「最大の理由」がある、と主張しています。
2-(1)都市機能の郊外移転
○居住の郊外化
○中小零細企業の職場の郊外への移動
○行政機関の郊外移動
○観光のマイカー化による中心市街地(公共交通機関)離れ
○病院の郊外移転
などにより、中心市街地への来街者が減った。今や残っているのは商店だけ、これで商店街が成り立つか?
とテキストは自問し、
「まるで郊外型SCと同じような立地条件になってしまって、それで無料平面駐車場も快適なフロア空間もテナントミックスも無いわけですから成り立つわけがない」と述べています。
2-(2)商店街という都市機能
中心市街地全盛時代、さまざまな都市機能が中心市街地に集中していました。
都市住民の生活行動範囲の拡が、モータリゼーションの進展などにより、都市機能は分散しています。
ここでは中心市街地固有の機能である商店街について考えてみたいと思います。
「中心市街地固有の機能」としての商店街とは、いわゆる「買い回り商店街」のことです。
中心市街地全盛時代、中心商店街は「ショッピング(下見、ひやかしも含む)の場」そのものでした。当時、人々は「ショッピング」を目的に中心市街地とりわけ商店街に中心市街地以外からどんどん来街していました。
つまり、中心市街地全盛時代、ショッピングは近郊近在の住民が中心市街地を訪れる最大の「来街目的」だったのです。(テキストは、このような中心商店街の性格、機能に注目することなく、「商業は人口、来街者、店前通行量に依拠する受動的な存在である」(「商店街=花」論)という思いこみ(だって論証されていませんからね)にもとづいてどんどん話を進めていることに留意)
商店街は中心市街地来訪の独立した大きな目的の一つでした。
中心市街地に立地する商店街以外の機能とは無縁の人たちがショッピングを唯一の目的に中心市街地に来街していました。中心商店街、全盛時代の来街者はその商業機能としての魅力によって吸引していたのだ、ということを忘れているのはテキストが指摘する「商業者」だけではありません。指摘している藻谷さんご自身もすっかり失念されているのではないでしょうか?
考えてみましょう。
①すべての都市機能が郊外に移転した
②商店街だけは残っている
③都市(住民の日常行動圏)には他に商業機能は存在しない
という状況があったとします。
都市及び周辺住民はどこに買い物に行くでしょうか?
あるいは逆に、
①商業以外の都市機能が中心部に集合している
②物販機能だけが立地していない
③郊外型商業は整備されている
という状況においては、どれだけ中心市街地に人がいた(居住・来街)としても、中心市街地では買い物は出来ませんね。
つまり、商業(商業集積)は、他の都市機能に従属して変化するのではなく、自らの機能によってお客を吸引する能力を持っている、ということです。
このことは郊外のSCを見れば一目瞭然、根も葉も茎も無いところに花が咲いており、テキストが主張する「理論」を完全に反証しています。もちろんSCにも消長がありますが、それはテキストの「根~花」理論によっては説明できないと思います。もちろん、消費購買力の変化、消費購買行動の変化、競争条件の変化などを理解していればたちどころに説明出来ることですが。
テキストは、
①商業が対象とする購買行動の特性(慣行的には最寄り・買い回り・専門に分類されている)によって、装備すべき条件が異なること、
②いずれの類型の商業も独自にターゲット顧客にとっての「来店目的」を確立しないと存続できないこと
の二つの経験則を理解していないか、あるいはそれらを無視して商店街活性化を論じることが出来るとするスタンスのようです。
そのいずれであったにせよ、テキストの活性化理論の結論は通行量に収斂します。
ここもしっかり確認しておいてください。
ところが、(テキストの前提になっている)通行量が多い、他都市に比較したら断然多い、という条件をもっていながら繁盛していない商店、商店街というのは結構あるのです。
また、郊外のSCは店前通行量や周辺への施設への来訪者数を狙って立地するものではない、と言うことも商業=他機能に従属する受動的機能、という理解への反証ですね。
商業には独自にお客を吸引する力がある。言い換えれば現代において人は通常、物販施設にわざわざ出かけてものを購入しない限り、毎日の生活を維持することが出来ません。この機能は一部、無店舗小売業によって代替されていますが、基本的な機能は店舗が担っています。
広域来街客を標的に成立していた中心商店街の衰退~郊外SCへの機能移転は、中心市街地の人口減によってではなく、両立地に所在する商業機能間の優劣の問題として論じなければならない。
※中心市街地内において過去に繰り返された「立地移動」を想起せよ)
2-(3)商店街の衰退
藻谷さんのおっしゃるとおり、中心商店街は「郊外SC」が進出してきた結果、これに敗退したことで衰退したわけではありません。
では、中心商店街はなぜ衰退したのか? 次のような競争条件の漸進的な変化が作用しています。
①街区内への大型店の出店による域内競争の激化
②街区外(駅裏など)への大型店の移動、新規出店による競争の激化
③中心市街地縁辺部への大型店舗の立地
⑤郊外型SCの出現
お客は、ものが売られていないと買うことが出来ません。
複数のアイテムが、複数の店舗で、提供されている場合、行き先/アイテム選択しないと買うことが出来ません。
もし商店あるいは商店街が一個しかないとすれば、他の条件がどう変わってもお客はそこに買いものに行くしか他に選択肢はありません。しかし、商業施設が増えてくれば行き先は選択される、この場合、後発組は一般に先発組と消費購買ニーズとのミスマッチを解消する手だてを講じたうえで出店してくるでしょうから、一般に消費者の支持は後発組に移動することが多い。生活ニーズの変化、後発組の進出などの変化に見まわれている間、商店街は適切な対応策を講じることができませんでした。前代未聞の競争条件変化に適切に対応することが出来なかったことこそ、商店街衰退の根本要因です。
小売商業、一般にはいざ知らず、仮にもその活性化を論じるにあたっては、類型分類及び各類型の特徴・特性などについては踏まえておかないとその責任を果たすことは出来ません。
2-(4)藻谷説、ここでの問題点
「中心市街地衰退の現状と原因」
『整備改善・活性化法』の目的、スキームを踏まえ、中心市街地のうち中心商店街についてのテキストの主張を見てきました。
テキストに述べられているように、かって中心市街地を形成していた多様な都市機能、とりわけ非物販集客施設が郊外に移動したあと、移動も変化もままならない商店街は衰退の一途をたどっています。
この商店街の状況にどう取り組んでいくか? その方向は、中心商店街~商店街~小売業という都市機能をどう見るか、問題意識のあり方で大きく異なってきます。
小売業は立地産業、自力でお客を集めることは出来ない、好立地=店前通行量~来街者~人口規模と考える商店街の店主さんたちの(商店街全盛時代以来の)慣行思考では、中心市街地の人口を増やすこと、居住を増やし、業務来街を増やし、「交流人口」を増やす・・・・。
ということで「シャッターの外側」ならぬ「商店街の外側」の条件さえ整えば、まちや個店は元気になる、ということが前提されています。
気になるのは、テキストの「商店街=中心市街地の花」論、まさか商店街組合の執行部などによくある主張と同じということはないだろうと思いますが、「住民が根で職場が葉で公共機能が茎」、商業はその上に咲く花、と主張するテキストにとって課題は居住/来街者を増やすことですね。
すなわち、商店街の外側の施策を先行させると言うことでは、藻谷さん、奇しくも商店街執行部と同じような主張です。
では、
○諸々の商店街の外側の施策が行われる間、商店街は何をなすべきか?
○現状を別の視点から見ればやるべきことがあるのではないか?
○百歩譲って外側の施策が整うまで待っていたとして、ホントにお客(人口や世帯数、従業者数や来街者数ではなく)が戻ってくると言えるのか?
○何でそう言える?
ということについてはどう論じられているか?
残念ながら「商業は花」論から出てくるのは花を咲かせる根、葉、茎についての施策だけ。これが「花」論の帰結するところです。
店前の賑わいは店内の繁盛に結びつくか? 来街者/通行量はすべてを癒すか?
興味のある方は藻谷さんご推奨の佐世保市中心商店街をあらためてウオッチングしてみられては如何でしょうか。
日本一元気のいい街、果たして中心市街地活性化の「モデル」として扱うにふさわしい情⇔景があるか否か?
2-(5)集人vs集客
> 店前の賑わいは店内の繁盛に結びつくか?
> 来街者/通行量はすべてを癒すか?
このあたりが集人路線vs集客路線の相違点ですね。
集人派の主張は:
商店街が空洞化しているのは店前通行量が減ったから。
店前通行量が増えれば街は活性化する。
そのためには街に住む人/来る人を増やせばよい。
増やすには商業活性化以外の事業が必要だ。
ということでしょうから、結論として事業は当然、個店/商店街の活性化とは直接関係のないところを優先することになるわけです。人を増やす=マンションを建てる、学校を誘致する、イベントに取り組む、などなど集人路線による試行錯誤? が続いていますが、その結果、商店街が活性化した、という話は全くありません。
それもそのはず、商店街の機能は買い物行き先、買い物は個別個店のシャッターの内側で行われる。商店街の各個店のシャッターの内側が「買い物行き先」として整備されていなければ、
①いくら中心市街地の居住が増えようが
②いくら中心市街地の勤労者が増えようが
③いくら中心市街地への非物販来街者が増えようが
商店街に立地する個店でものが売れる=商店街が活性化されるということは無いのです。
ったく、『整備改善・活性化法』が制定されてまる6年、未だにこういうイロハのイ的論議を繰り返さなければならない、というところに問題の難しさがある(笑)
集人vs集客、新年度は路線をめぐる論争がどんどん起きることが望ましいですね。どちらからみても相手は問題の本質を弁えない頑迷固陋の存在でしょうから、一刻も早く淘汰しなければ本来の目的達成が危うくなる。論争を忌避する理由はないはずです。当サイトも集客路線、「ショッピングモールとしての再構築」を目指すという主張をもって参加していきます。
2-(6)無ければ作る
> 「まるで郊外型SCと同じような立地条件になってしまって、それで無料平面駐車場も快適なフロア空間もテナントミックスも無いわけですから成り立つわけがない」と述べられています。
では、駐車場、快適なフロア、テナントミックスがあれば、商店街も郊外型SC並には繁盛できることになりますね? 郊外型SCが店前通行量ゼロの立地で集客できるなら、中心市街地の商店街も然るべき施策を講じれば、中心市街地の人口や既存通行量に関係なく自らの力で集客できる、ということになりますよね? 違いますか? 違うとすればどこがどう違うのか?
誤解の無いように書いておきますが、テキストに指摘されるまでもなく、商店街の現状がとてもそうではないことは百も承知です。しかし、集客力、無ければ作るまで、ではないでしょうか。郊外型SCの話、こういう形ででてくるからには、小売業には工夫次第では(店前通行量に頼らずとも)自から集客できる可能性があるのだ、ということを問わず語りにおっしゃっていることになる・・・?
逆にいえば、郊外型SCの「駐車場、快適なフロア、テナントミックス」などに相応する機能(これが集客力なんでしょうが)を中心商店街が装備できなかったとしたら、「中心市街地の住む人/来る人」が買い物客になってくれることも望み薄になる、ということにはならないのでしょうか・・・?
必死で集めた中心市街地の住人、通行者が中心市街地の「お客」になってくれる根拠はどこにあるのか、誰がどういう手法で作るのか? 結局、中心市街地の「花」こと、商業機能は、営業的には郊外のショッピングセンターと中心市街地の消費購買力を争奪することになるようですが、そのとき、街側の勝ち目はどこにあるんですか?
市街地の商業機能はか弱い花、みんなでなんとかしてあげないと花は咲かない、などという発想では、中心市街地の商業、何ともなりません。自ら立ち上がり、現在の立地・諸条件で成り立つ商業とはどういうものか、
どうしたら現状から脱却・到達できるのか?
知恵を出し、力を出低下無い限り、他力本願は成り立ちません。
2-(7)「市街地の島」
(都市機能の郊外移転により商店街は、)
> 「まるで郊外型SCと同じような立地条件になってしまって、それで無料平面駐車場も快適なフロア空間もテナントミックスも無いわけですから成り立つわけがない」という状況に陥ったところに、「ついに郊外にSCができた」。これで商店街は「とどめを刺された」。
これが藻谷さんの「中心市街地の現状と原因」です。
1.中心市街地の現状:居住、職場、病院、行政など従来中心市街地に立地していた都市機能が郊外に移動した。
2.移動できなかった商店街/個店が最後まで残っているが、居住者/来街者が激減する中で小売業がやっていけるわけがない。
3.郊外型SCの出現が中心市街地残留最後の都市機能:「商店街」にとどめを刺した。
4.かくて中心市街地の状況が現出している。
ということですね。
つっこみどころはいろいろありますが、とりあえず、ここの要約が藻谷さんのテキストの主張の要約としてOKであることを先に紹介しているテキストでしっかり確認しておいてください。
次に「郊外の海の中にからくも市街地の島が残っているかどうかはまちの大きさによって違う」と言われます。
大きさによって状況は違うものの、全国総郊外化の波の中で中心市街地が残るためには「4つの要素を考え」るべき。
①人が住んでいるか
②職場があるか
③公共施設あるいは病院といったコミュニティ施設があるか
④最後に商業があるか
これらの要素が渾然一体となって存続している中心市街地がかろうじて残っている。
共通して言えることは、「根、葉、茎無くして花は咲きません」、「花が商業です」と言われ、花が咲かないと魅力がないし、お金も落ちない。しかし花は根、葉、茎が無いと咲かない。
①「根っこは人が住むということ」
②「葉っぱはそこに職場があって働いている人がいて行き帰り、昼休みに物を買っていくと言うこと」
③「茎というのは病院とか公共施設とかいろんなものがあって、そのために人がやってくるということ」
藻谷さんによれば、「中心市街地の島」に共通しているのはこの4つの条件。
「郊外とは違う高度な市街地型商業を花咲かせようと思ったら、(中略)そこは根、茎、葉が同時に生えている場所じゃなければいけない」のだそうです。
注:このあたり、藻谷さんの「理論」の性格がハッキリ現れているところです。
郊外化の波に飲み込まれつつある中でかろうじて残っている中心市街地における「共通現象」を列挙し、それらが「セット」で立地していることが「市街地の島」だから、活性化したい中心市街地はこのセットを再整備すべし、ということ。海の中に浮かぶ「島」は本当に新しく再生を目指す中心市街地の目標として適切なのか、といった問いかけはありません。
たとえば、4つの要件、装備している例としてはテキストで紹介されている佐世保市の中心市街地が思い浮かぶのですが、果たして佐世保市の現状が全国の中心市街地が目指すべき方向を体現しているといえるのか?
たとえば、四ヶ町の商店街は大野方面にショッピングセンターが進出して来てもOKなのか?
OKでないとすれば、全周を郊外型集積に包囲されている都市の中心商店街活性化のモデルとしては×でしょう。
このあたりは重要なところ、あらためて考えたいと思います。
本論3 中心市街地は必要か
3-(1)それでも中心市街地は必要か?
中心市街地活性化への提言をする前に、あらためて「中心市街地活性化の必要性」について認識を共有しよう、というのがここのねらい。(藻谷さん的には)必要性は3つある。
1.「まちという器を残しておいた方が、生活や生業の選択肢が増えるだけ、生活が豊かですよ」
お気に入りの佐世保市には買い物行き先の選択肢が4つある(とテキストは言う)。
4つの選択肢は、
①手近の大都市(福岡市など)
②郊外のお手軽ロードサイド
③SCでファミリーサービス
④市街地(の商業)
とのこと。
他方、中心市街地の商業が空洞化していると(刈谷市のように)、
①ロードサイド
②郊外SC
③名古屋
の3つしかない。
「佐世保みたいな方が豊かなんじゃないか、そういう豊かな地域が欲しいと思うなら自分でも・・まちづくりをやったらどうかと思う」とテキスト。
2.同じやるなら出来れば中心市街地でやった方が良い、地域にお金が落ちますよ」という取り組み。
①たとえば病院、行き来に商店街で買い物してくれる(と藻谷さんsaid)
②飲屋街もOKだ
3.もっとも重要な理由
「少子高齢化社会では持続可能な暮らしの場として市街地が必要だ」「郊外に行ったあらゆるものを数十年かけてゆっくり戻していく」
と、おっしゃるのですが、何でそこまでして中心市街地に固執しなければならないのか、藻谷説では動機が希薄ではないか?
大事なことは関係者が「必要性」について共感し、自分の仕事の一環として中心市街地活性化に取り組むようになってくれること、あるいは自分の仕事を上手に編集、中心市街地の活性化につながっていくような仕事のあり方を工夫するためにも必要なことです。(とテキストsaid)
それではテキストの「中心市街地活性化は必要だ」、なぜならば・・・、3つの理由、検討してみましょう。
その1.生活が豊かになる
>1.「まちという器を残しておいた方が、生活や生業の選択肢が増えるだけ、生活が豊かですよ」
> 佐世保市の場合買い物行き先として4つの選択肢がある
> ①手近の大都市(福岡市など)
> ②郊外のお手軽ロードサイド
> ③SCでファミリーサービス
> ④市街地(の商業)
> とのこと。
「豊かである」と言うからには、この4つがそれぞれ異なった商業機能を担っており、お客は消費購買ニーズに応じてこの4つを使い分けることが出来る(=だから豊かだ)、と言うことでしょう。
ところが、テキストでは消費購買ニーズの区分を抜きで話が進んで行くため、この4つの商業集積がそれぞれどのような消費購買ニーズに対応しているのか、読む側はまったく分かりません。したがって、四つの選択肢があるとどうして生活が豊かになるのか? 藻谷さんは全く説明できません。
このことを主張したいのなら、4つの商業機能の差異を明らかにした上で、「だから生活が豊かになる」と主張しなければならない。
単に買い物行き先が多いことがそのまま豊かさだと言うことにはならないはずですから。
もうひとつ、ここでは「利便型商業」が視野に入っていないことも指摘しておきたいと思います。
利便型商業=スーパーマーケットに代表される毎日型ニーズの買い物行き先。これが無いと他の機能がどんなにそろっていても「豊かな生活」にはほど遠い。
中心市街地住民の困難の一つは、近くにスーパーマーケットが無くなったこと。この結果、中心市街地の住民は街区縁辺まで献立材料調達に車で出かけねばならない、と言う条件に陥っているところが少なくありません。
都心居住を唱える人は真っ先に着手しなければならないテーマです。
もうひとつ。
郊外SC間競争がさらに激化していく中で、SCを横目にわざわざ都心まで買い物客を吸引できる商業とはどのような性格のものか?・それを誰がどのように整備していくのか?といった問題についても方向を示さないと、「課題と取り組みの共有」、まちづくりの実践には結びついていくのは難しいでしょう。
取り組みの方向が共感されない限り、面白かった、目から鱗が落ちた、とか言いながら三歩歩くと忘れ去られるのがまちづくりへの提言の常です(笑)
■豊田 刈谷 安城
元気な名古屋地方(西三河地区)、「勝ち組」の代表です。
前にも書きましたが、都市経営上共通する課題があります。
それは、豊かな生活を作り堪能する、という課題の基礎条件=所得機会には恵まれているが、肝心の「堪能」という側面ではニッポン全国の「負け組(失礼、そう思っているわけではありません)」都市の住民と同様、郊外のショッピングセンターがメインの買い物行き先だ、ということ。
都市経営は、所得機会の確保と生活条件の整備であると考えれば、生活条件のうち特に「堪能」ということで不可欠の機能である「買い物の場」が全国平均・金太郎アメのレベルだということは、都市経営上の大問題です。
もちろん危機的状況は裏返せばビジネスチャンス、上述各都市の商業者は目下「ショッピングモールとしての再構築」を目指して取り組みをスタートしている、or、準備中です。
スタートすれば全国屈指のマンションブームが後押ししてくれます。挫折すれば新住民が落胆します。
ある程度の買い物環境(特にラグジュアリィなコンビニエンスマートはあって当たり前、わざわざ事前にチェックなどしませんから入居してみたら近所にスーパーがなかった、というのは悲劇です。中心市街地、商業者の事業機会は豊富ですが、ものにするためには理論&技術が不可欠。特に、お店自体に独自のデスティネーション(来店目的)を確立していないとマンション人口がどれだけ増えようともお客の増減には無関係です。
三都市の商業者有志、こんなことは先刻承知の上で中心市街地活性化=中心商店街の活性化=ショッピングモールとしての再構築への道を歩み、あるいはこれから歩もうとされています。
あまり知られていないかも知れませんが、興味のある方は各TMOor商工会議所に問い合わせてみては如何でしょうか。
偶然ですが、当社は藻谷さんが例に挙げられているこの地区の各都市の中心市街地活性化への取り組みについてはいろいろとお手伝いをしたり、今後する予定だったりします。また、「日本一元気のいい」とおっしゃる佐世保市の中心商店街については当社から車で30分という距離、周辺事情まである程度理解しています。
そういう立場から見た藻谷さんの所論についての所感は後ほどまとめて述べます。
■そう言えば
この三つの都市は、藻谷さんが刈谷市についておっしゃっている非商業的な条件がほとんど共通しているのですが、豊田、安城両市の中心商店街、しっかり「ショッピングモールとしての再構築」を目指しており、その基盤となる街区、商業者ともに目指すだけの要件を現に持っています。
両市の中心市街地(商店街)と刈谷市銀座商店街との差異はどこにあるのか?
それはなにが原因で起きているのか? 藻谷さんのテキストには上記3市の名前は出てくるものの、それぞれの中心商店街の実態の差異については触れられておりません。全国行ったことのない都市は片手に満たないと言われる藻谷さん、当然、起こってしかるべき疑問だと思うのですが・・・。
この差異を見きわめれば、「商業は花」論や「刈谷市中心市街地(旧銀座商店街)は全国商店街の運命の先駆け」といった「藻谷理論」の内容は変更しなければならなくなるのではありますまいか・・・。
如何でしょうか?
■追 加
今後ともこれらの都市の中心市街地の実態、活性化への取り組みについては、藻谷さんが自称される「素人」としてではなく、中心市街地活性化の取り組みを支援する「プロ」としての立場から報告出来ることがあると思います。
なお、
>この差異を見きわめれば、「商業は花」論や「刈谷市中心市街地(旧銀座商店街)は全国商店街の運命の先駆け」といった「藻谷理論」の内容は変更しなければならなくなるのではありますまいか・・・。
という点については、すでに
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=194&reno=193&oya
=187&mode=msgview&page=0
で説明しています。
その2.非物販集客施設の誘導
> 2.同じやるなら出来れば中心市街地でやった方が良い、地域にお金が落ちますよ」という取り組み。
飲み屋街、病院など物販以外の集客施設を街区に持ってくる。
いうは易く、問題がいくつかありまして。
○何で来なくちゃなんないわけ?
という再移転について当の施設が固有の機能を果たす上で中心市街地への再移転しなければならないと痛感している場合はいざ知らず、そういう内発的なものがない状況でがわざわざ取り組むについては相当な根拠が必要と思われますが、都市経営をめぐる現下の問題状況において、中心市街地活性化を目的にした都市機能の再移転、というアプローチは相当に難しいのではないでしょうか。
折しも広域合併の最中、中心市街地への施策偏重などと言う声も出てきておかしくない状況で中期的なスパンで機能集中を目指すのは一般論としては厳しそうです。
○飲屋街、もともとは集客力のある施設などにコバンザメで成立・集積するようになりました。集積が充実するにつれて独自のデスティネーションを発揮します。
中心市街地に行くのは飲むときだけ、という来街動機が発生する。
飲屋街を新たに郊外に、というのはなかなか実現しませんから、他の機能は移動・衰退しても飲屋街だけはなんとか残っている、と言うまちも多い。他に選択肢が無い以上、ここに来る他ありません。
もっとも、ライフスタイルの変化などから「飲み屋のはしご」以外の選択肢も増え、飲屋街の前途にも厳しいものがある。ただし、これは立地移動のせいではありません。
○病院の誘致
出ていった病院を呼び戻す、ということですが。出ていった理由、コストをかけても出ていかなければならなかった理由は消滅したのでしょうか?
病院に限らず都市機能はそれぞれ固有の目的があって設置されています。
どこに位置するかは固有の機能を基準に考えられるべきであり、「市街地が空洞化したのは○○が移転したから、まちを活性化するために○○を呼び戻せ」というのは身勝手すぎます。鳥瞰的・長期的に見て中心部への機能集中が合理的だとしても、そのために移動させる、と言うことになるかどうか。
なったとしても長期課題、中心市街地・商店街活性化という喫緊の課題への回答としてはミスマッチではないでしょうか。
さらに、昔とはライフスタイル、交通条件など条件が異なる中で、こういう他力本願的な施策で商業活性化に効果があるか、と言うこともシビアに考えておかなければならない。
病院が移転した結果売上が激減した、とは良く聞く話ですが、病院移転で業績が悪化したという業種は、病院の行き来に「ついで買い」出来る業種のお店だけ。「中心市街地」固有の業種=各種専門店などにはあまり影響が無いはずです。
繰り返すことになりますが、そもそも商店街の全盛期、商店街の来街者は商店街・各個店のショッピング行き先としての魅力に引きつけられれてわざわざ出かけてくる人がほとんどでした。もし、中心市街地の居住者(&在勤者)の買い物ニーズを満たすだけならば、「中心商店街」の業種構成・規模は不要だったのですからね。
これは今後とも言えることでありまして、もし、居住/業務・観光来街者などを中心顧客に想定するのであれば、中心市街地で成り立つ商業は「利便型」プラス土産だけ、スーパーマーケットとドラッグ、コンビニ、「まちの駅」などを適宜配置すればそれでOKということなるのでは?
つまり、中心市街地の活性化の一環として商業=中心商店街の活性化を目指すのであれば、その方向は居住/来街者依存ではない、来街目的となりうる商業機能を持つ集積への転換を目指さなければならない。TMOマニュアルに掲げられた中心商店街活性化の目標が「ショッピングモールとしての再構築」である由縁です。
その3.最大の理由
> 3.もっとも重要な理由
> 「少子高齢化社会では持続可能な暮らしの場として市街地が必要だ」
「市街地が必要だ」とはもちろん「生活に必要な機能、生活を豊かにする機能」が手軽に利用できる生活環境を作る。という上位課題がありまして、そのような場所として中心市街地を指定して、
> 「郊外に行ったあらゆるものを数十年かけてゆっくり戻していく」
ということになります(藻谷さんsaid)
まず考えなければならないことは、諸都市機能の郊外への移動を推進させた理由は消滅しているか、ということ。つまり、郊外へ移転しなければならなかった条件は何だったのか、それらの条件はもはや消滅したのか?
消滅したから再移動か、それとも郊外へ移動しなければならなかった条件は存続していても、それでもなお
中心市街地へ再移動するということか?
いずれにしても。
中心市街地への立地の再移動は優位である、こんなにいことがたくさんある、あるいは少なくとも他への波及効果まで考えれば実現する値打ちが十分ある、と言えるかどうか。
都市機能の中心市街地への再集積を中心市街地の起死回生策、中心市街地ひいては都市経営活性化の最重要課題と位置づけるならその根拠、実現手法などについて、関係者があれこれと戦略を想像・創造する材料になるくらいの展開は必要でしょう?
やってませんよね? やれるんですか?
ということ。
本論4 中心市街地の療法
いよいよ最後です。
正式の標題は『デフレを前提とした中心市街地活性化の原因療法』です。
○「基本線は、住む人を増やし、来る人を増やすこと」
「住む人は地域の人口の2~3割を中心市街地に住ませる。」
「2割、3割の物好きをまちの中に住ませる。さらに少ない物好きにまちの中で商売をさせる」、「この二つに尽きます」。
○車社会に対する対応
「SCの駐車場みたいなまちを作る」「車で行けて、とめられて、かつ、降りた瞬間に車を気にせず歩けるようなまちを作る」
○事 例:青森市中心市街地の商業活性化の取り組み事例
中心商店街のリニューアル、駅前再開発が取り組まれているが、あまり賑わっていない。
一方、商店街の空き地を利用して「パサージュ広場」(「パティオ事業」らしき取り組み)が好調である。
※ということで、時間が大幅に押したため4はここまで。
「本当はこの後、商店街の空店舗を有効利用して通行量が増えている例、空大型店の再利用例、駐車場の屋台村への転用、住宅地が面白い商業空間になってきている事例・・・などをお見せしたいところなんです」
が、時間ギレでおしまいです。
とはいえ、3までで概ね方向と方法は語られています。
結局のところ、藻谷流中心市街地活性化の提言は、ここに収斂するわけで、
「住む人を増やし・来る人を増やせば」街は活性化する。
実現するためには、
「人口の2~3割を街の中に住ませる」「物好きに街の中で商売をさせる」ということですが、
どうしてそうまでして中心市街地を「活性化」しなければならないのか? ということは論じられていません。
「物好きな人を中心市街地に住ませ、物好きな人にそこで商売をさせる」なぜ?どうして?何のために?
ということですね。
4-(1)藻谷さんの主張とその特徴
以上から藻谷さんの「中心市街地の療法」主張の特徴をまとめてみますと、
①市街地の療法は、住む人を増やし、来る人を増やすことである。
②人が増えれば商業を始め中心市街地は活性化する。
と言うことにつきると思います。
特徴的なことは、
①理論と言うよりも「活性化している」と感じられた都市の状況を自分なりに「分析」、それを「活性化の要件」として提示、これを実現するための施策を提言するという形式。活性化事例を紹介して追随を促す、というまあ、良く見かけられるパターンだと思います。パターンはともかく、内容はどうか?
②商業が担っている都市機能についてほとんど言及されていないこと。
郊外商業全盛時代、住む人を増やし来る人を増やせば中心市街地の商業が活性化する、という主張には根拠が示されていません。
③ただの一度も既存の商店街に立地する個々の店舗の活性化策については言及されていない。
これらの店舗も中心市街地の人出が増えれば自ずと活性化するのでしょうか?
と言うことでしょうか。
いろいろと考えさせられます。
4-(2)考えさせられること
すでに見たようにテキストでは「中心市街地はどこか」と自問はされるのですが、その定義は行わなれないまま、「生きている中心市街地の3条件 (注意:『整備活性化法』の三要件とは無関係)に話が変わっています。
藻谷さんにとって中心市街地活性化とは簡単でありまして、
①生きている中心市街地には3条件がそろっているが
②多くの都市ではそのような条件を揃えた中心市街地が存在しなくなっており
③中心市街地に3条件を実現することが中心市街地活性化である
ということです。
3条件:
> 1.「住む人」がいて、かつ、住んでいないのに外から「来る人」がいること。
> 2.街が容れ物として機能していて、その上で店とか住人とかが一定のペースで
入れ替わっていること。
> 3.ムラとは違うまち文花、まちブランドがあるということ。
これらを中心市街地において実現することが藻谷さんにとっての中心市街地活性化です。
ところがこの3条件、実際にその実現を目指すとなると、とてつもないことになります。
まず、「住む人を増やす」ことについて
『基本計画』に基づいて中心市街地を活性化しようと志す規模の都市において、このことを実現するにはどのような施策が必要か?「勤務先」の移動・集中策もあわせて考えてみてください。
①まずはいっそうの空洞化の進展を防止する施策を講じる
「住む人」はなぜ減っているのか。どうしたらこれ以上減らないように出来るか?
②中心市街地への移住・移転を促進する
他の地域に優位する中心市街地のメリットはなにか?
促進策としてどのようなことが考えられるか?
それは新規投資として妥当なものか?
次に「来る人を増やす」には
①来街目的を設定しなければならない。
来街目的があってはじめて人は出かけてくるのですから、中心市街地にはどのような来街目的が考えられるか?
それらをどのような方法で新しい来街目的として整備するのか? 整備すればホントに人が来てくれるのか?
○設定した来街目的を優先・整備しなければならない
これは当たり前ですね。来てもらいたかったら、「来ずにはおれない理由」を提供しなければならない。
この時期、わざわざ中心市街地まで出かけてくる理由は何か?
どうしたらそれを本当に機能する「来街目的」にすることが出来るか?
目的は何か、誰がどのような手法で、いつ、どこに、作りあげるのか?
考えなければならないことがたくさんあります。
次に、まちが「容れもの」として機能すること。
つまり、何らかの事情で空き家・空店舗が出てもすぐに新しい借り手が見つかる、という状況を作り出すこと、ですね。そのためにはまちに「集客力」が備わっていることが必要です。
「まちが容れものとして機能する」とは、「まちに集客力がある」という状況を作り出さなければならない。
はて、「集客力」はどうやって作り出すのか?
藻谷テキストでは述べられておりませんが、集客力は潜在的な来街者から見た、来街目的が充実している、ということです。つまり、「人が来る」中心市街地を目指すなら「来街目的」を作り充実させなければならない、ということが帰結されます。
かっての中心市街地の賑わいは他の用事で来街した人たちによって作られたものではなく、商店街の集客力・買い物の場として魅力のある個店及びその集合がお客を来街させていた。商店街の来街目的そのものによってまちに引き寄せられた人たちがまちの賑わいを作り出していました。もちろん、当時商店街は買い物のファイナル・デスティネーション、郊外型集積など影も形もありませんでした。デスティネーションが衰えるにつれて買い物来街者は減少・人通りも少なくなりました。
ここは間違わないように。
商店街の人出が減ったのは、買い物行き先としての魅力が衰えたから、でありまして、中心市街地の人口とか事業所の数、都市機能の移動などが直接の原因であるという例は極めて少ないと思います。
次に。藻谷さんは、「ブランド力」、生きている中心市街地には、ムラにはないまちの魅力:「まち文花、まちブランド」が必要だとおっしゃるわけですが、これはもうさまざまな要素が組み合わさって醸成されるものでしょうから、ブランディングを直接の目的にした事業というのは難しいでしょう。
このように見てきますと「住む人、来る人を増やす」という一見誰も反対しない、かつ、簡単そうな目標でも実際に取り組むためには相当の努力が必要です。目標もたとえば「来る人を増やす」ことなら「集客力を高める」(何を使ってどのように)というようにより具体的な目標にブレイクダウンすべきではないでしょうか。
集客力を高めるためには、中心市街地がアピールすべき来街目的を設定し、
その充実を図ることが必要です。
このあたり、テキストでは問題にされておりません。
都市にはそれぞれ特性があり、中心市街地の条件も異なるから一概にはいえない、と言うことでしょうか。
しかし、中心市街地に賑わい・人の動きを作り出す、という目標からすれば、問題は「賑わい」となる人の動きを作り出すこと=賑わいとなる来街目的を作り出すこと、が必要です。
この来街目的は、住む人が増えたり働く人が増えれば自動的に生まれてくるというものではありません。また、それらがないと作ることが出来ないというものでもありません。
このあたり、藻谷さんは(少なくともテキストで見る限り)佐世保市という実例に依拠されているため、新しく「来る人を増やす」ためには来街目的を設定しなければならない、という問題に言及されていません。これは大切なところですね。
テキストでは来街目的は不問、とにかく人がまちにやってくればまちは賑わう、
という発想のようです。果たしてそうでしょうか?
生きたモデル:佐世保市中心商店街の「来街者数」は商店街自体の「集客力」に
よってもたらされているのではないのか? ただし、個々の集客力は今や複合化しており、通行客、遊興客、ショッピング客などが混在しています。
特徴的にはとおりの主流である「専門店」での買い物目的のお客が少ない、
ということです。
4-(3)論証は不要か?
テキストの特徴は、提言の根拠としてひたすら自説に都合のいい事例を挙げるだけ、まったく論証が行われておりません。例証についても因果関係が正しく分析されておらず、果たしてテキストの主張の根拠として妥当かどうか。 既に検討したとおりですね。
中心市街地に人が集まれば、賑わいが生まれ、商業も活性化するとの主張ですが、人が集まれば何故賑わいとなり、商業が活性化するといえるのか? このことを主張するためには論証が必要ですが、テキストでは論証に変えて「佐世保市中心市街地」についての不十分な「評論」が行われているだけ。
人が集まる=住む人、働きに来る人、その他の用事で来る人などなど、目的は不問、とにかく中心市街地に人が増えれば商業その他の「花」が咲くとのことですが、どうしてそんなことが言えるのか?
テキストは一切の「論証」を行っていません。これはとても中心市街地活性化についての「まじめな提言」とはとうてい考えられないレベルのお話ではないか?
4-(4)検討の根拠
ちょっと書いておきたいと思います。中心市街地活性化、ご承知のとおり、市町村が主体となり公的資金・公的時間を費消しながら取り組まれています。この公的な取り組みについて論を公開するということは、批判的な検討を受ける可能性というか、関係各方面が相互に切磋琢磨しながら活性化を実現するための、理論や手法の改良に参加する、ということを意味すると思います。
誰であれ、中心市街地活性化について方向・方法について提案すれば、それは直ちに関係各方面の批判的検討にゆだねられる、ということを拒否することは出来ません。もちろんかくいう私めも。
前人未踏の課題への取り組みであり、自分としてはこれが正しい活性化への道だと確信していても神ならぬ身としては手落ち間落ちもあろうというもの、あるいはとんでもない思い違いをしている可能性も完全には否定できません。
少なくとも私はそのように考えて、出来るだけ多くのことを公開しようと努めています。
誰か私の間違いを指摘してくれる人があれば文字通り有り難いことです。まちがいは一刻も早く買われるに越したことはない、直ちに新しい方向に転進できますからね。
当社の主張、どんどん突っ込んでいただき覆していただきますと、ホント、有り難いですね。なんてったって自分で思い当たる時では遅すぎるかも知れません。
と、まあこれは私の勝手な言い分、皆さんのなかには異なる意見の方もあるかも、です。
しかし、問題は現在自分自身が考え、たどり着いている位置は果たして当を得ているのだろうか、ということ。この問から免れることはなかなか出来ません。
中心市街地の活性化は国家的課題、その理路を構築することは関係各方面に共通する課題である、という認識に基づき藻谷さんのテキストを検討させていただきました。
この検討をテーマにご参観の皆さんの間に議論が起これば望外の喜び、ここまでおつきあいいただいた皆さん、よろしくお願いします。
まとめ
キリがありませんから、このあたりで総括しておきます。
中心市街地活性化への提言ということですが、内容的にはこれまで諸処で散々言われてきたこと、提案として目新しいことは無かったと思います。中心市街地を活性化するには「住む人を増やし・来る人を増やすべし」というおきまりの提言です。行ったことのない都市は5指に満たないという豊富な経験をお持ちの藻谷さんによる提言、全国各都市6年間の取り組みを踏まえた画期的な提案を期待する人もあったろうと思われますが、以上検討したとおり、立論の根拠とされている事例の分析は、分析というにはあまりにも皮相的、提案内容はこれまでも良く見聞されるレベルの内容だったと評価せざるを得ません。
藻谷さんは商業については素人と自認されているようですが、このような提言をなさる以上、エキスキューズは許されないと思います。テキストの批判はともかく、問題は『整備改善・活性化法』が施行されて6年、全国的に多種多様な取り組みが試行されて来ているという時期に、このような提言がいまなお市場価値を有している、ということのほうにあるのではないか、こちらのほうこそ極めて深刻な状況だと思います。
縁あって中心市街地活性化にかかわり、面白いと感じ、これからもその一翼を担っていこうと決意されているみなさんには、この状況をどう突破していくのか、という課題が突きつけられています。
中心市街地活性化、適切な理論と技術の装備無しでは実現できないというのが当社の立場、これを機にあらためて「ショッピングモールとしての再構築」路線の実現を目指して精進していきたいと考える次第です。
なお、本論からずれるため、ここでは検討から外しましたが、行政人口と都市中心市街地を関連づけられる藻谷さんの手法にはいささか疑問がありまして、これについてもいずれ検討する機会をつくって見たいと思います。
■私の立場
藻谷テキストを批判した私の立場をコンパクトに紹介しておきます。
『中心市街地活性化、こうすれば必ず成功する』
http://www.quolaid.com/library/tmof/t027.htm
http://www.quolaid.com/library/tmof/t028.htm
http://www.quolaid.com/library/tmof/t029.htm
法制定以来6年半、いまだに「中心市街地活性化の方向と方法」について論議することが課題とは、ウームといわざるを得ませんが、状況がそうである以上、そこから始めなければ先へは進めません。
中心市街地活性化とは、(ほんとうは)何がどうなることか?
どうすればそうなるのか?
あらためて提言していきたいと思います。
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