ごぼうって長いっすね
昨日は群馬の安中にある視察に行った。
前日の誕生日のお祝いでやや二日酔いであったが、9時半に新前橋へ。
野営隊の幹部である、群馬の笠井くんと関西に戻った筧さんと一緒である。
着いて早々、笠井くんのモスバーガー荒喰いの洗礼を受け腹いっぱいになった我らはとある山に向かった。傾斜が激しい草の生い茂った斜面を登っていく。
たんぽぽや、つくしがところどころ生えて春を感じさせる。『あ、これは蕗の薹ですねえ』と同行の青年が言う。元々は田畑だったのであろう、地がぬかるんでいるが生命の息吹を感じる。
猪が多いらしく所々ぬかるみ荒らされている。泥浴びでもしているんだろうな。ここはかつて人の手が入った棚田だったのだろうが、今は猪たちの王国なのですね。我々がお邪魔しているのだ。
ここの山林を分入って、切りいって開拓し何かを作ろうと言うことだが、どうも自然を壊してまでやる意味がないように思える。出来たら自然は自然のまま楽しんだ方がよろしいかと。
昼に地元でも有名な蕎麦屋に。
10割そばで北海道と長野の蕎麦粉をブレンでしているらしく、キッパリとコシがあって美味い。大盛りを注文したが食べきれないほどのすごい量で群馬県人のおもてなし精神の表れだと感服する。
ガレージに行き暫し談笑。
男というものはガレージに憧れる。
そして基地的なものに非常に魅力を感じる。
モルタルの打ちっぱなしの床が格好が良い。
棚には寝袋やリュックや数々の野営グッズ。
こういう道具は並んでいるだけでも格好が良い。音響も良くジャズが心地よい。最近、村上春樹のおすすめするジャズのレコードを聞く。前から村上のおすすめのセレクションを好んで聞いていたのだが、その中でもチャーリーパーカーが好きです。アルトサックスか?よくわからんがすごく好きな音楽だな。心地が良い。
さてさて昨日の続き。
まずはこの『野営』の歴史を遡ろう。
四半世紀前から仲間を集めて全国各地で野営をしてきた。
テントに寝袋、鍋と食料などを車にどかどか積み込み、山奥に入ったり、海辺で一夜を過ごしたりした。カラスに食料をつっつかれたり、猪がテントを襲撃してきたり、猿の大群に襲われたりもした。今考えるとかなり危険な場所でやっていたなぁw
20代の頃、バンドのツアーで全国津々浦々を回っていた頃には、ライブハウスとホテルの移動ばかりでその地特有の文化や人に触れ合う時間もなかった。
いつか人生で時間ができたらさまざまな土地で地元民との交流、歴史探訪などをし、風土や食を味わいたいなぁと思っていた。
が、それは案外早くやってきて27歳でバンドが解散となり、翌年僕はリュックを担いで日本全国とアジア・ヨーロッパを旅した。2年ほど旅をしただろうか、新しい世界をのぞいてみたかったのだ。いわゆるバックパッカーというやつだ。
知り合いがいる外国を訪ねたり、行きたかった地に行ってみたり、世界のあんなところで人生の先輩に偶然再会したり、と驚きと発見と勉強の毎日だった。駅舎やお寺の軒先、駐車場などで寝泊まりさせてもらった。そして世界の市場や食堂を訪ね食や風土や、人の温かみを味わった。
よく言う「自分探しの旅」と言うのとは違うのだが、僕はもう自分自身を見つけていたしやるべき事もわかっていた。音楽を通して学んだ事『人と人を繋ぎ感動を伝えること』だ。
世界中で刺激的な人に会い、そして励まされた。旅を終え日本へ戻り自分で会社を作り、面白い仲間と七転び八起きの人生を歩むわけだが、今の野営隊員にもそのメンバーはいて長い付き合いだ。この話は追々していこう。
そう、「野営」は僕にとって至って自然な行為であり人生と共に歩んできた。気のおけない仲間と同じ釜の飯を食う、焚き火を囲み酒を飲むは自然発生的に行われてきた。
東京で出会う面白い漢は、田舎生まれ育ちが多い。東京にいる9割が地方出身者と言われることもあるだろうが、圧倒的に地方出身者と仲良くなる事が多い。野営においても、やはり田舎で育った輩は焚き火、キャンプ、炊き出し、川遊び、素潜りなど幼少の頃に野外でばかり遊んでいた経験がありそれぞれ得意な分野を持っており野営の即戦力となる。
東京生まれがダメで地方生まれが良いというわけではなく、野営の回を重ねるごとに、育つ環境によって大きく人間性や野営力は変わってくるとわかった。当たり前のことだが。
地方出身でも街中で生まれ、野遊びなどせずに育ったやつはやはり弱青年が多い。逆も然り。都会で生まれ育ったヤツでも機転が効き行動力がある野生的な漢もいる。経験値の問題なんだろう。
ここ数年はアウトドアも盛んだし、小学生の頃に野外学習などで焚き火で飯盒を使い米を炊きカレーを使ったりと、みんなそんなある程度のキャンプ経験はしてるんだろうなぁと思っていたが、東京神田のツバキで出会い、野営隊に入隊した若者たち数名は
『僕キャンプしたことないっす』
『外で寝たことないっす』
『包丁持ったことないっす』
『豚汁の作り方知らないっす』
『ネギ切った事ないっす』
『ごぼうって長いっすね』
『お米たいたことないっすね!』
と、驚きの発言。
焚き火もしたことがない!
米も炊いたことがない!
ごぼうが長いと言うのだ!
信じられない。。。。
そんな衝撃的な出会いを通し、こいつらを一人前の『ヒト』として恥ずかしくない,
そして『漢-おとこ-』として鍛えなければと言う訳の分からないアサイ隊長は使命を胸に抱き、我々神田ツバキに集う「野営隊」は2015年1月のスタート。
椎名誠氏率いる「雑魚釣り隊」の身分制度を我々も導入し、人種差別ではないのだが隊長を頂点にピラミッド式の階級が設けられた。
隊長、役職、
上級隊員、隊員、
ドレイ、ドレイ以下、フェアリー、天使
など階級が設けられた。
野営をするとその人間の持つ本当の「自力」がわかるのだ。
参加の回を重ねるごとに、そいつの持つ「自力」の「地力」が試される。
初参加はどんな年齢・職業でも皆「ドレイ」。
「ドレイ」はいわゆる力仕事を主に命令されてやる。
何事に於いても先読み力を持った人間の行動・振る舞いがチームをまとめ協調性を高める。
つまりデキる人間が集まると野営もスムーズに物事が進み、終始リラックスできサイコーなのだが。
できない「ドレイ」と酔っ払いばかりだと、飯を食うにも、酒を飲むにも、焚き火を炊くにもなかなか物事が順調に進まない。終いには隊長より怒号が飛び交い、ドレイが右往左往し火事場の消火訓練のようになりてんやわんやなのだ。
しかしながらそのてんやわんやを楽しむのが「野営」でもある。みんな出来たらつまらない、みんな出来なさすぎても困ってしまうのだが。
まぁ世の中いいバランスで保たれていると思う。が、ほとんどの「ドレイ」は何年経ってもドレイから抜け出せない。
「おれらこの先もずっと楽しく」
「役職さんたちにぬくぬく寄生していくからいいもんね」
「困ったら助けてもらえるもんね」
「まぁとりあえず酒でも。まぁどうぞどうぞ」
「ぬくぬくぬくぬくうまうまうまうまうま」
「酔っ払ってなんも考えんからわしらは」
と、なめくじのようにヌメヌメ化していくのだ
我々、「野営隊」も抜本的な改革が必要かもしれん。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?