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1 History of Lupus

膠原病マガジン第二弾はSLEの成書、
Dubois' Lupus Erythematosus and Related Syndrome, なんと第10版

表紙はおそらく南米のモルフォチョウ

さっそく第1章、ループスの歴史に入りましょう。


Prescientific period- 科学の前の時代

Pearl: SLEの皮膚病変を最初に記述したのはヒポクラテスだと考えられており彼はヘルペスエスティオメノス(herpes esthiomenos)と呼んだ。しかし、この用語は齧歯類潰瘍、ハンセン病、皮膚リーシュマニア症など、他のいくつかの疾患を含んでいた。

comment: Despite these descriptions, it is still believed that Hippocrates was the first to describe the cutaneous involvement in SLE, calling it herpes esthiomenos, which implies a creeping and corroding eruption. However, this term could cover several other diseases, such as rodent ulcers, tuberculoid leprosy, and cutaneous leishmaniasis.
The history of lupus erythematosus. From Hippocrates to Osler. Rheum Dis Clin North Am. 1988;14(1):1-14.

・全身性エリテマトーデス(SLE)は古代から存在していたと考えられている。
・890年頃と思われるペルーの14歳の女性ミイラには、胸膜炎、心膜炎ならびに腎炎を疑う所見が認められている。
・855年フランスのトゥールの大司教であったヘベルヌスが "The Miracles of Saint Martin (4世紀に生きた聖マルティン・ド・トゥールにまつわる奇跡を描い
たもの)"の中で、ループスという言葉を初めて使った。

”He was seriously afflicted and almost brought to the point of death by the disease called lupus.”
彼はループスという病気で深刻な苦しみを味わい、ほとんど死ぬ寸前まで追い込まれた。

J Am Acad Dermatol. 2020. Epub ahead of print May 04, 2020.


・これらの事実にもかかわらず、最初にSLEの皮膚所見を記述したのはヒポクラテスと考えられている。しかし、この用語は齧歯類潰瘍、ハンセン病、皮膚リーシュマニア症など、他のいくつかの疾患を含んでいた。
※この時代はある種の皮膚病変「狼に噛まれたり引っ掻かれたりしたような潰瘍性の皮膚病変」をLupusと呼んでいたようです。色んなところでLupusと呼ばれていた歴史がさらに続きます。
・12世紀末、フルガルディは顔面のびらん性病変を「狼の噛み傷」を意味する noli me tangereと名付けた。
・14世紀、 Lupus(ラテン語で "狼 "の意)という用語は、それらの病変が狼が肉をかじる、あるいは "肉をむさぼり食う "ことを連想させることから、中世の皮膚疾患に対して最初に用いた。1305年、 ド・ゴードンは、 Lupusと呼ばれるヘルペス (herpes esthiomenos)の潰瘍型に言及した。1400年頃、ランフランは潰瘍性疾患を「Lupus」または「cancer」と名付けた。

左がLupus(おおかみ座)、右がcaner(蟹座)
cancerの語源としてはまたまたヒポクラテスが、腫瘍を「カルキノス」(ギリシア語でカニの意)という言葉で表現したところからきたと言われています。この名称は、癌性腫瘍、特に乳癌の外観が蟹に似ており、腫瘍の周囲の腫れた静脈が蟹の脚に似ていると考えられたことから生まれたと言われています。

・1535年には、マナルディが下肢の潰瘍性病変をlupus famelicusと呼んだ。

Pearl: 中世やルネッサンス時代では主に下肢の腫れた病変がlupusと呼ばれ、顔面の皮疹はnoli me tangere(私に触れるな)やherpes esthiomenos(潰瘍性ヘルペス)と呼ばれていた。

comment: Based on all these comments, in 1865 Virchow performed an extensive review of all previous works and others from the medieval and Renaissance periods and found that the term lupus referred to boils of the lower limbs, whereas noli me tangere and herpes esthiomenos referred to skin diseases of the face.
・これは1865年にヴィルヒョーが文献を徹底的に検討した結論である
Archiv für pathologische Anatomie und Physiologie und für klinische Medicin. 1865;32(1):139-143.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30163712/
※中世はおおよそ5世紀から15世紀、ルネッサンスは14世紀後半から17世紀初頭あたり。
※herpesは古代ギリシャ語の「ἕρπειν(herpein)」に由来し、「這う」や「広がる」という意味をもつ。LupusだけでなくHerpesも皮疹を表現する用語だったということです。

・このように、Lupusという言葉は18世紀末までは明確ではなかった。
・1790年にウィランが顔と鼻の破壊的な病変を初めてLupusと表現した。その後、ウィランの弟子であったベイトマンが彼の著作を完成させ、こう書いている。

「この用語は、鼻や唇を侵す「noli me tangere(私に触れるな)」とともに、特に顔面に起こる緩徐な結核性疾患、一般的には頬、額、まぶた、唇のぼろぼろの潰瘍で終わるが、時には体の他の部位にも起こり、皮膚や筋肉を徐々に破壊してかなりの深さまで達する。時には頬に円形に、あるいは一種の白癬のような形で病変が現れ、実質を破壊し、深く変形した瘢痕を残す。」
A Practical Synopsis of Cutaneous Diseases, According to the Arrangement of Dr. Willan, Exhibiting a Concise View of the Diagnostic Symptoms and the Method of Treatment.

1st American, from the 4th London ed. Philadelphia: Collins & Croft; 1818:xxiv, 348.

・ビエットは 遠心性紅斑という病名で初めてエリテマトーデスを記述した。1833年、ビエットの弟子のカゼナーヴはこう書いている。

ビエット氏は、遠心性 Erytema centrifugum という名で、この病気の非常に顕著な変種を説明している。

「この病気は非常にまれで、若い人、特に健康状態が良好な女性に好発する。主に顔面を侵す。一般に、やや隆起した、シリング大の円形の赤い斑点が現れる。この斑点は通常、わずかに丘疹状の小さな赤い斑点から始まり、次第に周囲が広がり、時には顔面の大部分に広がる。斑紋の縁は隆起し、中心部は自然な色を保っているが、窪んでいる。かなりの熱感と発赤があるが、痛みや痒みはない。原因は不明である。時に月経困難症と併発する;基本的には慢性疾患であるが、外見上はその逆である。」

Pearl: 蝶形紅斑は1846年フォン・ヘブラが鬱血性脂漏症(seborrhea congestiva:)と名前で表現した。

comment: In 1846 von Hebra described the typical “butterfly rash” (disc-shaped patches and smaller confluent ones), which he named seborrhea congestiva:
・彼の記述はこんな感じ。「この疾患の初期には、主に顔面、頬、鼻に蝶のような分布がみられ、最終的には、境界が鮮明で、鮮やかな赤色、鱗屑性の病変を呈する。」

Pearl: 1851年にCazenaveによってループの4つ病型に分けられた

So, in order to not bring closer together, on the contrary to separate the forms that seem to me to differ between themselves by their essence, I divide lupus into:

Lupus erythematux

1) Lupus erythematux
2) Tuberculous lupus- 結核性ループス
3) Ulcerating lupus- 潰瘍性ループス
4) Lupus with hypertrophy- 肥大性ループス

1856年、Cazenaveによる "lupus érythémateux "と記された皮膚狼瘡の最初の近代的イラスト。

Myth: Tuberculosisは結核菌を意味する。

Reality: 小結節を意味する。
※そういえば。結核菌が発見されたのは1882年、ロベルト・コッホによるもの。この時代のtuberculosisとは何か?1851年にカゼナーヴ(Pierre Cazen)がループスを4つの病型に分類した時期には、まだ結核菌(Mycobacterium tuberculosis)は発見されていなかった。tuberculousという言葉は、ラテン語の「tuberculum」(小さな隆起や結節)に由来している。
・つまり「小さな腫瘤」や「結節」を当時の医師たちは「tuberculous」と呼んでいた。

Recognition of systemic lupus erythematosus

Pearl: カポジは発熱、リンパ節炎、関節炎、体重減少、貧血、神経病変を伴う全身性のループスを、discoid form and lupus erythematosus disseminatus et aggregatus、播種性エリテマトーデスと集塊性エリテマトーデスと呼んだ。

・19世紀まで、Lupusは皮膚病と考えられていたが、19世紀末になると、Lupusに全身性の病変の合併が見つかってきた。1872年、カポジの記載

「エリテマトーデスは、当時知られていたよりも局所に深く進展し、より重篤な病理学的変化を伴うだけでなく、さまざまな重篤で危険な体質的症状さえも、この病態と密接に関連していること、また、局所の疾患から生じたと考えざるを得ない病態によって死に至ることがあることが、経験によって明らかになってきた。」
・そこで彼は 円板状エリテマトーデスと 播種性エリテマトーデスと集塊性エリテマトーデスという分類を提唱した。この全身型は、発熱、リンパ節炎、関節炎、体重減少、貧血、神経病変を伴う、今で言うSLEにかなり近い。

Kaposi M. Neue Beitrage zur Kenntniss des Lupus erythematosus. Arch Dermat und Syph. 1872;4:36-78.

Pearl: SLEという言葉を最初に使ったのはオスラーである。

Comment: Then, in 1895 Osler published his first study on lupus, titled “On the Visceral Complications of Erythema Exudativum Multiforme,” in which he reported:

医学教育で有名なWilliam Osler

・そして1895年、オスラーは「多形滲出性紅斑の内臓合併症について」と題する、Lupusに関する最初の研究を発表した

「滲出性紅斑は、多形性の皮膚病変、高血症、浮腫および出血時には関節炎を伴う原因不明の疾患である。再発はこの病気の特別な特徴であり、発作は毎月、あるいは何年にもわたって起こる。皮膚病変は多彩で、ある発作では血管神経性水腫の特徴を示し、ある発作では多形または結節性紅斑の特徴を示し、ある発作ではリウマチ性毛細血管症の特徴を示す。臓器症状のみで、外見上は滲出性紅斑の徴候が全くないこともある。 」

Osler W. On the visceral complications of erythema exudativum multiforme. Am J Med Sci. 1895;110(6):629-646.

・オスラーはさらに29人の患者を対象とした論文を2本発表しており、SLEという言葉を最初に使ったのはオスラーと考えられている。
下の図は、SLEの症状や検査結果を最初に発表した人とそのReferenceが並べられている。
・蝶形紅斑、脂肪織炎、関節痛・関節炎、リンパ節腫脹、腎炎、紫斑、サイコーシス、日光過敏症、肺炎、レイノー症状
・弁膜症- ここはもちろんLibmanとSacksさん。1911年から1922年までの一連の4症例において、非感染性心内膜炎の存在を報告した。 Libman-Sacks心内膜炎がSLEの症状であることを示したのはBeloteとRatner。Arch Derm Syphilol. 1936;33(4):642-664.

ループスの症状や検査所見を発見した人とその文献

・1934年には血小板減少症、1936 年、Klemperer、Baehr、Pollackは腎病変を "wire loop "腎炎と表現し、1936年、Friedbergらは腹膜炎、1936年と1942年に、JarchoとDalyが脳血管炎について記述した。SLEに関連した精神病症状が報告されたのは1960年。

Systemic lupus erythematosus and “collagen disease”

1942年、膠原病を定義したクレンペラーの有名な記載- この頃の膠原病はSLEと強皮症のみ

「この疾患における様々な臓器の一見不均質な病変は、広範な病変が膠原組織系全体に影響を及ぼす病的過程の単なる局所的表現であるという点で同一であることが明らかになるまで、論理的でなかった。これらの病変の中で最も顕著なものはフィブリノイド変性であり、これは膠原線維と基底物質における明確な光学的およびスジ状の変化を示す形態学的用語である。」

The apparently heterogeneous involvement of various organs in this disease had no logic until it became apparent that the widespread lesions were identical in that they were mere local expressions of a morbid process affecting the entire collagenous tissue system. The most prominent of these alterations is fibrinoid degeneration—a descriptive morphologic term indicating certain well-defined optical and tinctorial alterations in the collagenous fibers and ground substance.
・acute disseminated lupus erythematosus and diffuse scleroderma.

JAMA. 1942;119(4):331-332.

1950年代にはループス患者の20-30%で梅毒の偽陽性を認め、1943年SLEにおいて高ガンマグロブリン血症が証明された。

Pearl: 1948年、Hargravesらによるエリテマトーデス(LE)細胞の発見が、抗核抗体研究のはじまりでありSLEを理解する出発点である

comment: According to Haserick in 1948, the greatest value of the LE cell lies in its possible presence in suspected cases of acute DLE in which the classic dermatologic manifestations are lacking. These LE cells may be induced by incubating normal blood with blood from patients with acute DLE. This procedure was called LE phenomenon and was used as a diagnostic aid for several years.

検査と技術 5巻 6号 pp. 417-420(1977年06月)

・LE細胞は、1948年HargravesらによりSLE骨髄塗沫標本中に発見されたものであり、末梢血のLE細胞試験は今日も行われている。
・LE 細胞ができるには4因子が必要:
①血清中LE細胞因子: 今日で言うヒストン結合核蛋白あるいはヒストンに対する抗体、②変性白血球核、③正常好中球、④補体

LE細胞の形成段階
①白血球の細胞膜が傷つき、核が露出される。
→血清中の抗体がこれに反応し、核は膨化し、細胞外に出てくる。
→これを染色すると赤紫に染まるLE体である。
→LE体が補体を介して好中球に食食されると、典型的なLE細胞になる。

※LE細胞が興味深いのは無症候性でも陽性になる抗核抗体とは違って、抗体があることで免疫反応が実際に生じていることを示すことです。

・LE細胞は以前は診断の補助として使用されており、実際アメリカリウマチ学会の1982年改訂SLE 診断基準まで採用されていた。


1982年分類基準10, a) LE細胞
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/epdf/10.1002/art.1780251101

・LE細胞が見つかってからSLEの診断精度は一気に高まった。

LE細胞は今でも役に立つのかどうか?
While historically significant, the LE cell test is no longer considered a primary diagnostic tool for SLE due to the availability of more specific serological markers.
という感じではある。pubmedでLE細胞を含む文献を探してみると、一番新しいもので2015年。

"LE cell"[ti] lupus[tiab]
で検索。

せっかくなので一番上を読んでみました。

Pearl: 心嚢液中でLE細胞が多ければSLEを疑う

Significance of lupus erythematosus (LE) cell detection in pericardial fluid in an era of sophisticated techniques
心嚢液中のLE細胞の報告:
若い女性の原因不明の漿液性心嚢液貯留で、LE細胞が多ければSLEを疑う。普通は見てくれないので病理の先生に頼んで診てもらうと早期SLEを診断できるかもしれません。

Duboisに戻ります。
・1950年、ハセリックはLE細胞の血清因子がガンマグロブリンであることを示し、 1954年、MiescherはLE細胞の原因因子が抗核抗体であることを報告した。
・Friou(1958)とHolmanら(1959)は、SLE患者の血清中のグロブリンがDNAやヒストンに指向性を持つことを報告した。
The significance of the lupus globulin; nucleoprotein reaction. Ann Intern Med. 1958;49(4):866-875.
・1968 , 69 年Tanらが抗DNA抗体、1969年Kofflerらが抗二本鎖DNA抗体は抗一本鎖sDNA抗体よりも特異的で感度が低いと報告した。
Science. 1969;166(3913):1648-1649.
・DNA抗体を見つけたTanはスミス(Sm)と名付けたリボ核タンパク質抗原を報告し、抗Roは1969年、抗RNPは1971年、抗Laは1974年に報告された。そのまとめ、再掲載。

Laboratory
Anemia - Kaposi (1872)
False-positive Treponema reaction - Reinhart (1909)
Leukopenia - Goeckerman (1923)
Hematoxylin bodies - Gross (1932)
Thrombocytopenia - Lyon (1933)
"Wire loop" in the glomeruli - Baehr et al. (1935)
"Onion skin" splenic lesion - Kaiser (1942)
Hypergammaglobulinemia - Coburn and Moore (1943)
LE cell - Hargraves (1948)
LE phenomenon - Stevens (1951)
Lupus anticoagulant - Conley and Hartman (1952)
Antinuclear antibodies - Miescher and Fauconnet (1954)
Anti-DNA antibodies - Tan (1966)
Anti-Sm antibodies - Tan (1966)
Anti-Ro antibodies - Clark (1969)
Anti-RNP antibodies - Mattioli (1971)
Anti-La antibodies - Mattioli (1974)
Anticardiolipin - Harris (1984)

年代の感覚はこんな感じ

Pearl: Shulmanは、SLE発症時の平均年齢が兄弟で9歳、一卵性双生児で2歳異なることを報告し、環境因子がSLEの発症に影響することを示唆した。

comment: Subsequently, Arnett and Shulman described a difference in the average age at SLE onset of 9 years for siblings and 2 years for identical twins, suggesting that environmental factors influence the initiation of SLE.]
Arnett FC, Shulman LE. Studies in familial systemic lupus erythematosus. Medicine (Baltimore). 1976;55(4):313-322.
・その後、現在までに環境因子としては紫外線、ビタミンD欠乏、喫煙、シリカや水銀などの化学物質などが知られている。
・対して遺伝子研究は、DNA分解、アポトーシス、I型インターフェロン、toll様受容体、NF-KBシグナル伝達、免疫複合体プロセシング、貪食作用、さらにはBおよびTリンパ球、好中球、単球の機能およびシグナル伝達などがSLEの病因に関与していることがわかっている。

分類基準については滝澤先生のnoteを御覧ください。
https://note.com/calm_poppy546/n/n8418aaf819ed?magazine_key=mf7e35ac2aecd

最初の基準は1971年にでました。歴史的な論文です。

1971分類基準の14項目

・4/14で分類基準を満たします。1と5の内容が被っているのとレイノーが1項目に入っていたんですね。あとは梅毒の生物学的偽陽性にLE細胞が歴史を感じますが、概ね理解可能な内容です。

Pearl: SLEの4年生存率は50%だった

comment: The first survival analyses for SLE were reported by Merrell and Shulman in 1955 in patients from Hopkins; they found a 51% 4-year survival probability.
・SLEの最初の生存解析は、1955年にMerrellとShulmanがホプキンス大学の患者を対象として報告したもので、4年生存率は51%であった。 J Chronic Dis 1955; 1: pp. 12-32.
・現在の生存率は劇的に改善しており、20年生存率は75%以上である。
・多くの患者皆さんは、病気を忘れるぐらいの状態で維持できるようになりました。素晴らしいです。

以上、History of lupusでした。


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