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批判が機能することがほとんどない、その理由とは?

 うーん、ネット上での批判的な行動や行き過ぎたアンチ行為について色んな議論があるけれど…。私自身は、そもそも批判がどれほどの効果があるかって疑問に思う方です。

 というのも、人間の性格から考えたら分かりそうなことじゃないかな?と思うから。原則論みたいになってしまいますが、そもそも

人から指摘を受けて、素直に聞き入れて改める人がどれほどいるのか

って話だから。

 この点については、ごっちゃにしている人がいるけれど

犯罪をジャッジするのと、人の行動の上げ下げするのは土俵は別

ということがまずある。

 この点、モラル上は問題あっても、法律上は必ずしも罪に問われない、といったグレーゾーンがある。こういうトコは、犯罪として扱うのか、そうでないのかは裁判所という司法のお仕事。それをいくら我々いち国民がぎゃーぎゃー言ったところで、影響は及ぼせても個々人が決められることじゃない。

 かといって、じゃあ現在では裁判員制度がある訳ですが…

本当に責任を伴うジャッジを、同じようにやれますか?

と問われたら…。凄くあやふやというか、できるかと言ったらこれまたグレーだと思う。

 結局便所のラクガキと同じように、実効性という観点からすれば薄いというのが私の判断です。

 では、なぜ人はやるのかと言ったら

自分の主張が認められたい、通ってほしい

といった認証欲求がそこにあるからじゃない?と思う。

 コレって、実社会でお客や上司に対して自分の主張や考えが通らず、受け入れざるを得ない。家に帰っても居場所がなかったりしたら、そりゃ自分の存在価値を再確認したくもなるでしょう。そのはけ口として、2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる?)があるのでしょう。

 だから私としては、ああいうトコ(だけ)で毒を吐くこと自体は(度を越したもの以外は)全然問題ないと思う。むしろ、ツイッターやインスタの様に、媒体自体がどのようなコンセプトか?が重要じゃないかと。コアな部分ではない内容が横行する環境が、問題になると考えてます。

 くだんの人物が自殺してしまったのも、これは批判ではありませんが…

自分の行動や選択が、周囲にどのような印象を及ぼしたか

という点において繊細だったんじゃないかな?と一連の報道を読む限り、そう感じました。

 それは当人が未熟だったから、では片付かない問題です。それよりも、本当は

どんな人であっても受け入れ、受け止められる環境であることが理想

であったから。そういう点では、これらの媒体はそのニーズを満たせなかった。だから、自殺者が出てしまった。

 私の解釈だと、今回の事件はある意味、我々ユーザーと、運営の敗北である訳です。そういう人物を生み出す環境を是正できてなかった、というね。だから私は、亡くなられた方に対して他人事ではいられません。明日は我が身、いつそうなるかだって分からないのだから。

 それだけに、この問題の本質は結局のところ

他人の批判や非難を、やたらと振りかざしてもほとんど効果はない

という点に尽きると思うのです。餅ロン、公に関わる部分や、影響力が大きい事象・人物の行いに関しては別です。実際、拡散することで批判や非難が巻き起こり、当事者を改めさせた事例は現実として存在するのだから。

 ただ、こうしたことはやはり頻繁に起こることじゃない。全体から見ればごくわずかである以上、私の考えでは

これは枝葉末節程度に過ぎない内容だな

という事に関しては、しても効果はほぼ、ないと思います。

 でも、現実にはこうしたことがなくならないのも

お手軽なトピックだから言いやすい

という事があるから。

 それに、常々気になっていたのですが注意される時のパターンとして

頭ごなしに相手に非を鳴らす

というパターンがかなり目立ちます。でもこれ、指導や注意をする立場の経験者として言わせもらうと

まず、聞いてもらえないよ?

と断言出来ちゃいます。

 考えてみて欲しいのは、じゃあ自分が逆の立場の時、表向きは

分かりました

と言っていることでしょう。だけど、心から自分が悪かった、改めなきゃな!と思っているでしょうか。私はぜんぜん、そうは思えません。(苦笑)

 それはなぜかというと、よく見かけたのですが

最初から相手が悪い、というポジショントークにしてしまっている

から。要するに、反論や弁明の余地がほぼ、ないのです。

 こういうやり方って、注意する方は楽ですよ。一方的に言って終わる。で、肝心の当人はというと

恥ずかしい、辛い、ムカつく

と言った感情になっているでしょう。たとえどんなにそれが正当であっても。

 こうしたことから考えても、リアルな環境でもこうであるなら、顔も知らない奴から指摘を受けて、

すいませんでした

と即座に改められるか。もしできるなら、むしろその人を大いに評価するでしょうね、私は。

 それ位、

指摘を受ける→改める

というメカニズムは文章で書く程簡単ではない。その間にある溝というか、ハードルは相当高いと思いますよ。

 だから、アンチの叩く行為自体にこうした規制が入ることは良いこと。但し、それはあくまで

必要とあれば特定できる権利保証を、被害者側に与える

ことが重要でしょう。そうでないと、単に批判や非難が一切ダメ、みたいになって本当に不正や犯罪があった際のキッカケが作れなくなる。今、こうした規制の流れにのってそこまで作ってしまおう、と自己の利益を織り込もうという人たちも出てくる。ココをむしろ、注意した方が良いと思っています。

いぢょー。


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