樹木を伐採することは、単に木を切る意味ではない。
東京都の神宮外苑や井の頭公園における樹木伐採、どんな理由があろうとも愚行です。理由は簡単、
単に木を切るのは一瞬、育てた樹齢は二度と戻らない
からです。樹齢100年なんて、植樹してまた100年後まで待たないと作れない。唯一無二なのですよ。
こうしたことは、特定の住居などでもこれまで起こってきたこと。たまたま自宅横にずっと生えていた樹齢の長い木を、切られることになった…といったニュースってこれまでも見てきた。大抵は、
やむを得ず切った
移した
であることが多いです。で、両方ともあまり良い結果になってないんですよね。
切ってしまえば、もう元には戻らない。移すのも意外と効果がないのは、単純に根をそこで張ったから。人間のように、植物は行かないんですよね。
それなのに、歴史的な経緯や由緒がある神宮や井の頭公園での愚行。そもそも、両方とも
天皇家がらみ
のことでしょう?明治天皇や皇室から譲られたこれらの財産を、むげに扱ってよいのか。ビジネスの舞台にさらして良いのか。公益という観点から言えば、非常に疑問が残る訳です。
更にいえば、当時なぜこうした公園や緑が残されたのか。そういう経緯を歴史的視点からちゃんとチェックしてるのか。ましてや、一番の愚かさというのも
地球温暖化防止、と言ってるのにCO2吸収してくれる樹木切るバカ
という点。小学生でもわかることだろうに。
そもそも、神宮外苑の施設の中でそこにないといけないものってそんなにない。例えば、申し訳ないケド神宮外苑にある神宮球場やプール施設など。こうした施設は、創設当初は意義があった。公設のインフラがそこにある合理性が存在したでしょう。だが今はどうか。どこにでもあるし、作ろうと思えばできる。
むしろ、政策上人口減に苦しんでいる自治体へ移転させることで、施設利用を通じた活性化など、犠牲になるモノがない政策を打つべきでしょうに。スワローズには申し訳ないケド(笑)、神宮球場を無理にあの場へ置いておく必要はないよ。
こういう部分は、歴史的経緯や伝統よりも、根本的に大事にすべきものがある、という観点に立つべきでしょう。それが、
緑地をなるべく残し、街中へバランスよく配置する
こと。緑が癒しになる、というのは研究テーマとしても発表されているところ。であるなら、無理に収益が上がる施設に置き換える必要性は全くない。
にもかかわらず、このような愚行を強行しようというんだから…。個人的には某都知事さんは、こういうことを平気でやりかねない、と思っていたのでヤッパリとしか思わない。止めるためにも、一助になればとこうして久々に書くことにした訳です。
また、緑が災害防止の側面を担っている事実もある。例えば、昔なら防風林・防砂林などと樹木を植樹することで自然利用による災害防止という手段が取られていた。
悲しいことに、高度成長期に私の母の故郷である三重県では、伊勢湾でコンクリートの防波堤を作った後に異変が起こった。それが、
遠浅がなくなり、水深が急に深くなった
こと。それにより、当然防波堤に押し寄せる波が高くなった。
詳細は省きますが、水深と波の関係性は当時の私が母から前後の状況を聞いて調べた結果です。防波堤ができる前は、防砂林の松林があった、と。そして、その際には巨大な高さの波はみたことがなかった、とも。
こういう所からも、樹木が果たす役割は多岐にわたっていたことが分かる。現代に焼き直しとしても、
波や風など、遮る役割
景観という癒しの効果
地球温暖化対策
これらはハッキリしているでしょうに。
にもかかわらず、伐採という決定を強行しようとしている連中には合理性などありません。外苑の施設を減らして、純粋な公園施設にしてもいい位なのに、単に土地のスペースが空いてるトコ、とみたらどうなるか。そこに目先の利害以外、感じ取ることは難しい。だから、反対なのです。
自分も東京都民ですから、こうしたことは看過できません。ましてや、両施設共に利用する機会があるのだから。過去にしたこともあれば、今でもということもある。身近な問題なだけに、皆さんにもぜひ知っておいてもらいたいです。
いぢょー。