お笑い芸人に対する扱いの変化、本当の理由
ネタとばかりにY社とかお笑い芸人に関するアレコレでおなか一杯になってますが…相変わらず骨までしゃぶるね。(笑)
とはいえ、私自身は興味の対象が人となりや組織といった部分だったので、これ以上は当事者たちが何とかしていってくれたらいいと思う。よって、締め的にそもそも
お笑い芸人が叩かれたそもそもの理由
について分析してみたいと思います。
まず、これは簡単なことで
お笑い芸人のステータスが上がったから
にすぎません。たけしさんたちのころは、いくらお金を稼いでも芸人というワードに対する意識は低く、金を出してる側は
まあ、金くらいはくれてやるよ
という潜在的な留飲を下げていた。だから彼ら彼女らがいくらリッチになったところで、下に見ていた。
ところが、お金のあるところには人が寄ってくるもので、その後芸人が女優と結婚したり、かなりの高水準での生活環境を持つものも現れた。成長産業として見られ、あこがれの職業という見方に変わっていった。そうなると、
持たざる者から持てる者
へ、認識が変わっていったんですね。
だから、世間の認識も
それだけいい思いしてるんだから・・・
と、求める基準が厳しくなっていた。そこを、先輩芸人を見てやってきた後輩以降の芸人たちはイマイチ自覚していなかったんだろうな、と。それは宮迫さんたちの反応を見て感じましたね。
彼ら彼女らが今後、気を付けなければいけないのはこういう芸人に対する認識の変化でしょう。現実にはいわゆる
いい思い
をさほどしてない、と思ってる人たちも多数いるでしょうが。世間一般の人たちは個別に見ておらず、あくまで芸人というカテゴリでひとくくりにしてる。
Y社が謹慎処分も一律にしたのも、ある意味罪の重さに応じて…が正しくても、世間は謹慎などの対応や処分がなされたのかどうか、までしか見てない。こういう見通しがあったから、粗雑な一律処分に出てしまったものだ、と私は推測しています。
従って自分たちへのモラルの要求が厳しい、と感じている人は即ち
今のお笑い芸人の世間の認識を全く理解してない
と感じてしまいます。私が宮迫さんや亮さんが幼いな、と感じたのはココ。彼らクラスでさえ、当初の考え方があのように甘いものだったことを考えたら、それ以下の人たちは全く分かってないんだろうと。
松本さんが宮迫さんに指摘することができたのは、彼が大御所だからではなく
自分の芸風から言って世間の皮膚感覚をよく理解する必要があるから
でしょう。そういう感覚から見て、今回のことは危険度が高い。それを忠告したんだと思っています。
しかし彼らはトーク番組は芸人同士だったり、ゲストとのトークだったりと、出会う人達が限られていた。必然的に世間と触れ合う機会が希薄になる。理屈としては受け止められても、心にまで響かなかった。それが対応を間違えた根本的な理由だと一連の流れを見て感じています。
今後、彼らが気を付けた方が良いのはこうした
世間が見ている自分たちへの見方のズレ
を修正すること。思っている以上に自分たちは羨望のまなざしで見られており、したがってその分嫉妬の目にさらされている。お金のことに関してはキッカケにすぎず、すでに彼らが謝罪会見の後批判や非難が収まった感があるのも
痛い目に十分にあい、それを十分にみた
からに他ならない。今、Y社(の社長や会社そのもの)に焦点が移ったのも
オイシイ想いをしてきてるトコ
が不正をやってる!という見られ方になってるから。だから、加藤さんの振る舞いが脚光を浴びているんですね。そういうトコに立ち向かう存在として。本人の意向や想いとは別に、そういう筋書きでマスコミもあおっているトコがあると思いますよ。くれぐれも、本人は気を付けてもらいたいです。すでに
加藤の乱
とか、古臭い名前を引っ張り出して感覚の古さを露呈してますし。コレには呆れましたが。