優れたリーダーは、好みと好き嫌いを間違えない。
私はリーダーとしても、いちスタッフとしても経験を持つ為…。両方の立場の利害ってよく覚えています。その上で、リーダーとしての振る舞いを意識してました。今回はそのことについて備忘録的に書いておきます。
まず、人を用いる際に注意していたのがタイトルの通り
好みはあっても、好き嫌いはない
というモノ。この点を間違える人が大変多いです。
まず、好みというのは
傾向
であって排除基準ではない。そのことを分かりやすくプロ野球のことで説明したいと思いマス。
まず、好みというのは例えば私が監督なら
投手力で点を与えないチーム
にするか、それとも
打力で打ち勝つチーム
にするかについて。これが好みです。
じゃあ好き嫌いってなんだ?となる。それはこういう事です。
1 自分は守備力のチームで勝ちたい
2 でもチームにいる人材は打力に偏ってる
3 守備のできる選手を入れ、打撃の良い選手を下げた
4 打撃で打ち勝ってきたチームが得点力低下のため、勝てなくなった
現実にはこれほど単純ではないにせよ、実際にこういうパターンで成績を落としたのは過去にあったのですよね。だから、それなりに説得力はあると思う。
では、好みだとどうなるか?と言うと…
① 自分は打撃力のチームで勝ちたい
② でもチームにいる人材は守り勝つ人材が豊富
③ 打撃の良い選手を前半、終盤は守備固めと入れ替える
④ その間コーチに守備と打撃を鍛えさせて全体的な底上げを地道に行う
というプロセスになるでしょう。
これがわかるのは、私自身が実際にリーダーとしてやっていたから。つまり、自分の好みは好みだけど現実にいるスタッフは自分の好みと違う。であるなら方向性としては最後はそっちに行くけど、その間に関しては今いるスタッフの能力をベースにして日々やっていく。そうしていたからなんですよね。
これを、現実には好き嫌いで押し通したがるリーダーの方が多いと思いますね…。実際、私がナンバーツーの立場にいた時にそういう人、いました。その人は露骨に会社に対して
自分が選びたい
と人事に対する要求をしていた。それ自体はおかしくはないんですが、その際に豪語していたのが
自分の思い通りの人材を採用させたい
というモノ。あー、こりゃダメだと内心呆れてましたね…。
上の好みという基準であるならば、自分の現場の方針に基づく人材を採用してほしい、という事で理屈は通ります。でもこのご本人の場合、これ以外でも露骨な言動として
自分の考えを理解して動ける人間
を求めていた。この時のご本人の意図からだと、明らかに間違っています。
自分の考えを理解してもらいたいのは誰しもですが、この言葉に込められていたのが
自分の思い通りに動く人
という事に過ぎなかった。これが、好き嫌いにつながるのです。
私自身は、周囲はともかく
自分の思い通りに動いてほしい
と思ったことはありません。周囲は私の考え通りにしないと怒られる、と誤解していたようですが。(苦笑)
私が当時、叱る対象としていたのは単に
やれることをやってない
にすぎません。その人の力量を見極めた上で、業務を配分している訳ですから。明らかな手抜きは叱っただけ。逆に言うならやることやってりゃ文句はないよ?というスタンス。
業務全体を見た上での判断と流し方はリーダーである自分の仕事なので、それが流れないことを他人のせいにするのはナンセンスです。相手への理解があって、はじめて何をどうするか決めていく。だから、自分の思い通りかどうかは全く関係ないこと。力量がどうなのか?が重要なのですからね。
だけど好き嫌いが基準の人は、自分の思い通りかどうかがベースなので、それにそぐわない人たちは一律でダメ。だから、上記の様に自分への理解が先になる。断言できますが、このスタイルでは業績はサッパリ上がりません。
そもそも、好き嫌いで動かそうという人は基準が常に自分なので相手が動くはずがないのです。相手だって希望や利害を持っている訳ですから、相手に動いてもらう場合
本人が一番やりたいこと
である時が最高のパフォーマンスが出るはず。自分が希望していることで手抜きしている人なんて、あまりいないはずですからね。
こういうロジックから見れば、相手の希望に添えるかどうかは別として、一方的に自分の方からアレコレ言うより、相手がどうしたいのか?という意思が少しでも入っている方がパフォーマンスが上がる。そういうことにすぎません。私もこれを大事にしていただけ。
とは言え、私も何でもかんでも相手の希望通りにさせた訳ではありません。実際の業務は誰かしらがやらねばなりませんし、やりたくなさそうな仕事を自分が引き受けたとしても(こういう人も割と見かけます)、実はあまり良い選択ではない。
この点については本題から外れますので深掘りしませんが、させるにしても根拠があればリスクは最小限にできる。私の場合、
やりたい仕事と、やらせたい仕事の配分
で対処していました。
要するに、人気の仕事内容を誰かに任せきりにするのではなく、シェアさせることでやらせたい業務もさせる。飴と鞭と言えばそれまでですが、平等にチャンスを与える、という姿勢を見せ続ける。ココを重視していた訳です。
これは図書館という特殊な環境も関係しています。いくらでも仕事がある訳ではないので、どうしてもワークシェアリング的な発想が必要になる。その中で、やりたい仕事を最初から分けてしまったら不公平が生じる。だから、輪番制の様に業務の配分をしていました。
それ以外でも理由があるのですがコレも今回は省略。とにかくこうした仕事の振り方一つを見ても、私はこうさせたい、というより
どうやって不公平や不平等な状況を排除するか
を力点においてました。それは図書館という環境がなせる業だったかもしれませんが、基本的にどこであってもコレは変わらないかと。
いぢょー。