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イビツァ・オシムさん、本当に偉大なる魂の持ち主。

 オシムさんがお亡くなりになった、と一報を受けてひたすら涙が出た。すぐに思い浮かんだのは、

本当にありがとうございました、素晴らしき人よ

以外の何物でもない。

 私個人としては、歴史上の人物に対して敬意を抱くようなことはありますが…。同じ時代に生きた人として、心からの愛情と信頼、そして敬意を抱いた人は凄く少ないです。そのうちの一人が、天に召された…。

 ここまで書いて、本来のサッカーの話は出してませんが…。それ位、サッカーという枠を超えた存在なのですよね。タイトルの通り、

偉大な魂を持っていた愛の人

という以外、言いようがない。

 餅ロン、私自身はあったことは一度もない。それでも、ご本人にあった人が評する内容に悪口と言えるものが、ないんですよ。こんな人は、見たことがない。

 通常、どうしても敵対したり、反感を買うような人というのが存在するはず。でも、オシムさんはそういう人ではなかった。いたかもしれないが、私の様な一般人にまで耳目に届くことがなかった。そういう人は、ありえない位のレベルの話。

 著書や関わった人たちの書籍を見ていても、ほぼ同一なのが

すさまじい頭脳と愛情をもって人に接する姿

なんですよね。但し、愛と言っても決して甘いものではない。

 私が目指すところと一致しているからこそ、数少ない尊敬できる人であった点として

相手にとって、長く為になる導き

をしてくれた人だったから。当時だけでなく、後々にまで感謝される。一時期ならともかく、ずっとというのは相当な力量がないと理解を得られないので…難しいんですよ。

 餅ロン、感謝されるためにやるのは本末転倒。私もささやかながら、自分が相手のために、という際には感謝されることなんて度外視。相手のためになればよい、に徹してはいた。但し、理解にまで導けないと敬遠されるか、疎まれてしまうもの。それも、やってみたからわかること。

 でもオシムさんは、当時から早い段階で理解させることのできる人だった。それも外国人相手に。これがどれだけ大変なことかは、海外でやってみたことがある人でないと、分からないかもしれない。私も本当に分かる、とはいえないんですよね。それ程のことだから。

 そして、そんな偉大な人がついに亡くなられてしまった…。本当に、悲しいです。もう、オシムさんの愛ある叱咤が聞く事ができないのも。サッカーのみならず、人としての在り方にまで行くべき方向を指し示してくれた人。そこまで偉大な人が、日本に来てくれた。本当に、本当に、ありがとう!オシムさん。

 あえて、サッカーのことは書かないことにしておきます。最初は、人柄のことを書いてサッカーに移行しようかと思っていましたが…。心のままに書くなら、これで充分だと思った。

 ご家族の皆さん、日本に来てくれてありがとう。今はとてもつらいでしょうけど、日本の中にもとてもたくさんの人たちが、あなたの愛する人に心からの感謝をしておりますよ。その事実に、少しでも心の癒しとなるなら、ちょっとだけご恩返しになるかな…。

いちサッカーファンより
心から

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